20 奪われた宝玉
「我の額に埋め込まれていた、理力の宝玉と呼ばれる宝石だ。神竜に代々引き継がれ、この世界に住む魔獣たちの感情を制御していた。先の戦いの最中、彼の魔獣に額を食いちぎられ、奴が宝玉を飲み込んだのを確認している」
奪われたものは想像を遙かに超えていた。ガルディアの言う通りなら、世界の根幹に関わる重要なものに違いない。
「感情を制御っていうことは、魔獣たちが凶暴化したことと関係があるんですか?」
『うむ。宝玉を奪われたばかりに制御が利かなくなっている。それさえ戻れば、世界の均衡を以前の状態に戻すことが可能だ』
「確かに前は魔獣もそこまで危険な存在じゃなかった……冒険者ギルドでも、討伐依頼なんてほとんどなかったと聞いています」
シャルロットの顔が不意に思い浮かんだ。
『狼型魔獣だって野良犬みたいなものだったそうですよ。人を襲うなんて滅多になかったって、お父さんも言ってました。でも私は、狼になったリュシアンさんに襲われたいです。きゃっ。うれしいけど困っちゃう』
赤くなった頬に手を当て、腰をしならせる。
『あのなぁ……そういうことを軽々しく口にするんじゃねぇ。冒険者なんて、ただでさえ荒くれ者が多いんだ。どこぞの馬鹿が聞きつけて、襲われでもしたらどうするんだ』
『その時はリュシアンさんが助けてくれるんですよね。お礼に、私のすべてを捧げます』
『重すぎるから遠慮しとくわ』
『ちょっと。酷くないですか。すべてを捧げるって言ってるんですよ。今ならおまけで、お父さんの魔力映写も付けますから』
『尚更いらねぇわ』
そんな軽口を交わしていた頃が懐かしい。王都での一件から俺たちの関係も変わった。今更、あの頃のようには戻れない。
「やることは単純か。魔獣、ブリュス・キュリテールを倒せばいいだけのことだ」
感傷に浸っていると、勇むレオンの声が聞こえてきた。やる気に満ちた顔は、どこか吹っ切れたようにも見える。
「そういえば、レオンとナルシスの目的は魔獣の駆逐だったよな。理力の宝玉を取り返して魔獣が大人しくなれば、目的は達成したも同然ってわけか」
レオンは故郷を滅ぼされ、ナルシスも母親を亡くしている。魔獣に対して並々ならぬ恨みを抱いているのは明白だ。
「涼風はともかく、俺の目標は殲滅だから。宝玉を取り戻したとしても、大人しくなるだけじゃ完全とはいえない」
「それはわかるけどさ……死ぬまで戦い続けるつもりか」
「必要ならね」
「そんな生き方は悲しすぎます」
マリーが悲鳴のような声を上げた。祈るように両手を組み、隣に立つレオンを見上げる。
「魔獣が大人しくなれば、戦う必要なんてないじゃないですか。大切なことを見つけて、御自分のために力と時間を使ってください」
「大切なこと? そんなもの、考えたこともない。戦うことだけがすべてなんだ」
「だったら私を頼ってください。私はいずれ、大司教様の後を継ぎたいと思っています。悩める方を救い、道を示してあげられるような存在になりたいんです」
「俺には必要ない。死に場所は自分で探す」
「レオン様!」
心に留める様子もない。腕を組み、マリーを視界から排除するように顔を背けた。
「いいんじゃねぇか。生き方は人それぞれだ。魔獣たちが大人しくなった姿を見たら、やっぱりやめたって、剣を置く日が来るかもよ」
「それはそうかもしれませんけど」
「今はみんな、目の前のことで精一杯なんだよ……その時、その場所に立って、初めてわかることもたくさんある。無理に生き方を縛る必要なんてないんだ」
「あなたがまともなことを言うなんて珍しいですね。矢でも降ってくるんじゃないですか」
「あのな……」
言い返した途端、花の咲くような可憐な笑顔を見せてきた。綺麗な顔立ちをしているだけに、つい見とれてしまいそうになる。
咄嗟に顔を反らすと、こちらを見ていたセリーヌと目が合った。
俺たちのやり取りを微笑ましく思っているのだろうか。口元へ微笑を浮かべているが、なんとなく気まずい。
「ガルディア様。話が逸れましたけど、魔獣はどうして理力の宝玉を狙ったんですか。偶然なのか、そこまでの考えがあったのか」
『我が相対した際には、高い知性は感じなかったのだがな……』
「それは俺も同意見です。破壊衝動だけで突き動いている印象を受けました」
「ブリュス・キュリテールが本当に造られたものだとしたら、その後に攻めてきたっていう黒い全身鎧の戦士たちと繋がっているんだと思うけど。そいつらが魔獣を使って、宝玉の奪取を企んだのだとしたら」
レオンの言うことももっともだ。
「竜を掴まえに来たっていうならわかるんだ。でも、宝玉を奪って守り人たちを連れ去ったんだろ。そいつらの狙いがわからねぇ」
「竜を連れ去るなど非常に困難なことです。我々を捉えた方が容易なはずです」
セリーヌは深刻な顔でつぶやいた。
「確かにそれも一理あるな」
「おまえはそんなことまで話したのか」
ディカさんが険しい顔でセリーヌを睨んでいるが、彼女はそれを涼しい顔で受け流す。
闘技場にいた時のセリーヌとは別人のようだ。開き直ったように、長へ抱いていた恐怖心が微塵も見られなくなっている。
「守り人たちが魔獣を追ったと聞きました。神器も持ち出されたそうですが、俺が手にしたあの宝玉はなんだったんですか」
『我の生命力を凝縮し、この体から切り離したものだ。それが具現化し、宝玉という形になった。傷を癒やすには永き眠りに就く必要があったが、活動を止めるわけにはいかぬ。せめて情報だけでも得ようと意識と力の一部を封じ、光の民へ託したのだ』
「それが巡り巡って俺の所に……だけど、どうして兄貴には反応しなかったんですかね。故郷では聖人とまで言われた存在なんですよ」
『単純に相性の問題であろう。我と汝の波長が偶然にも一致したということだ』
「ガルディア様の力が兄貴に宿っていれば、俺が冒険者になることはなかったと思います。つくづく不思議な縁ですね」
『まったくその通りだ』
ガルディアの顔が守り人たちへ向けられた。
『ディカ。ひとつ賭けをせぬか』
「賭け、ですと?」
『うむ。この者たちが、災厄の魔獣を討ち果たせるか否か。賭けの結果を見るまで、セリーヌの婚姻の儀は保留とする』
「それはまさか……」
ディカさんとユリスが狼狽しているのがはっきりわかった。しかし、民たちが長へ逆らえないように、神竜の命令は絶対なのだろう。
『御主もわかっておろう。この者たちに機会を与えてやれと申しておるのだ』
ガルディアは残された右目を使い、俺とセリーヌを順に見渡した。
『御主らが災厄の魔獣を討ち果たした暁には、婚姻を認めよう。我らは魔獣討伐の目標を掲げ、この者たちへ訓練を施すことにする』
「訓練!?」
婚姻の許可は嬉しいが、様々なことが起こりすぎて頭が付いていかない。
『プロスクレの施した氷の封印が解けるまでに一年。その期間のすべてを使い、汝たちの力を最大限に高めてやろうというのだ』
「ありがたいですけど、何が起こるんですか」
ここからは完全に未知の領域だが、強くなれるのなら断る理由はない。





