07 四頭の熊型魔獣
奇跡の花のことは一旦忘れ、魔獣討伐に集中することにした。
「まずは下準備だな」
竜の顎と呼ばれる設置型の罠を複数持参している。この罠を、壁の崩れている所を中心にいくつか置くことにした。
先日のダンデリオン戦でもアンナが好んで使っていたが、設置前は握り拳ほどの大きさに収まる魔導具だ。持ち運びも手軽で、冒険者だけでなく狩人にも重宝されている。
「リュシアンが竜の顎を設置してくれるなら、僕は落とし穴を作ることにするよ」
「ちょっと待った」
手にしていた罠を兄とユリスへ渡した。
「落とし穴は俺が掘るよ。兄貴を泥まみれにさせるわけにはいかないだろ。ユリスだって富裕層の御曹司って感じだしな」
「リュシアン。妙な気を遣わないでくれ」
「そうですよ。あなたは俺を軽く見過ぎです。子ども扱いしてますよね」
気遣ったつもりが抗議を受けている。
「いいから、いいから。あんまり騒ぐと魔獣が寄ってこなくなる」
適当にあしらって壁の外に出る。そうして、いくつかの魔法石を地中に埋め込んだ。
穴を穿つため、爆発属性を持った魔法石を少々。その他に、消音の魔法を封じた石と、衝撃吸収の魔法を封じた石も混ぜてある。
こうして、無音の内に簡易的な穴が完成した。穴の中に木の杭を幾本も仕込み、暗い色の布をかぶせて土で覆い隠した。
その工程を側で見ていた兄が、興味深そうな目を向けてきた。
「音もなく穴を掘るなんて凄いね。消音と衝撃吸収の魔法石なんて、どこでどうやって手に入れたんだい?」
「これでも色々と顔が利くんだよ。聖女なんて呼ばれる、大司教顔負けの腕を持つ人とも知り合いになってね。いざという時のために魔法を封じておいてもらって助かったよ」
こればかりは、マリーに深く感謝するしかない。恐らくユリスも同じことをできるはずだが、彼に貸しを作るのは良くないと、本能が警鐘を鳴らしているのがわかる。
「後は身を潜めて魔獣を待とう」
咄嗟に、ユリスの姿を目で追っていた。
「ダンデリオンと戦った時のような無茶はするなよ。出過ぎるな。慎重に行けよ」
「大丈夫ですよ。わかってますから」
鬱陶しいという感情が透けて見える顔で、ふてくされている。しかし、ユリスの保護者を兼ねている俺には大事なことだ。
「うるせぇ奴だと思ってるだろうが、これだけは忘れるな。ベアルに閃光玉は禁物なんだ。前にあいつと戦った時は光を嫌がって暴れてさ。フェリクスさんに凄く怒られたんだよ」
今となってはあの戦いも懐かしい。シルヴィさんとシャルロットも一緒にいたが、当時とは状況がかなり違う。
過去の失態を思い返していると、なぜかユリスが吹き出した。屈託なく笑う姿は年相応だ。民のためにと奮闘する姿がどこか痛々しく思えて、なんだか切なくなってしまった。
「何か変なことでも言ったか?」
「変なことというか、変な人ですね。俺に注意喚起するだけでいいのに、自分の失態までわざわざ晒してくるなんて」
「頭ごなしに、こうしろって命令するのは好きじゃねぇんだ。それに、具体的な話を絡めた方が伝わりやすいだろ」
「なるほど。あなたがみんなから好かれる理由が少しだけわかった気がします」
「少しかよ!?」
うつむいて笑いを堪える姿を見て、戦いの前の緊張が解きほぐされてゆくのがわかる。
「やっぱり姉弟なんだな。ユリスの纏う空気感は、セリーヌに似てる気がするよ」
「そうですかね?」
「まぁ、そう言われたところで、自分じゃわからねぇよな。受け手としての感想だ」
「ふたりとも仲がいいんだね。リュシアンも弟を欲しがっていた時期があったし、ちょうどいい組み合わせだと思うよ」
兄は俺たちのやり取りを微笑ましく見守っていたらしい。
「弟が欲しいなんて、いつの話だよ。十歳やそこらの出来事じゃねぇか」
「こんな兄は遠慮します」
「おい、ちょっと待て!」
兄に抗議している横で、さらりと酷いことを言われたのは聞き間違いじゃない。
「リュシアン。騒ぐなと言ったのは自分じゃないか。魔獣に気取られるよ」
「くそぅ……」
ふたりからいいように弄ばれている気がする。これはこれで、たまらなく悔しい。
そうして、どれだけの時間が過ぎただろう。農具が収められている倉庫の陰に身を潜めていると、森の中から四頭のベアルが現れた。
「来やがったな……」
月明かりが照らす暗闇に目をこらす。
先頭を歩くのが父親だろう。それよりも小ぶりな母親が続き、母を追う二頭の小熊が続いている。
「小熊もいるけど油断するなよ。後ろ足で立ち上がれば俺たちの身長なんて軽々と超える。圧倒されるだろうが、絶対に怯むな。隙を見せたらやられるぞ」
「わかりました」
ユリスの緊張を帯びた声を聞きながらも、魔獣から決して目を離さない。奴らは外壁の崩れている部分を目指し、四足歩行で迷いなく近付いてきている。
「そのまま穴に落ちろ」
期待を込めて罠の設置点を見つめた。先頭の父熊が串刺しになれば、格段に優位となる。
「来い」
知らず、拳を握りしめていた。
前のめりになって目をこらしていると、こちらへ近付いていた父熊が足を止めた。
穴の手前でしきりに鼻を鳴らしている。
「大丈夫だ。そのまま進んでこい」
俺のつぶやきを無視するように、父熊は外周に沿って半円を描いて移動を再開した。そのまま何事もなかったように外壁へ到着。易々と農園への侵入を許してしまった。
「くそっ」
悔しさに舌打ちが漏れる。
「間抜けにしか通用しない穴でしたね」
ユリスの嫌味に、おまえはどっちの味方なんだと言いたいのを堪えた。剣を抜いた俺は、既に臨戦態勢に入っている。
「おまえの目こそ節穴だって、思い知らせてやるよ。黙って見てろ」
魔獣の死角から飛び出した。そうして、内に宿る炎竜セルジオンの気配を探った。
「炎爆!」
右手の甲に刻まれた竜の痣から青白い炎が吹き上がり、とぐろを巻いて体を覆った。
湧き上がる力を感じながらも意識は炎竜と混ざり合い、すべてを俯瞰するように上空へ引き上げられる感覚に襲われた。
※ ※ ※
父熊が敵の接近に気付いて吠える。だがその時には、リュシアンが肉薄していた。
「炎纏・竜牙撃!」
左腕に炎竜の力を乗せたリュシアンは、肩から体当たりするように飛び込んだ。
顎に痛烈な一撃を受けた父熊は身をよじり、大きく体勢を崩す。
「炎纏・竜薙斬!」
リュシアンは続けざま、渾身の力で魔獣の脇腹を斬り裂いた。父熊の体は大きく弾かれ、飲み込まれるように落とし穴の中へ消えた。
「思い知ったかよ。バカ熊が!」
リュシアンが勝利宣言のように叫ぶと、後に続いていた母熊と子熊が次々に吠えた。
「来いよ。まとめて同じ穴に埋めてやる。竜と害獣。格の違いを思い知れ」
威風堂々と構えるリュシアン。体を取り巻く炎の渦が、勢いを増して燃え上がる。





