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碧色閃光の冒険譚 ~竜の力を宿した俺が、美人魔導師に敵わない~  作者: 帆ノ風ヒロ / Honoka Hiro
QUEST.10 フォール編

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38 幸せになる権利


「があぁぁぁ……」


 モニクは声にならない苦悶の呻きを上げる。


 彼女を助ける義理はないが、まだ俺の知らない情報を握っている可能性がある。


「くそっ」


 起き上がろうにも力が入らない。体は既に限界を超えている。


「ドゥ……ニ……ル」


 囁くように漏れたモニクの言葉。

 魔法を使うつもりなのかと思ったが、そんな甘い考えを一瞬で捨て去った。


 ドゥニール。兄の手を借り、窮地を脱するつもりか。


「ふざけんな」


 怒りを吐き出した途端、頭上を羽ばたいていたラグが視界へ映り込む。


「がう、がうっ!」


 相棒が吠える先へ顔を向ける。そこには、鎧を脱ぎ捨てた冒険服姿の兄が走っていた。


 洗脳の魔法の影響だろうか。目には赤い光が宿っている。その右手には、オニールが使っていた長剣が握られていた。


「兄貴……」


 しかし、魔獣も黙ってはいない。兄や仲間たちの接近を目に留め、モニクを掴んだまま逃げ出してしまった。


「あの野郎……」


 何もかも、信じられないことの連続だ。


 逃走の直前、猿型魔獣は俺を見て確かに笑った。歯を剥き出して笑う顔は、人間のそれにほど近い。あの笑顔が偶然でないとすれば、高度な知能を持った魔獣ということになる。


 魔獣の姿が林の中へ消える。兄もまた、敵を追って林の中へと潜り込む。


「兄貴を止めてくれ……」


 最初に駆けつけてくれたのはセリーヌだ。魔獣には目もくれず母の元へ(ひざまず)き、即座に癒やしの魔法を顕現させる。


「アンナ、行くわよ!」


「うん。任せて!」


 風の移動魔法を纏ったシルヴィさんとアンナが、林の中へ飛び込んで行った。


(あね)さんにアンナ(じょう)! そんなに急いだら、オイラの魔法の範囲外になっちまうっスよ」


 エドモンが慌ててその後を追っている。俺は咄嗟に、並走するナルシスを見た。


「みんなを止めろ。深追いするな!」


 先程までの戦いを見て悟った。あの猿型魔獣とまともに戦えるのは、竜臨活性(ドラグーン・フォース)を使えるセリーヌだけだ。


「善処はする。とても言うことを聞いてくれるような人たちとは思えないけれどね」


 呆れ顔を見せるナルシスだが、それも納得だ。この奔放な面々をまとめていたフェリクスさんは本当に凄い人だ。


 静けさを取り戻した草原に残され、俺はようやく上半身を起こすことができた。


「セリーヌ。母さんの具合は?」


「気を失っておりますが、容態は安定しています。治療は間もなく終わりますから、じきに目を覚まされると思います」


「良かった……ありがとう」


 胸を撫で下ろすと、左肩の上へラグが着地してきた。相棒はあらぬ方向へ視線を向け、警戒の唸りを上げている。


 何事かと視線を追えば、痛みに顔をしかめて立ち上がるエルヴェが目に付いた。

 俺も同様に剣を付いて立ち上がる。このまま座り込んでいるわけにはいかない。


 エルヴェにゆっくり近付いてゆくと、彼は困ったような笑顔を見せてきた。


「思わぬ闖入者だが、あれはなんなんだ」


「俺にもわからねぇ。変異種かもな」


「オニールが死んだ。俺がこうして生きていられたのは奇跡のようなもんだ」


「どうだろうな。俺には、モニクとオニールだけを狙っていたようにも思える」


「冗談だろ? 魔獣が明確な意思を持って、獲物を選別したっていうのか?」


「そういう可能性がある、ってだけの話だ」


 信じられないという顔で頭を振っている。


「ともかく、俺はギルドへ戻る。あんたの件も含めて話を付けなきゃならん。オニールのことは、不測の事態ということで納得してもらうしかないだろうな」


 エルヴェは二の腕に嵌めた腕輪を、人差し指で小突いてみせた。


「幸い、魔力映写(まりょくえいしゃ)で魔獣の姿は写した。あんたへ火の粉が降りかかることはないだろう」


「そうしてもらえると助かる」


「クロスボウはここに置いていく。それから、オニールが奪った日誌も返そう。俺には必要のないものだ」


 淡々と事を進めながらも、どこか名残惜しそうに見えるのは気のせいだろうか。


「碧色。シルヴィが戻ってきたら、よろしく伝えてくれ。彼女のことを頼む」


「自分の口で伝えたらどうなんだ」


 エルヴェは自嘲気味に微笑んだ。


「俺はどうも嫌われているらしい。手荒いことをした覚えはないんだがな」


「あの屋敷に、良い思い出がないんだろ」


 エルヴェは顔をしかめ、頭髪を掻き乱す。悔しさと後悔が入り混じったような顔で、ここではないどこかを見ていた。


「過去を消すことはできないが、忘れて前に進むことも大事だと思うんだ。幸せになる権利は誰にでもあるんだからな」


 その言葉が心に引っかかった。


『リュシーには幸せになる権利があるの』


 シルヴィさんからの言葉だが、ひょっとしたらエルヴェが彼女へ聞かせた言葉なのかもしれない。そう思うと複雑だ。


「その考えには同意するよ。ただ、シルヴィさんに幸せを与えられるのは、あんたじゃなかったっていうだけの話さ」


「言ってくれるな。碧色」


「何度でも言ってやろうか。シルヴィさんが敵とみなす以上、俺にとっても敵なんだよ」


 険悪な空気を吹き飛ばすように、エルヴェは静かに微笑んだ。そして背を向ける。


「冒険者になったと知った時には驚いたが、メンバーに恵まれたようで安心してるんだ。あの屋敷で見ていた頃より活き活きして輝いてる。ずっと魅力的になった。俺ではその輝きを引き出せなかったってことだよな」


 寂しそうに遠ざかってゆくエルヴェの背中を見送った。そこから目を逸らすと、真っ黒に焦げ付いた生命の樹が目に付いた。


 無言のままに大樹へ近づき、変わり果てた姿へ手を伸ばす。


「俺はまた、守れなかった……」


 モニクへの怒り以上に、大事なものを取り零し続けている自分の不甲斐なさに腹が立つ。


『リュシアン。生命の樹まで競争だ』


 小さい頃、兄とこの樹までよく走った。


『もっと上まで登ってみようぜ』


 友達とどこまで行けるか競い合ったこともある。その中には当然、レミーもいた。


「故郷の街も、生命の樹も、街の人も、友達も。何もかもを失った……すまない」


 大樹に拳を打ち付け、額を押し付ける。


 変わり果ててしまった大樹にどれだけの謝罪をしようと許されることはない。街も人も、元の姿を取り戻すことなど不可能だ。


「きゅうぅん……」


 相棒が耳元で鳴いている。


 どうしようもないことだったのはわかっている。それでも俺は、自分の行動が完璧だったのかと問われれば全てを肯定できない。


「兄貴だったら、もっと上手く立ち回ってたのかな……本当にすまない」


 洗脳が解けた兄がこの風景を見たら、きっと俺を責めたてるだろう。失った命を含め、俺は大きな罪を背負ってゆくことになる。


「リュシアンさん。顔を上げてください」


 うなだれた俺の背に届いたのは、凛とした空気を纏ったセリーヌの声だった。

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