22 玉座はひとつ
レオンは敵意のない顔で、ゆっくりとラファエルへ近付く。まるで、獰猛な魔獣を手懐けようとするかのような慎重さだ。
「月牙。あんただって、ここで碧色を失うのは本望じゃないだろう。これから先、大陸を支配するまでには長い時間がかかる。刺激のないぬるい生活に耐えられるのか。人生には、程よい刺激が必要だとも思うけど」
「ふん。貴様の言うことにも一理ある。だがな、その物言いは気に食わん。碧色以上の存在は現れないということになるぞ」
ラファエルの目はレオンの深層を覗くように、彼を捕らえて離さない。
「二物……貴様はその地位に黙って収まり続ける男だとは思えないがな。そのままでいいのか? 本当の意味で二番目のものに落ちぶれるぞ。玉座はひとつだ。碧色が消えれば、玉座に近付けるとは考えないのか」
「それは同感だけどね。但し、碧色は俺が乗り越えるべき相手だ。あんたに横取りされるのは面白くないってことだよ」
「だったら貴様が俺を殺してみせろ。半年後、碧色に俺を殺させて、横からすべてをかっ攫う算段でも立てているのか?」
「それは面白い考えだ。ぜひ採用したいね」
「何にしろ、今の貴様では話にならん」
レオンに興味を失ったのか、ラファエルは足下へ視線を落とした。その視線が床を辿り、頭を上げたリュシアンのもとで止まった。
「さすが炎竜。尋常でない回復力だな」
リュシアンの左肩から白い蒸気が立ち上っていた。剣による刺し傷すら急速に塞がり、出血も止まっている。
命のやり取りを楽しみ、笑みを零すラファエルは、レオンの背後に立つ人影を見た。
視線が交錯したのはユリスだ。背筋を伝う悪寒に、思わず身震いしていた。
これまでに会った、誰よりも恐ろしい。
ユリスがラファエルに抱いた印象がそれだ。心に深い闇を抱え、見つめられていると吸い込まれてしまいそうな恐怖を感じるのだ。
「貴様、守り人だな。碧色が連れているんだ。ただの守り人ではないんだろ。炎竜の力を引き出せるということは、神官のひとりか?」
「あいつは関係ねぇ……構うな」
魔法剣を手にしたリュシアンが、ユリスを庇うようにラファエルの視線上に立った。
傷は癒え始めているとはいえ、疲労までは回復できない。加えて傷の治癒には多大な魔力を消耗する。それはつまり、炎竜の力を操るための持続時間に直結する。
リュシアンは無我夢中で飛び掛かった。
「炎纏・竜薙斬!」
炎竜の力を纏った上段からの一閃に、ラファエルも漆黒の斬撃で応戦する。
「光喰深闇!」
刃へ闇の魔力が収束した。すべてを食らい尽くすような暴虐の一撃が、リュシアンの振るった渾身の一撃を容易に弾いた。
そうして返す刃が、リュシアンの腹部を深く斬り裂いた。
「碧色!」
レオンの声も虚しく、リュシアンは苦悶の表情でうつ伏せに崩れた。勢力図を塗り替えるかのように、床へ赤いものが広がる。
「これで碧色も黙った」
ラファエルは大きく息を吐き、額を流れる汗を拭った。恍惚とした笑みをたたえ、レオンとユリスへ視線を送る。その背後で恐怖するマリーなど眼中にない。
「二物、俺と交渉をしたがっていたな。ふたつにひとつ、選択の機会を与えてやろう」
漆黒の剣を床へ突き立てた。
「碧色か守り人。どちらかひとりを置いていけ。他の奴らは見逃してやる」
「おいおいおい。本気か、大将!?」
たまらず、モルガンが立ち上がった。
「黙れ、馬鹿が! 決めるのは俺だ」
ラファエルの怒声に驚いたように、その背で羽根を散らしていた翼が忽然と消えた。
「翼が……消えた?」
ミシェルが不可解なものを見るようにつぶやくと、グレゴワールも興味深そうな顔で身を乗り出した。
「ふむ。強大な力を得る代わりに消耗が激しく、持続時間も短いということか。なるほど」
「碧色にとどめを刺すだけなら、竜臨活性の力だけで充分だ」
ラファエルは気にした風でもなく、苦しげに肩で息をしている。しかし未だ警戒を緩めぬ鋭い目で、レオンを見据えた。
「さぁ、選べ。時間がないぞ。ぐずぐずしていると碧色は今にも死ぬぞ。俺はどちらでも構わないんだ。マルティサン島への案内役が欲しいだけだからな」
「だったら俺が」
ユリスが決死の覚悟で歩み出た。
ここであの人を死なせるわけにはいかない。
リュシアンの存在は、災厄の魔獣を倒すための切り札であると確信していた。何より、姉であるセリーヌが想いを寄せる相手だ。そんな大切な人物を見殺しにしたと知れれば、一生恨まれてもおかしくはない。
仮に、ラファエルをマルティサン島へ導く結果になろうとも、神竜ガルディアが竜臨活性の力をリュシアンに与えれば、すべてを解決してくれるという考えもあってのことだ。
「ユリスさん、待って!」
マリーが慌ててその腕を掴んだ。
「それで本当にいいの?」
「他に手はないでしょう」
「だったら、私が代わりになります」
「え?」
「あなたは、あの島の希望だから。新しい風を呼び込めるのは、あなたしかいない」
呆気にとられるユリスを押しのけ、マリーは覚悟を決めた顔で歩み出た。右手首に填めたブレスレットに触れているが、それはシャルロットとお揃いで購入したものだ。
「私もマルティサン島の場所を知っているし、強力な癒やしの魔法も使えます。あなたたちのパーティに加えて頂ければ、補助の要にはなれると思います。どうですか?」
「ぶはっ。面白ぇ」
たまらず吹き出したのはギデオンだ。
「男だらけで退屈してたんよ。あんな可愛い娘が付いてくるなら大歓迎よ」
「相変わらず下衆な男だな。おまえに任せておくと、すぐに壊しちまうから駄目だ」
「脳みそまで筋肉のモルガンには言われなくないんよ。大将、その娘に決めてくれ」
モルガンとギデオンがやり取りをしている間も、マリーはゆっくりと進んでいた。倒れたままのシルヴィとアンナを追い越し、うつ伏せのまま動かないリュシアンの隣に立った。
自分より頭一つ高いラファエルの顔を見上げ、挑むように睨みを効かせている。
「いかがですか? 納得して頂けますか」
「まぁいいだろう。碧色や守り人を引きずっていくよりは、こいつらの士気も上がる」
ラファエルは笑みを零したが、その口元は僅かに引きつっていた。本音は、気迫で押し負けた部分が大きい。有無を言わさぬ意志の強さを少女の内に感じ取っていた。
「早速だが一緒に来てもらうぞ」
「その前に、彼らを動ける程度まで回復させる許可をください。特にこの人は命に関わります。私の癒やしの力も見せられますから、絶好の機会だと思います」
「動ける程度まで、だぞ。俺が止めたらそこで終わりだ。でなければ斬る」
ラファエルの言葉に頷いたマリーは、床へしゃがんで癒やしの力を収束させた。
全員の意識が彼女へ注がれる瞬間を待っていたように、それは不意に訪れた。
風が吹いてきた。
ラファエルがそう思った時には、後方にいる仲間たちの側まで弾き飛ばされていた。
「何だ……」
上半身を起こしたラファエルは、信じられない光景に驚愕の表情を見せた。
彼の目に映ったのはひとりの剣士。膨大な魔力を纏い、髪を銀色に変えたレオンだった。





