10 記録なんて意味がない
「クレアモントにも立ち寄るとなれば、時間が惜しいからな……今日のうちに、ある程度の目星を付けておきたいんだ」
不穏な空気をはらんだまま食事が終わった。心も空腹も満たされた俺たちは、本日の仕上げとして冒険者ギルドに足を運んだ。
「マリーには悪いけど、いつものように後方で大人しくしていてくれるか。セリーヌの腕輪を身に付けている以上、顔が割れたら面倒なことになるからな」
「大丈夫よ。心配しないで」
外套を羽織っているが、純白の法衣というのも目立つ服装だ。加えて、王都アヴィレンヌの防衛戦にて確かな結果を残している。その名が広まっていても不思議じゃない。
依頼受注に必要なのは、腕輪と名前の確認だ。顔を確認されることはないが、なんとなく後ろめたい思いがするのも事実だ。
ユリスは初めて冒険者ギルドへ来たらしい。依頼書の張られた衝立を巡り歩き、あれこれと目を走らせている。
「で、シルヴィさんは問題ないとして、アンナの獲得金額はどうなってるんだ。ブリュス・キュリテールとの戦いは、ランクS以上が参加条件だ。絶対に間に合わせろよ」
「余裕でしょ。昇格に必要な金額の三分の二は貯まってるし。二〜三ヶ月もあれば、ランクSになれると思うよ」
気楽に微笑むアンナの姿にほっとした。自分で条件を提示しておきながら、仲間がそれを達成できないのは問題だ。
「それならいいんだ。ここにいる面々は、何が何でも参加してもらわないと困るからな」
「マリーはどうするつもりなの?」
シルヴィさんから不意に名前を挙げられ、マリーが警戒したのがわかった。外套の胸元を押さえ、足が止まってしまっている。
「私ですか!? 私なんてほら、ランクもBだし、参加したって足手まといになるのは目に見えているし……皆さんの勝利を信じて、祈りを捧げるくらいしかできません」
消極的な性格は相変わらずだ。もう少し前向きになってくれたら言うことはないのに。
「マリーも、もう少しな……良く言えば控えめな性格なんだけど、生死を分ける局面じゃ後ろ向きの性格は命取りになる。勢いが物を言うって場面はよくあるからさ」
「だから、戦いは無理って言ってるでしょ」
「戦えとは言ってねぇよ。ただ、君が持つ治癒能力は何者にも代えがたい。後方支援の要として、ぜひ加わって欲しいんだ」
「でも……」
物怖じするマリーへ近付くと、怯えた子猫のような目を向けられた。
「島で力を付けたんだ。その努力は俺も側で見てきた。もっと自信を持ってくれ。足手まといだなんて、誰にも言わせねぇよ」
必死に訴えていると肩を掴まれた。
この大事な場面に鬱陶しい。
そう思いながら顔を向けると、不満を浮かべたレオンに睨まれていた。
「無理強いはやめた方がいい。全力を出せない状態で戦いに加わってもらったところで、本人にとっても危険だ。あの魔獣を相手に、守りながら戦うなんて無理だから」
「まぁ、レオンの言う通りよね」
シルヴィさんまで否定的な意見だが、苦い顔には諦めの空気が漂っている。
「ランクに関しては、あたしとアンナでなんとかするわよ。残りの期間で稼いだ賞金をつぎ込めば間に合うとは思うの。でもね、本人に戦う意思がなければそもそも無理」
「ちょっと待ってよ」
アンナが慌てて割り込んできた。
「周りが一度にあれこれ言ったら、マリーちゃんだって困るに決まってるじゃん」
聖女を気遣ったアンナは、いたわるようにマリーの肩へ手を置いた。
「まだ時間はあるんだし、焦らずに考えをまとめればいいんじゃない? どっちに転んだって仲間なんだから。アンナは、マリーちゃんの選択を支持するからね」
「ありがとうございます」
口元を押さえて涙ぐむマリー。シャルロットとお揃いで買ったブレスレットが、魔力灯の明かりを受けて鈍い輝きを放っている。
よくよく考えれば、マリーも十七歳の少女だ。そんな彼女に、過酷な選択を突き付けてしまっているのかもしれない。
この国が滅びるかもしれないという脅しの手札を見せつけ、命を差し出すことを迫っている。俺は、彼女を奴隷扱いしようとしていたカンタンとどこが違うというのか。
「無理強いしているわけじゃないんだ……」
戸惑う俺の眼前で、アンナはたまらずマリーの頭を撫で、頬を膨らませた。
「ほら。マリーちゃんをこんなに追い詰めて。みんな許さないんだからね」
今までパーティ内で一番下の位置にいたアンナにとって、マリーは可愛い妹分なのだろう。普段はおちゃらけてばかりだが、アンナの新しい一面を見せられている気分だ。
「この話はひとまず終わりだ。気を取り直して依頼を探したいんだけど、確認しておきたいことがいくつかあるんだよな」
木製カウンターの奥には、三十から四十代程度の男性が数名見受けられる。 日中の窓口業務は女性が担当するのだが、現在の時刻は二十一時を回っている。日没を境に男性職員と入れ替わるというのがギルドの通例だ。
「碧色」
職員のひとりへ近付こうとしたところで、レオンから呼び止められた。
「ん? どうした」
険しい顔をしたレオンは無言で親指を突き立て、カウンターの脇を指し示した。
そこには大型の魔力板が設置されていた。記録の更新情報が一覧で表示されているのだが、最上段に見たくもない名前を見つけてしまった。途端に、不快感が込み上げる。
「漆黒の月牙……ラファエルか」
吐き捨てるように、その名が口を零れた。
「ブリュス・キュリテールとの戦い以来だな。あいつも一応、冒険者を続けてるんだな」
王都の防衛戦では、やる気の欠片も見えなかった。何を考えているのかわからない。冒険者活動に興味はなく、純粋に殺し合うことだけを求めているようにしか見えない男だ。
あいつの剣には、殺意と憎しみしか感じない。これは恐らく、直接に剣を交えた俺だけが感じていることだ。漆黒という二つ名が現す通り、得体の知れない存在だ。
「既に、ランクSになってる……あんたの最速記録すら塗り替えられたってことだ。俺もうかうかしていられない」
レオンは腕を組み、魔力板を破壊しそうな刺々しさを漂わせている。最強を目標とするこいつにとって、驚異的な存在なのだろう。
「記録なんて、俺には意味がねぇからな。奴がどんな地点まで登り詰めようと、どうでもいい。生き方が大事なんだ。それに、ちょっと見方を変えてみろよ。あんな奴が、同じ冒険者として活躍してる。頼もしいじゃねぇか」
「本気でそう思う?」
「半分はな……あいつは俺だけじゃなく、剣聖を狙ってた。初めは強い奴と戦いたいのかと思ってたけど、警戒を緩めるつもりはねぇ」
「ならいいけど。本気でそんなぬるいことを言っているなら、頭をかち割ってたところだ」
「穏やかじゃねぇな」
軽く笑い飛ばしていると、シルヴィさんから不審な目を向けられていた。
「あんたたち、さっきから圧が漏れっぱなしなんだけど。碧色と二物が睨みを効かせてるって、周りの連中が怯えてるじゃない」
職員だけじゃない。周囲の冒険者たちまで怯えた顔でこちらを伺っている。それだけの力を持ったのだという自覚が必要だ。





