10 二物の神者
幸い、断崖を背にしているお陰で、後ろから襲われる危険がないのは唯一の救いだ。
じりじりと距離を詰めてくる冒険者たちとの対峙。森がざわめいたかのような生温い風が抜け、アンナが構えを低くした。
「アンナが敵の後衛に斬り込むよ。弓矢使いと魔導師は任せて。みんなは前をお願い。断崖の横手にアレニエが掘った洞窟があるから、お爺さんはそこへかくまってあげて」
宣言したアンナが飛び出す。ほぼ同時に、二十名ほどの冒険者たちが一斉に襲いかかってきた。ランクールで遭った魔獣とは明らかに質が違う。数も動きも、桁違いだ。
「轟響創造!」
横薙ぎに振るったセリーヌの杖。その軌跡に沿って、電撃が奔った。ナルシスの閃光玉も続けて炸裂する。
だが、前衛たちは白目を剥いた異様な状態のまま突進してくる。視覚が残っているのかさえ怪しく、閃光玉も無効に等しい。
シモンとナルシスが声を上げながら駆け込み、懸命に応戦する。
敵後衛の魔法と矢が雨のように押し寄せる。アンナひとりでは到底抑えきれない。
「がう、がうっ!」
頭上からラグの警告が飛ぶ。それと合わせるように、俺も迫り来る火球を捉えている。
神竜剣には魔力が宿っているため、並の攻撃魔法なら斬り裂ける。それを示すように火球を薙ぎ払うと、熱風が霧散した。
「ルノーさんを早く!」
中堅衛兵をせかし、断崖の巣穴へ向かわせながら、胸の奥に重い葛藤が広がる。
できれば、人は斬りたくない。
その願いが叶う状況ではないと理解しつつも、割り切れない。仲間の制圧だけで済めばいいが、そんな甘さを許す戦況ではなかった。
前ではセリーヌが杖を押さえ込まれ、魔法を封じられている。シモンとナルシスも数人に囲まれ、身動きすら奪われていた。
このままでは、誰かの命が奪われる。
「くそっ……」
駆け出そうにも、うまく力が入らない。竜の力を使った反動で、数時間は全身が思い通りにならない。
それでも、セリーヌだけは見捨てられない。彼女の魔法なら、状況を覆せる可能性はある。
奥歯を噛み締め、力を振り絞る。
人を斬ったことがないなどと迷っている場合じゃない。至宝を守るためなら、心を鬼にしてでも前へ出るしかない。
覚悟を決め、足を踏み出した時だった。
「蒼駆ける風、自由の証。この身へ宿りて敵を裂け! 斬駆創造!」
森の奥から突風が生まれ、幾筋もの風刃が飛来した。刃は唸りを上げ、冒険者たちを容赦なく切り裂いていく。
首が舞い、腕が飛ぶ。胴が割れ、上半身が地へ落ちる。十名ほどが瞬く間に倒れ伏した。
茂みを押し分け、ひとりの男が姿を現す。
黒い短髪が風に揺れ、切れ長の目が獲物を真っ直ぐ射抜いた。端正な顔立ちは、戦場の慣れすぎた静けさを纏っている。右手には短剣。迷いも感傷もない動きで、次の敵を薙ぎ払った。
敵からの斬撃を、男は短剣の背で止める。その刃は普通の剣じゃない。背に櫛状の峰を持つ刀剣、ソード・ブレイカーだ。
巧みに捻り、相手の長剣をへし折る。そのまま喉を裂いた。左手からは風の魔法が連撃となって放たれる。
「魔法剣士なのか?」
剣術と魔法の高度な連動。しかも、たったひとりで戦局をひっくり返す腕前。尋常ではない強さだ。
男が敵前衛を次々と処理し、アンナは後衛の中心へ斬り込む。背のクロスボウを納め、両手には逆手の双短剣。跳ぶような軽やかさと剃刀のような鋭さで敵を翻弄し、ひとりずつ確実に落としていく。
ふたりの横断する戦場を、誰も止められなかった。
「終わったか」
無造作に剣を収める男。感情の欠片も浮かばない瞳に、不快感がじわりと広がる。
そこへ、武器を収めたアンナが駆け寄った。
「ありがとね、レン君。助かったよ」
「森にいた魔獣の方が、まだ歯応えがある」
素っ気なく返す男、レン。そのやり取りに驚き、目を見開く。
「おまえら、知り合いなのか?」
「そっか。リュー兄は知らないんだっけ?」
アンナがいたずらっぽく笑う。
「リュー兄が抜けた後、フェリさんが“秘蔵っ子”だって連れてきたの。年もランクも、リュー兄と同じ。二物の神者って言えばわかるでしょ?」
その名に、嫌でも胸がざわつく。
「こいつが?」
最近ギルドで噂になっていた驚異の新人だ。剣も魔法も並外れた才能を併せ持つ、神の寵愛を受けた存在、レオン・アルカン。
「なにが神だ……」
吐き捨てるように呟くと、言ってやらなければという思いが込み上げてきた。
しかし、そこにナルシスが割り込んだ。
「君が“二物の神者”か。僕はナルシス・アブラーム。会えて光栄だよ」
差し出した手を無視し、レオンはなぜか俺へ歩み寄ってきた。
視線がぶつかり、空気が張り詰める。
込み上げる怒りを抑えられない。気付けば、こいつの軽量鎧の襟元を掴んでいた。
「どうして皆殺しにした? 魔獣じゃねぇ。同じ人間なんだぞ」
「そんなことで怒るの? どう見たって自我は失われてた。殺さなきゃ、こっちが死んでた。それだけだよ」
あまりに無感情な声音。まるで息をするように人を斬る。
「抵抗さえ封じれば良かったんだ。自我を取り戻す方法があったかもしれねぇだろ」
だがレオンは冷め切った目で鼻を笑わせる。
「命の奪い合いをしてる時に、そこまで考える余裕がある? あんたが言ってるのは綺麗事だ。その間に、あの三人は殺されてるよ」
視線の先に、セリーヌ、シモン、ナルシス。胸が軋む。
そこへアンナが割り込み、俺の手にそっと触れる。
「リュー兄……レン君の言う通りだよ。アンナも迷ったけど、迷ってたら誰かが死んじゃってた。これしかなかったんだよ」
苦悩が混じるアンナの表情。それが普通の反応だ。
だが、レオンはまるで“戦いそのもの”のように無機質だった。
「セリーヌは敵の自由を奪うように雷を撃った。おまえは……平然と命を刈っていく。そんな奴が信じられるかよ」
レオンの口端が、侮蔑の色を帯びて持ち上がった。
「碧色の閃光か。ぬるいな。口ばっかりで大したことなさそうだね。今だって、戦ってる姿は全然見てないけど?」
奥歯をきしませ、必死に怒りを抑え込む。
「随分とふてぶてしいな。神者なんて呼ばれて調子に乗ってるんじゃねぇのか」
アンナが慌てて俺たちの間に入ってきた。
「ほら、レン君。揉め事を起こすなって、フェリさんに言われたじゃん」
押し返されるレオンの体が数歩遠ざかる。
「碧色、覚えておきなよ。フェリクスさんが目をかけてるらしいけど、最強は俺だから」
喧嘩を売るような声音。頭に血がのぼる。
「勝手に言ってろ。俺は強さを競いたいんじゃない。大事な物を守れればそれでいい」
その瞬間、レオンの瞳に初めて“感情”が灯った。怒りと敵意の、どす黒い気配が。
「大事な物を守るには、強さが必要だってわからないか。相手を二度と立ち上がれなくさせるほどの絶対的な力がね」
迫る気迫に、息が詰まる。身動きができなくなるほどの圧だ。
言葉を返す前に、レオンは背を向け、足早に去っていった。
アンナが申し訳なさそうに俺を見ている。
「……変な空気にしちゃってごめんね。アンナたち、そろそろ行くね」
「は? 街まで戻って、剣を探してもらった礼くらいさせてくれよ」
レオンはどうでもいい。アンナと話す時間がもっと欲しかった。
「次の依頼の下見にきただけだから。魔獣はレン君がほとんど片付けてくれたみたいだし」
「そっか。みんなにもよろしく伝えてくれ」
走り去る背を見送り、胸にぽっかりと穴が開く。
一年半の旅は、確かに俺を成長させてくれた。そんな実感が、静かに疼く。
だが、この戦場に横たわる無数の遺体には、ただ不快感だけが残った。
この冒険者たちをけしかけた黒幕が、ランクールで出会ったあの男だとしたら、本当に憎むべきは、レオンじゃない。
そう思いかけた時、セリーヌが神妙な顔で近付いてきた。
「大丈夫ですか? まだ魔力の余韻が残っています。急ぎましょう」
「あぁ……わかってる」
みんなが生きて戻れた。それが今は何よりの事実だった。





