39 花言葉
だが、セリーヌの呼びかけに応じる気力もない。いや、そうじゃない。彼女へどんな顔を向ければいいのかわからないだけだ。
大事なものは自分の力で守るんだ。
ランクールの街に住む、エリクの顔が浮かぶ。祖父が口にしていたという、その言葉の重みがのしかかってくる。
「俺は……守れなかった……大事な故郷の風景を、無残な姿に変えた……」
生命の樹へ触れた手のひらに、すすがこびり付く。目の前の風景も、思い出も、すべてが黒に侵食されてしまった。
あと数時間も経てば日が昇り、闇が支配する時間も終わりを告げる。しかし黒に侵食されたこの場所は、たとえ朝が訪れようと変わらぬ黒を映し出すだけだ。
「リュシアンさんひとりの責任ではありません。この街が狙われていることを知っていたのですから、私も同罪です」
背後へセリーヌが近付いてくる気配がした。背中へ手を置かれたのか、温もりが伝う。
「あなたの苦しみの半分を、私にも背負わせてください」
「がう、がうっ!」
自分もいるぞと言わんばかりに、耳元でラグも吠え立てる。
みんなの支えが本当に嬉しい。ただ、どれほどの温もりを与えられようと、心を侵食する黒を拭い去ることができない。
「王都が襲われた時もきつかったけど、今回はそれ以上だな……やっぱり、故郷っていうのはいつまで経っても特別なんだな」
周囲の優しさに甘えて、苦しみのすべてを吐き出してしまいたい。
俺にはまだ、救世主と呼ばれるに見合うだけの力がないのだ。自分でそれを認めてしまえば、すべてが壊れてしまいそうで怖い。
「リュシアンさんの苦しみはとても良くわかります。私の故郷も、災厄の魔獣によって蹂躙されましたから……」
背中へ触れるセリーヌの手が震えている。怒りと嘆きを押し殺すように、その手は俺の冒険服をきつく握りしめてきた。
「そうか……セリーヌの故郷も……」
故郷を奪われたのは、レオンやマリーも同じだ。辛いのは俺だけじゃない。
「みんなの強さを見習わないとな……ここで立ち止まっていたって何も変わらない」
足元の大地も炎で焼かれた。草花は消え、土が剥き出しになったみすぼらしい姿だ。更なる侵食を防ぎ、少しでも多くの生命を守るため、俺たちは歩み続けなければならない。
弱さを振り払おうと努めると、セリーヌが小さな笑みをこぼしたのがわかった。
「私が強いのではありません。いつでも力をくださる方がいらっしゃるのです。その方の言葉と存在に、いつも支えられております」
「そうなのか……凄い奴がいるもんだな」
俺にとっての兄やフェリクスさんのようなものだろう。セリーヌの支えになれるというだけで、その相手に嫉妬してしまう。
「がう?」
ラグが間抜けな声を上げる。そして、背中越しにセリーヌのため息が聞こえてきた。
「リュシアンさん……あの……ここからは、絶対に振り向かず聞いてください」
冒険服を握る手へ、更に力が込められた。
「私のお慕いする方はおっしゃいました……」
胸の奥が騒ぎ、鼓動がひとつ高鳴った。
「もう下を向くのはうんざりだと。前だけを見て、これからも進み続けて行かなければならないと。私は感銘を受けました。この方と共に歩んでゆきたいと、切望しております」
嫉妬に狂う脳内は、途端に混乱を始めた。
俺は今、何の話をされているのだろう。
「そのご本人が、歩みを止めてどうするのですか。前を見ることがつらいのなら、私を見てください。手を取り、共に歩みますから」
彼女の気持ちが痛いほど伝わってくる。俺はこうして、悲劇の主人公を気取りたいだけなのかもしれない。
「私と共に歩んで頂けませんか? 私が歩む道には、リュシアンさんが必要なのです」
振り向くと、瞳へ涙を滲ませたセリーヌが立っていた。彼女の肩へ手を伸ばし、無言のままに抱きしめる。
「ありがとう。俺はもう立ち止まらない。この力でどんな時でもセリーヌを守る。手を取りあって、共に歩むことを誓うよ」
腕の中に抱いた存在へ視線を向ける。
「リュシアンさんに守り人の血が流れていると知った今、何のわだかまりもなくなりました。私も自分の心に従って生きてゆきます」
涙と共に微笑みを浮かべる彼女へ、ゆっくりと顔を近付けたその時だ。
「すべての光が潰えたと思っていたが、新たな希望が芽吹いたようだな」
突然の声に驚かされた。目を向けると、司祭様と母が俺たちを見つめている。
あまりの驚きで固まっていると、セリーヌも真っ赤な顔をして俺から距離を取った。
「驚かせてしまってすまん。静かになったようなので、皆の代わりに様子を見に来たというわけだ。邪魔をしたな」
「いえ、そんなことは……」
恥ずかしさで、司祭様と母をまともに見られない。それにしても、セリーヌと口づけをしようとするといつも邪魔されるのはなぜだ。
「おおよその話はサンドラから聞いている。なぜこの街が狙われたのかもな。そのことで、おまえだけが責任を感じる必要はない。ジェラルドからの連絡が途絶えた時点で、遅かれ早かれこうなる運命だったのだろう」
「だけど、少しでも被害を減らす方法があったんじゃないかって思うと……」
「過ぎたことを嘆いても仕方あるまい。慎重なジェラルドはともかく、前だけを見て突き進むのが、おまえの取り柄なのだ」
「それはそうなんですけど……」
「すべては竜の導きのまま。失われた生命もやがては生まれ変わる」
両手を組んで黙祷を捧げた司祭様は、不意に林の方角へ目を向けた。
「オリヴィエの花言葉を知っているか」
「え?」
突然のことに、セリーヌと顔を見合わせて首を傾げてしまった。
「再会、ですよね」
母の言葉に司祭様は深く頷いた。
「その通り。オリヴィエの香りに導かれ、我々は来世でも巡り合う。再会した時に胸を張って顔を合わせられるよう、残された我々は精一杯に生きる義務があるのだぞ」
「オリヴィエに、そんな意味があったなんて知らなかった……」
「リュシアンさん。私たちの再会も、予め決められていたのかもしれませんね」
微笑むセリーヌの顔がとても綺麗に映る。
「司祭様のおっしゃられた通り、亡くなられた皆様の分まで懸命に生きなければなりません。真っ直ぐ前だけを見て」
「時々は、隣に見惚れてもいいんだろ?」
セリーヌにささやいた途端、彼女は真っ赤な顔で固まってしまった。
「あの……その……支障のない範囲でなら」
すると、司祭様の笑い声が聞こえてきた。
「やれやれ。死者の弔いと街の復興へ取り掛かる前に、おまえたちの挙式が必要か」
「司祭様、焚き付けられては困ります。セリーヌさんもご自身の立場を……」
「それに関しては問題ありません」
困っている母に向かい、セリーヌは口調を荒げて抵抗した。
「リュシアンさんには後ほど、改めてお耳に入れておきたいお話があります。今後の人生を左右するほどの内容かもしれませんが……」
セリーヌの真剣な眼差しに、ただごとではない雰囲気を感じてしまった。





