02 白銀は眠り、刃は待つ
「どこまで行くんですか?」
ヴァルネットの街を十字に仕切る大通り。ルノーさんは紙袋一杯の饅頭を買い込んでいる。
正直、散歩に付き合うほど暇じゃない。気持ちは、セリーヌのもとへ一直線だ。
「食うか、牡鹿の? ここのは旨いぞ」
呑気に食べ歩くルノーさん。俺も、甘い物は嫌いじゃない。
「いただきます」
しっとりとした薄生地の中には、特製のゴマ餡。甘みを抑えた上品な味わいが、舌に広がった。
「なんだコレ!? うまっ!」
「だろ? 儂も味にはうるせぇが、饅頭なら間違いなくこれだ」
左肩の上でラグが切なげに鳴く。
そもそも、おまえは食えないだろうが。
そのまま西地区へ移動し、奥まった路地へ進む。
「ここは?」
古びた工房だった。この街へ来て一年になるが、存在すら知らなかった。
「馬をそこに縛って、付いてこい」
引き戸へ手を掛けるルノーさんを横目に、手近な大木へ手綱を巻き付ける。
「相変わらず立て付けが悪い。いい加減、直せと言ってるんだがな」
饅頭の袋を抱えたまま、隙間へ足を差し込み、強引に戸を開ける。
屋内は他の商店と変わらない造りだ。正面に幅広のカウンター。その向こうで番をしているのは、三十半ばほどの若い男だった。薄茶色の作業服はくたびれているが、爽やかさの残る色男だ。
「ルノーさん、いらっしゃい」
「この戸、きちんと直したらどうだ」
「親方は作業に夢中で、腰が重いもんで」
奥の通路から、金属を打つ規則的な音が響いている。
「今日はあいつに用がある」
「少し待ってくださいね。親方ぁ!」
現れたのは、捻り鉢巻きに灰色のタンクトップ姿の老人だった。年はルノーさんと大差ないが、現役の頑固職人といった風貌だ。
ルノーさんは、饅頭の袋をカウンターへ置いた。
「差し入れだ。赤子の頬屋のゴマ饅頭」
置物のようだった老人の目に光が灯る。無言で袋を掴み、ひとつ目を平らげた。
「こいつはアラン・バイエ。飲み仲間でな。ここを経営する凄腕の鍛冶屋だ」
不敵な笑みを浮かべ、饅頭を囓る友へ視線を戻す。
「この若造に、上等な剣を見繕ってやってくれ。金ならたんまり持ってるだろうぜぇ。なんせ、ランクAで二つ名持ちだ」
「ランクAか……」
饅頭を頬張りながら、頭から爪先までを吟味する視線。値踏みだ。
「アラン。魔法剣はねぇのか?」
ルノーさんは椅子へ腰掛け、側にある羊皮紙の束を取った。
「そんな上物は扱ってない。魔鉱石さえあれば加工はできるがな」
「魔鉱石って、魔法剣の素材そのものじゃないですか。それがあれば苦労しませんよ」
魔導具の原材料として重宝される希少鉱石。産出量は限られ、価格も桁違いだ。
一心不乱に饅頭を食べ続けるアランさんに、不安がよぎる。
だが次の指示は的確だった。
「ブリス。工房で一番の剣を持って来い。それから薬湯もだ」
「おぉ。儂も頼む。おまえさんもどうだ?」
ルノーさん。ここはあんたの家ですか。
「遠慮します。身体に良いのはわかるんですが、あの苦みが……」
壁には武具が掛けられている。装飾と研ぎの質が、量産品とは一線を画していた。
ここなら確かに良品が見付かりそうだ。
「ん? んんっ!?」
「どうしたんですか?」
妙な声を上げたルノーさんは、羊皮紙を凝視している。
「牡鹿の。これ、似てねぇか?」
指差すのは、魔鉱石の個別資料だ。魔力映写で記録された画像も掲載されている。
大きさを比較するため隣に立つ男性。その太ももを超える山形の鉱石。透き通るような輝きを放つ、白銀の塊だ。
「そいつは、ブレグシーファだな。極上ランクの珍品だ」
アランさんも、向かい側から資料を覗き込んできた。
「気が付かねぇのか、牡鹿の。形がそっくりだろ? 汚れてたが、磨けば……」
「がう、がうっ!」
ラグが吠え、胸の奥が跳ねた。
「これ……ウチにあります!」
「はあぁっ!?」
アランさんの素っ頓狂な声が響く。
「昨日、ムスティア大森林で偶然に拾ったんですよ。間違いないと思います」
昨晩、裏口から運び込ところを、イザベルさんに見つかってしまった。
『そんな汚いものを家に入れるんじゃないよ!』
余りの汚さに磨かされたが、汚れの下から現れたのは見事な白銀だった。
「まさか、ブレグシーファを拝める日が来るとはな。すぐに持って来られるか? 俺に最上の剣を作らせてくれ!」
「是非、お願いします!」
「ただな……」
アランさんの含みに、嫌な予感がする。
「ブレグシーファともなると、この工房の施設じゃ不充分だ。先生に頼むか……」
「先生?」
「古くからの知り合いだ。あの人の腕に比べたら、俺なんてまだまだ……大陸の端に住んでるから、しばらく時間を貰うぞ。移動と剣の生成で、二ヶ月ってところか」
「二ヶ月も!?」
「仕方ないだろう。最上の剣には時間も必要だ。それまで、ここの剣で凌げ」
納得はできる。今回は他の剣を探すしかない。
「その大きさがあれば、剣の他にも生成できるな。必要な物はあるか?」
「それなら……」
羊皮紙に要望を書き込んで手渡した。
「わかった、任せろ。おまえの名は?」
「リュシアン・バティストです」
「バティスト?」
なぜか、一瞬の間が空いた。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
気になる物言いだが、それ以上の不安がある。
「ところで、お金なんですけど……」
「そんなもん、いらん」
「は?」
「ブレグシーファ加工の勉強代だ。ブリスが持ってくる、剣の代金さえ貰えればいい」
「いや、いや。そうはいきませんよ」
「よせ、牡鹿の。そいつは頑固だから、一度言い出したら聞かねぇぜ。往復の路銀だけでも適当に渡してやれ」
ルノーさんは肩を揺らして笑う。
「面白ぇ。こうなったら儂も行こう。久しぶりに、ふたり旅と行こうぜぇ」
「そうと決まれば、すぐに支度だ」
老人たちが意気投合していると、薬湯を持ったブリスさんが戻ってきた。
湯飲みを取り、一口含むアランさん。
「ブリス、二ヶ月ばかり留守にするぞ。その間、工房の仕切りはおまえに任せる」
「またですか。親方。剣はどうするんですか?」
「それも任せる。お勧めを渡してやれ」
アランさんは奥へ消え、白銀へ意識を奪われてゆく。
「儂も支度に戻るか。ブリス。すぐに戻るから、あいつに待っているよう伝えておけよ」
「ルノーさん、ありがとうございました」
慌てて礼を述べると、ルノーさんは豪快に笑った。
「礼には及ばねぇぜ。こっちは命を救ってもらったんだ。おまえさんも早く、魔鉱石を持って来い」
良い流れに物事が進んでいる。
様々な人に助けられ、見えない力のようなものを感じる。
「お客さん。いいの、持ってきましたよ」
ふたりの老人がいなくなったのを見計らい、ブリスさんは背後を伺いながら囁く。
カウンターに置かれたのは、布袋に包まれた一本の長剣だ。
「これ、倉庫に長い間しまわれてる剣なの。親方は絶対に触らせてくれないし、きっと名品に間違いないと思うんだよね」
「大丈夫なんですか?」
「いいの、いいの。一番の剣を持って来い、って言ってたでしょ。これしかない」
石から削り出したような荒々しい作りで、飾り気のない簡素な意匠。刃を収めた鞘は間に合わせで宛がわれた物らしく、統一感がない。だが、引き込まれるような魅力に溢れている。
「不思議な剣ですね……まさか聖剣や魔剣、なんてことはありませんよね?」
「さすがにそこまでの物じゃないと思うけどね……それこそ、聖剣なんて魔法剣よりも希少価値の高い一級品じゃない。冒険者には喉から手が出るほど欲しい逸品だよね」
「まぁ、そうですよね」
苦笑すると、ブリスさんは俺を試すような目を向けてきた。
「で、いくら出します?」
並の長剣なら一万ブラン程度だ。魔法剣ならいざ知らず、この剣なら。
「三万、でどうですか?」
「もう一声!」
「逆ですよね? 値切るどころか釣り上げられるって……二ヶ月で新しい剣もできるし、無理して買う理由がありませんよ」
「はい。三万でお願いします!」
こうして剣は手に入った。だが、本当に欲しい刃はまだ先だ。
急いで牡鹿亭に戻り、馬に積んだブレグシーファを工房へ運んだ。





