13 見えない悪意を纏った夜
杖さえ奪えば無力化できる。
膝蹴りという一手が脳裏をよぎるが、格闘へ踏み込む非情さは持ち合わせていない。
「渡しません。絶対に!」
俺を睨みつける瞳は鋭く、退路を塞ぐ。卑怯だと笑われても構わない。ここでひとつの策を放つしかない。
「どうだ!」
無機質な杖から左手を離し、セリーヌの胸を法衣越しに鷲掴みにした。これに驚いて狼狽するはずだ。
「飛竜斬駆!」
想定外の反撃が飛んできた。
セリーヌは眉ひとつ動かさず、腹部へ衝撃波を浴びせられた。
甲高い破砕音と共に体は空を描き、背中から地面へ叩きつけられた。
息が抜け、内臓が軋むような激痛。腕輪がガラスの割れる警告を発し、魔力障壁は消滅した。
それでも後戻りはできない。この戦いの先に兄がいる気がする。
残された力を振り絞り、どうにか立ち上がる。セリーヌはすでに杖を構えていた。
「ラグ。来いっ!」
右腕を水平に突き出す。甲へ刻まれた紋章に相棒の姿が吸い込まれる。代わりに、解放感と高揚が身体を満たした。
「まさか竜臨活性を!? 一日に二度も使えば身体が……」
「関係ねぇ! 負けたら終わりだ!」
身体中が悲鳴を上げる。残された力を考えれば、次が最後の一撃だ。
剣を構え、刃に意識を集中する。
もしこの剣が本当に神器なら、今こそ力を示せ。数年、沈黙してきただけだ。俺が正当な所有者でないからと無視をしていたのか。
「応えろ! 神竜剣ディヴァイン!」
その瞬間、血が全身を巡るように剣へ力が流れ込んだ。碧色の刃が銀色の光を帯びる。
セリーヌの目が驚きで見開かれ、整った顔に動揺が走った。
「神竜剣が呼応している……」
迎撃体勢へ入る彼女を見て確信した。今ならすべてを斬り裂ける。
セリーヌが杖を振るった。
「飛竜斬駆!」
軌跡に沿って、真空の刃が顕現。あれを受ければ終わりだが、俺にもこの力がある。
頭に一閃の像が浮かんだ。相棒のラグを模した竜の姿。大地を抉り、空を駆ける光。
気付けば、竜が乗り移ったように吠えていた。上段に構えた剣を振り下ろす。
銀の竜が噴き出し、迫る真空の刃を容易く打ち砕いた。勢いは止まらず、その先に立つセリーヌの身体を飲み込む。
彼女の腕輪が警告音を上げ、光が走った後には、仰向けに倒れる彼女がいた。
銀の軌跡は河面をふたつに引き裂き、闇へ溶けてゆく。
それを見届けたように、剣へ流れ込んでいた光は消え失せた。体は重さを増したように萎え、右手の紋章からラグが飛び出してきた。
「くそっ……」
竜臨活性が切れた。二度目の代償は小さくない。持続は短く、身体が動かない。
月を仰ぎ見るようにその場に倒れ込み、ラグが胸を張って耳元で吠えた。
「勝った……勝ったぞ!」
疲労のただ中に、満ち足りた充足感がある。
勝てば約束どおり好きにできるはずだ。まずはパーティ契約を交わし、情報を引き出すか。そんな淡い妄想が浮かぶ。
いや。待てよ、俺。パーティを組むどころか、もっと凄いことだって。
一糸まとわぬセリーヌを妄想していると、向こうで物音が聞こえてきた。
どうにか頭だけを起こす。杖で体を支え、微笑みを浮かべているセリーヌが見えた。
「あれをくらって動けるのか?」
「お見事です。これが私以外の存在なら、決着はついていたでしょう」
「どういう意味だ?」
彼女は純白のロングコートに手を当てた。
「これは神竜衣プロテヴェリ。竜の鱗と骨の粉末を織り込んだ品で、神竜の加護まで受けた品です。これが竜撃の威力を軽減したのです。あなたはもう動けません。これで決着です」
彼女は胸に手を当て、癒やしの竜術を展開した。傷はみるみる消えてゆく。
安堵さえ感じさせるその所作を、俺はただ黙って見つめるしかなかった。
「あなたの力を試すためとはいえ、約束を破って竜臨活性を使ってしまう所でした。それほどまでに追い詰められました」
隣へしゃがみ、長剣を拾い上げるセリーヌの声に、悔しさが逆巻く。
「あなたの覚悟は拝見させて頂きました。竜の力は本物。片鱗は確かにありますが、神器を操るには未熟です。今後の可能性を見込み、命までは奪いません。ですが、この剣は返して頂きます。責任を持って長老へ届けますので御安心ください」
「待ってくれ。それは兄貴を追う唯一の手掛かりなんだ。それに、まだ戦える」
言葉が体に伝わらない。動くはずの身体が、まるで他人のように重く感じられる。
「気持ちに身体が追いついていませんよ」
セリーヌはため息交じりに言い、両手で俺の頬を押さえつける。動けぬまま、悔しさと焦燥が胸を締め付ける。
「あなたが竜の力をどのように得たのか興味はありますが、それを知るのは別の機会に。この戦いの記憶を消します。そしてこの剣は、魔獣アレニエに奪われたという記憶へ書き換えさせて頂きます」
「待て。やめてくれ!」
抗議は届かない。セリーヌが見下ろす瞳に、黄金色の光が宿る。
ラグの吠える声が遠くに聞こえる。視界が滲み、黒に溶けていった。
※ ※ ※
目を覚ますと、街の南門脇のベンチにいた。
門を見張る衛兵が運んでくれたそうだが、木陰に倒れていたところを助けられたらしい。
記憶は断片的だ。大森林でルノーさんを助け、ブレスレットを取り戻し、アレニエの巣穴で剣を奪われた。冒険者の一団と戦い、アンナとレオンに救われて街へ戻った。
その後、気晴らしのつもりで散歩に出たはずだが、その道程すら定かじゃない。
「どうなってんだ?」
冒険用の装備に身を包み、膝にラグが落ち着かぬ様子で座っている。
帰路の馬車でセリーヌに癒やしの魔法を受けた記憶はあるが、心は何処か粉々だ。
帰宅してベッドに倒れ込み、いつの間にか眠り込んでいた。そして、目覚ましというには派手すぎる轟音で飛び起きた。
深夜三時だというのに、通りには大勢の人だかり。騒ぎが起きたのは街の中心部だ。
「何があったんですか?」
「爆発騒ぎが起きたみたいなんだよ」
表に出ていたイザベルさんも不安顔だ。
「魔獣の襲撃か?」
しかし、防御壁が破られた形跡はない。混乱の中、人波が左右に割れ、一頭の白馬が現れた。
「びゅんびゅん丸?」
その背には、ぐったりと横たわるナルシスがいる。指先から赤いものがしたたり落ち、血の匂いが鼻腔を刺した。
「どうした!?」
駆け寄るとナルシスは薄目を開け、腕を必死に掴んできた。
唇が震え、目には涙も光る。文字にならない叫びが、俺の胸を締めつける。
「リュシアン・バティスト。姫の宿泊先、天使の揺り籠亭に賊が忍び込んだ……すまない。力及ばず、姫がさらわれた……」
「セリーヌが!? 賊はどこに行った?」
「わからない……姫を、姫を助けてくれ……頼れる人物は君しか思いつかなかった……」
それだけ告げると、ナルシスは力尽きたように意識を失った。
こいつが俺を頼るなどよほどの事だ。断る理由などない。
その瞬間、胸の底で何かが燃え上がる。怯えと怒りが混ざり合い、理性より先に行動を決めさせる。
いや、違う。ナルシスのためじゃない。俺は、俺自身が、セリーヌを失いたくないんだ。
あいつは大森林の依頼で疲弊していた。
強力な魔法を持ちながらも屋内で狙われ、魔法の使用をためらった結果がさらわれたのなら耐えられない。
だが、どうしてあいつが狙われた。魔導師としての力か。それとも容姿か。何にしろ、今までひとり旅を続けて無事でいられたことの方が奇跡なのかもしれない。
胸の奥がどうしようもなく騒ぎ、込み上げる怒りを押さえることができない。
あいつに何かあれば、相手が人間だろうと、徹底的に潰す。
「待ってろ。必ず助ける」
見えない悪意を纏った夜に向けて、俺は拳を握りしめた。
明日の行方が見えなくとも、動き出すしかないのだから。
QUEST.02 ムスティア大森林編 <完>
<DATA>
< リュシアン=バティスト >
□年齢:24
□冒険者ランク:A
□称号:碧色の閃光
[装備]
冒険者の服
< セリーヌ=オービニエ >
□年齢:23
□冒険者ランク:D
□称号:ドンブリ娘(仮)
[装備]
神竜杖ディヴィセプトル
蒼の法衣
神竜衣プロテヴェリ
神竜剣ディヴァイン
< ナルシス=アブラーム >
□年齢:20
□冒険者ランク:C
□称号:涼風の貴公子
[装備]
細身剣
華麗な服
< アンナ=ルーベル >
□年齢:22
□冒険者ランク:A
□称号:神眼の狩人
[装備]
双剣
クロスボウ
軽量鎧
< レオン=アルカン >
□年齢:24
□冒険者ランク:A
□称号:二物の神者
[装備]
ソードブレイカー
軽量鎧
< シモン=アングラード >
□年齢:30
□冒険者ランク:なし
□称号:衛兵長
[装備]
戦鎚
軽量鎧
< ルノー=ブラショ >
□年齢:62
□冒険者ランク:なし(元B)
□称号:殺人道具の探求者
[装備]
スリング・ショット
冒険者の服
ラフスケッチ画:やぎめぐみ様
twitter:@hien_drawing





