12 想いは生きている
二十二時近いとはいえ、人の往来もまだまだ盛んだ。近くの酒場からは吟遊詩人の歌声に混じり、陽気な笑いと灯りが漏れている。
喧騒が無遠慮に、ひび割れた心を叩いてきた。暗く淀んだ縁をなぞり、かさぶたを剥がすように亀裂へ爪を立ててくる。
「こっちは浮かれる気分じゃねぇんだ」
賑わいへ挑むように、語気荒く吐き捨てる。すべてをはね除ける勢いで酒場の扉を押し開け、カウンター越しに立つ店主へ近付いた。
「この店で一番上等な酒を。あぁ、瓶のままでいい。ここで飲むわけじゃないんでね。ついでに、グラスを三つ譲ってほしい」
数枚の紙幣と引き換えに、積まれたグラスと酒瓶を掴む。悔しさを押し殺しながら陽気な客たちに背を向け、足早に酒場を後にした。
先程まで歩いていた道筋を辿り直すように、黙々と足を運ぶ。この道を、フェリクスさんやヴァレリーさんも幾度となく歩いただろう。その歩みがこんなにも早く止まってしまうなど、想像もしていなかったはずだ。
「ちくしょう……」
なぜ、素晴らしい人物ほど早くいなくなってしまうのか。カンタンやエミリアンのように、消してしまいたいクズはのうのうと生活をしている。世界はあまりに理不尽だ。
「素晴らしいからこそ疎まれる、ってことか」
魔力優位の世界を変えたいという志を掲げていたフェリクスさんだが、その想いも道半ばで消えてしまった。
それを受け継ごうなどと、おこがましいことを言うつもりはない。フェリクスさんはフェリクスさん、俺は俺だ。アンジェルニ―城の大臣へ告げたように、俺は俺のやり方で、自分なりの生き方を見つけるだけだ。
満点の星が恨めしい。ふたりの剣聖が消えたというのに、世界はなにひとつ変わらず美しい。たかだかふたりの人間が人生を終えただけ。世界にとっては些細なことなのか。
「腹が立つ……フェリクスさん……俺は、悔しくてたまらないですよ」
冒険に出たばかりの所を助けられたという恩もある。俺にとっては特別な存在だ。
『よう、青年。危なかったなぁ』
狼型魔獣の群れに囲まれていた所へ現れたフェリクスさんは、自慢の大剣を操って敵を一掃してくれた。そこへ付いてきたのが、シルヴィさん、アンナ、エドモンの三人だ。
『おまえさん、見所があるな……どうだ、俺たちと一緒に来ないか』
焚き火を囲んで野営をしながら意気投合し、そんな言葉を投げ掛けられた。何より、警戒心の強いラグが簡単に心を許してしまった。悪い人ではないと、直感で悟っていた。
『冒険者としても、剣士としても、酒だろうが女遊びだろうが何でもいい。俺がすべて教えてやる。人生観を変えてやろう』
冒険者としての生き方を教えてくれたのもフェリクスさんだ。あの人がいなければ、今日の俺はない。
『おまえさんに期待してるからこそ、厳しいことでも平気で言う。おまえさんならできると思ってるからこそ、無茶なことでも要求する。どうでもいい奴だと思っていたら、俺は何も言わんさ』
悪魔のような人だと思ったことは数知れない。冒険者としての依頼をこなしている時は本当に厳しかったが、普段は気さくで、もうひとりの兄のように慕ってきたほどだ。
「犯人は必ず捕まえる。むごたらしいほどのやり方で、命を奪ってやる」
恨みを力に変え、目的地である墓地へ踏み込んだ。さすがにこの時間だ。人の気配はなく、鳥の鳴き声が遠くに聞こえる程度だ。
奥まった位置へ建てられた墓石。それが見える所まで歩いてゆくと、うっすらと人影が立っているのが見えた。
「どうなってやがる……」
グラスを腰の革袋へしまい、酒瓶を左手に持ち替えた。念のため、腰の短剣をいつでも抜けるよう身構える。
「って、おまえかよ」
足音を忍ばせて近付いたものの、相手を確認して胸を撫で下ろしていた。
「あんたも来たのか」
さきほど買ったばかりの軽量鎧を着たまま、レオンが佇んでいた。どうやらこいつも、宿からそのまま足を運んだようだ。
「今頃はシルヴィさんに捕まって、部屋で飲み直してるのかと思った」
「それを言ってくれるなよ……っていうか、まったくそんな気分じゃねぇよ」
「だろうね。吞気にシルヴィさんと浮かれていたら、本気で軽蔑してたところだ」
レオンの言葉を笑い飛ばし、改めてグラスを取り出した。墓前にそれを置き、買ってきたばかりの上等な酒を溢れるほど注いだ。
「ゆっくり休んでください」
ひとつを手に取り、グラスを打ち鳴らす。
樽を用いて熟成させた蒸留酒らしい。一気に飲み干すと、奥深い芳醇な香りと味わいに、嗅覚と味覚を刺激された。確かに良い酒だ。
空になったグラスへ再び酒を注ぎ、背後に立つレオンを振り返った。
「おまえも付き合え」
「酒は飲めないんだけど」
口ではそう言いながらも、渋々といった顔でグラスを受け取ってくれた。フェリクスさんの前だからなのか、今日はやけに素直だ。
恐る恐る酒を口にしたレオン。ほんの一口だというのに、途端に咳き込んでしまった。
「こんなものの、どこが美味いんだ。俺にはさっぱりわからない」
口元を拭い、半分以上残ったグラスを突き返してきた。だが、レオンにしては上出来だ。
「まだまだお子様だな。酒の飲み方も、フェリクスさんに教わっておけば良かったんだ」
「必要ない。感覚が鈍ると困る」
「大人のたしなみだ。社交の場では必要なことだぞ。ユリスにも言ったけど、頭と心の切り替えも大事だろ」
「酒に頼るつもりはないから」
「へい、へい。そうですか」
「もしも……」
レオンの隣へ立った時だった。消え入るような声が彼の口から漏れた。
「もしも王都で、ヴァレリーさんへ付いていくことに決めていたら、今回の惨事は防げたかもしれない……俺が側にいれば……」
「どうした。過ぎたことを悔やむなんて、おまえらしくもねぇ」
「悔やみたくもなるよ」
「でも、俺と一緒に進むことを選んだからこそ、テオファヌから力を授かることができた。マルティサン島にも行けた。その選択は、絶対に間違いじゃなかった。断言してやる」
「フェリクスさんのような物言いだね」
堅物のレオンが、柔らかな笑みを浮かべた。
「そうか? だけど信じられねぇよ。こうしている今だって、墓場の陰からひょっこり出てきそうだよな。おまえらどうしたんだよ。なんて、笑って頭を掻きながらさ」
「違いないね。俺はフェリクスさんの秘蔵っ子として鍛えられたから、一緒に過ごす時間はそれほど多くなかった気がする。正直、あんたのことを羨ましいとも思う」
「なにを言ってんだよ。フェリクスさんの想いは生きてる。今はこうして、同じ志を持って歩いてるんだ。それだけで充分じゃねぇか」
「いや。この際だから、ふたりの剣聖の前で宣言するよ。涼風はあんたの剣になるって誓ってたけど、俺は違う。俺は俺だから。自分の力で強さを極めて、至高の剣士を目指す」
「いいんじゃねぇか。やり方はそれぞれだ。俺に尽くしてくれなんて望んでねぇよ。共に切磋琢磨できる方が、俺も励みになる」
レオンがいつも以上に頼もしく見える。訓練を経て、彼も一回り成長したのだろう。





