06 乱れる女神を見てみたい
シルヴィさんに釣られて夕闇の街を眺めると、こちらを見るレオンの視線に気付いた。
「食事も大事だけど、俺たちの身なりを正す方が先じゃないかな」
「まぁな。俺もずっと気になってた」
言いながら、自分の姿を改めて確認した。
島を出る際に、民族衣装から冒険服へ着替えてきた。損傷した鎖帷子は処分を頼み、所々が破れた服を再び着ている。
なんとなく気まずくなり、隣にいるシルヴィさんをそっと伺った。
「せっかく買ってもらったのにすみません。あっという間にこんなにしてしまって」
「気にすることないわよ。最初から、消耗品だって割り切ってるから。なんならその服を仕立屋に持ち込んで、リュシーの匂いがする枕入れでも作ってもらおうかしら」
「いや、本気でやめた方がいいですよ。そんなものを使ってたら悪夢を見ますよ」
「その通りです。野蛮な気質までうつります」
なぜかマリーも全力で後押ししてきた。彼女は俺に、どれほどの悪印象を抱いているのか。
「そこは、リュシーが出てきて守ってくれるんじゃないの? それとも、リュシーに襲われちゃうのかしら。いやん。それはそれでいいわね」
「却下。服は燃やします」
「え〜。もったいないじゃない」
シルヴィさんの訴えを無視して、俺たちのやり取りを黙って眺めているユリスを見た。
「民族衣装のままだと、どうしたって浮いて見えるからな。こっちに滞在している間は、ユリスも着替えた方がいい」
「そうやって言葉巧みに誘って、姉さんにもあんな服を着させたんですね。俺は守り人であることに誇りを持っています。浮いて見えようと、このままで構わない」
「一応言っておくけどな。おまえの姉さんは、自分の意思であの服を選んだんだ。っていうか、困窮した店主を救うために、無理矢理買い取らされたって聞いてるけどな」
「お父さんが作った服だから、アンナにも少しは責任があるかも……なんかごめんね。熱帯地域向けの装飾だから、露出も多くて。お姉さんがそんな派手な格好で帰ってきたら驚くし、気分を害して当然だよね」
申し訳なさそうにするアンナを見て、ユリスは慌てて首を横へ振った。
「もちろん最初は驚いた。昔から品行方正で、長の言い付けにも素直に従う人でしたから」
古い記憶を辿っているのか、警戒が解けて穏やかな顔付きを見せている。
「言い出したら聞かない頑固な所もあります。この間、久しぶりに島へ帰ってきた時だってそうでした。あの格好を見た島民たちは大騒ぎしたけど、姉さんは絶対に処分しようとしませんでした。姉さんが自分でそれを選んだのなら納得するしかないけど、何がそこまでさせたのか、ずっと疑問なんです」
清々しいとさえ思える顔をして、ユリスは歯を見せて微笑む。
「だけど、それだけ自分を出せるようになってきたのはいいことだと思う。災厄の魔獣の捜索隊に加わると聞いたときは不安だったけど、姉さんにとってはよかったんだろう」
ユリスが自分を納得させるように頷いていると、シルヴィさんが小さく吹き出した。
「あの魔導服だって、着替えようと思えばいくらでもできたわけでしょ。それをしなかったってことは、変身願望みたいなものが昔からあったんだと思うわよ」
「あの姉さんに、そんな願望が? まさか」
「島で窮屈な生活を強いられていたんじゃないの? 一度解き放たれたら、籠の中に戻すのは無理でしょうね」
これにはユリスだけでなく、俺まで驚いてしまった。奔放に振る舞うセリーヌの姿など、まったく想像できない。
俺の胸中を察したのか、シルヴィさんからいたずらめいた目を向けられていた。
「性の快楽なんて知ったら、どうなっちゃうのかしらね。別人みたいに乱れるのかも」
そんなことを耳打ちされ、心の中がざわついているのを自覚してしまった。
冗談だろうと笑い飛ばしたい。セリーヌには清楚でしとやかな印象を持っているだけに、それが崩れてしまうのは複雑だ。
しかしその一方で、乱れる女神を見てみたいという興味と願望もある。崇高なる美女を絶頂へ導き、自分の色に染め上げてみたい。
「盛り上がってるところ悪いんだけど、そろそろ動き出さないか。時間が惜しい。でも、ユリスにひとつ確認したいことがある」
「なんでしょうか……」
レオンが声を上げるのは珍しい。気付けば、全員の視線がふたりへ向いていた。
「マルティサン島は宝石だけでなく、良質な魔鉱石も採れると聞いた。それを譲ってもらうことは難しいのかな。こっちでは手に入らない装備が用意できるし、戦いも有利になる」
「マルティサン島の鉱石を?」
いぶかしげな顔をしたユリスは腕を組み、値踏みするように俺たちへ視線を巡らせた。
「このまま順調に訓練を終えれば、島民からの信用を得られる可能性はあります。何より、あなたの力を求める純粋な姿勢は胸を打たれるものがありますし、テオファヌ様もあなたに好意を持っているのが伝わってきます。レオンさんに限れば、魔鉱石をお譲りすることは可能だと思います」
「レオンに限れば? どういう意味だよ」
「そのままの意味です」
ユリスに冷たくあしらわれてしまった。こんな扱いを受けるのは、なかなか胸が痛い。
彼を懐柔させられればセリーヌとの仲も順調に進む。友好関係の構築は非常に重要だ。
「なんだか、俺だけ扱いが酷くないか」
「当然でしょう。姉さんの恋敵として島中に宣言してしまったんですから。歓迎されていると考える方がどうかしている」
「ユリス、おまえもまだまだだな。勝ち馬に乗る、っていう考え方はできないか」
「あなたが勝ち馬だとでも?」
「当然だろ。ここに滞在する期間で、しっかり見極めればいいさ。誰が本物なのか、嫌というほどわからせてやるよ」
「期待に応えてくれる逸材ならば、相応の評価と対応をするだけです」
「絶対に損はさせねぇよ」
「当てにはしませんけどね」
顔色ひとつ変えず、さらりと言い放つ。
どうにも食えない奴だ。若いくせに神官を務めているだけのことはある。
セリーヌの代理として持ち上げられているだけかと思っていたが、芯を持って民を引っ張っていこうという気概を感じさせる男だ。
「ほらほら。いつまでも話し込んでないで、早く服を買いに行こうよ。それが済んだら、お待ちかねの食事会だよ」
待ちきれないという顔のアンナから、強く腕を引かれた。こうなってしまっては、空腹が満たされるまで言うことを聞かないだろう。
「わかった。わかった」
「急がないと、マリーちゃんのお腹と背中がくっついちゃうんだから」
「え? 私ですか」
「あったりまえでしょ。さっきから、お腹すいたなぁって顔してるじゃん。気付いてないとでも思った」
「いえ、あの……そんな顔をしていました? お腹がすいた顔っていうのがどんな表情かわからないけど、なんだか恥ずかしい」
「お腹がすいた顔ってのは、こんな顔」
アンナは口を半開きにして、虚空を上目遣いで眺めている。
「私、そんな顔してません」
「それは、間抜け顔って言うんだぞ」
「リュー兄、そんな指摘はどうでもいいから、早く買い物を済ませるよ」
アンナに急かされながら仕立屋と武器屋を巡り、俺の冒険服とレオンの軽量鎧を買い換えた。そのまま、食事会へとなだれ込む。





