44 強い気持ち
レオンたちは風の球体に包まれ、地上へ向けて移動していた。比較的ゆっくりとした速さで落下しているものの、二十メートルほどの高さがある。一歩間違えば即死だ。
耐えかねたマリーの悲鳴が上がる。彼女はレオンにしがみつき、その背へ顔を埋めた。
「マリー、しっかり顔を上げなよ。もしもの時は、水中で君の魔法が頼りだから」
「レオン殿の言う通りだ。そなたの魔法の腕は確かだと聞いている。神器回収の成否は、その腕にかかっていると言っても過言ではない」
眼下の地底湖を睨み、魔法剣を構えるレオン。それに習い、コームも愛用の長剣を抜き放った。
ふたりの声を耳にして、マリーは怯えた表情で顔を上げる。
「お待ちください。私なんかに、過度な期待を寄せられても……聖女なんてもてはやされていますけど、そんな大それた力はありません。それにこれまでの力も、セリーヌ様からお借りした首飾りのお陰で……」
「自信を持ちなよ」
突き放すような口調のレオンだが、そこには深い信頼と力強さが込められていた。
「君は自分の力をもっと誇るべきだ。俺たちだって、負ける気で依頼に望むようなことはない。絶対に成功させるっていう強い気持ちが、自信と運を引き寄せるんだよ」
「でも……」
消え入りそうなマリーの声が背後から聞こえる。レオンは苛立ちに顔をしかめた。
これだから困るんだ。
いつもなら周囲の誰かが助けてくれる。しかし、ここには三人しかない。
マリーへ深入りすることを避けたい自分と、何とかしてやらなければという自分。三人で旅をする間、心の中で葛藤が続いていた。
「何かあれば、俺たちが全力で支えるから。碧色にあれだけ食って掛かる気概はあるんだ。本気になれば、首飾りがなくたって十分に強いんだよ」
「それとこれとは別ですよ」
「着水するぞ」
マリーとコームの声は同時だった。
三人を包んだ球体は、勢いもそのままに地底湖へ飛び込んだ。
「マリー。明かりの用意を」
日差しは遮られ、途端に闇へ覆われる。
黒一色かと思われた世界だが、水の透明度は彼らが思っていた以上に高い。
マリーの放った光の魔法が、三人を導くように闇を照らし出す。それに呼応するように、緑の淡い光が反応した。
「あの光はなんなのだ?」
コームが警戒のつぶやきを漏らす。
「たぶん、洞窟の天井や壁が崩れて、堆積したものだと思う。ヒカリゴケのようなものが光を放っていたのを覚えてる」
レオンは答えながら、風の結界へ左手を伸ばした。指先が硬質の感触を捉える。
風竜王の離脱はレオンにとっても誤算だった。しかし、それを口にしてしまえばマリーを再び不安にさせてしまう。冷静なふりを装い、心を鎮めるよう努めた。
「この結界の持続時間と強度がわからない。俺とマリーは加護の腕輪があるから五分程度は潜っていられるけど、コームさんは違う。念のため、マリーは潜水魔法の準備を頼む」
「承知しました」
マリーは力強く頷いた。レオンから離れ、祈るように両手を組む。その顔には、レオンの期待に応えたいという意志が滲み出ていた。
「しかし、いかようにして魔獣を探すつもりなのだ?」
コームの表情は疑心に満ちている。
「ここに沈んだけど、元はかなりの大きさだった。食い散らかされている可能性もあるけど、遺体は残っているはずだよ」
「御主がそう言うのであれば、ここは信用するしかあるまい」
結界に触れていたレオンの左手が、緑色の輝きに包まれた。それを解き放つと、垂直に落下していた結界へ横移動の力が生まれる。
「風竜王の力もだいぶ馴染んだ。俺がこの結界を操って湖底を探すから」
「レオン様、さすがです! その体へ並々ならぬ魔力が漲っているのがわかりますよ」
「当然だよ。ぬるい鍛え方はしてないから」
ふたりのやり取りを耳にして、コームはたまらず唸り声を上げた。
リュシアンを起点として、このパーティにはそうそうたる人員が集っている。彼らの助力を得れば、災厄の魔獣を駆逐することすら遠い未来の話ではないと思えていた。
「お待ちください」
不意にマリーが声を上げた。
「着水と同時に、私の魔力が網のように広がってゆくのを感じていました。もう少し奥へ行った位置に、大きな物体を捉えています」
「水竜女王の力が働いてるのか?」
「そうかもしれません。見えない力によって守られている安心感があります」
そうしてマリーに導かれるまま、レオンが風の結界を操る。程なく、三人の前にどす黒い塊が姿を現した。
姿かたちは見る影もない。引き裂かれ崩れた体は、巨大な海藻の山を思わせた。
「ベルヴィッチアの死骸だ。間違いない」
更に近づこうと、レオンが結界を推し進めた時だった。
「危ない! すぐに回避を!」
マリーの声が力を持ったように、魔獣の死骸が勢いよく弾けた。途端、その陰に潜んでいた何かが、赤い光を宿して飛び出してきた。
風の結界が右方向へ流れる。その横腹を掠め、大きく長い物体が横切ってゆく。
「サーペント・デューか……」
レオンが苦い顔でつぶやく。コームは水中へ目を凝らし、誰に言うでもなく口を開いた。
「水蛇の魔獣か?」
「水蛇ならぬるい。もっと厄介だ。三つの頭を持ち、水と氷の属性を操る。体長十メートルはくだらない大型魔獣だよ」
レオンは素早く視線を走らせ、考えを巡らせた。わずかな手違いが命取りとなる。
「緊急浮上する。水の中はあいつの独壇場だ」
「神器はどうするつもりだ!?」
敵前逃亡に加え、神器を見捨てようという判断。コームは焦りの色を浮かべた。
「恐らくここにはない。死骸が弾け飛ぶのを見たけど。それらしいものはなかった」
「どういうことなのだ」
「ユーグ。あいつが仕掛けた最後の罠かも」
レオンは足元に向けて力を解き放つ。水の結界が急速に浮上を始めた。
眼下では、いくつもの赤い光が彼らの動きを追っている。
「あの魔導師は、人や魔獣を操る力を持ってた。操作された相手は例外なく、あんな風に目が赤くなるんだ。俺たちが神器の回収に来ることを見越して、前から仕込んでいたのかも」
「姑息なまねを……」
「マリー。湖面に出るまで魔法で応戦。俺は全力で結界を走らせる。地上へ出れば、電撃と炎の魔法があいつの弱点になる」
「承知しました」
マリーは湖底へ向けて風の刃を顕現させた。
結界を貫通して放たれる複数の刃が、迫りくる水蛇魔獣へ降り注ぐ。
「切り刻め」
魔獣を見据え、拳を握りしめるマリー。
そんな彼女をあざ笑うかのごとく、魔獣は踊るような動きで風の刃を掻い潜る。
「うそ!?」
三つの口から次々と水流弾が吐き出された。
風の結界が呆気ないほど簡単に砕ける。水中へ投げ出された三人。振るわれた尾の一閃を受け、散り散りに弾き飛ばされた。





