37 救世主の資質
「なんなんだ、あの魔獣は……変異種か?」
自分で言いながらも確信がない。あれほどの大型魔獣が放置されていたとは考えにくい。
「なんにしたって助けないと。このままじゃ、あの三人が危ないって」
双剣を手に、アンナが飛び出した。
「俺も……」
続きたい気持ちはあるのだが、疲労困憊の体は言うことを聞かない。
「リュシアン=バティスト。君はここで休んでいたまえ。後は僕たちが」
「あら。金髪君も言うじゃない」
シルヴィさんがナルシスを茶化していると、杖を手にしたエドモンが顔を覗かせた。
「モニクさん、杖は借りていくっスよ」
「皆さん、風の魔法で脚力を強化します。私の側に集まってください」
セリーヌが呼びかけると、巨大な猿が奇怪な雄叫びを上げた。
エルヴェが放ったクロスボウの矢を受けても動じる気配はない。手にした大木が地面を打った衝撃で、兄を担いだオニール共々、三人は弾き飛ばされてしまった。
「くそっ。こんな時に情けねぇ」
戦いに向かう仲間を見送ることしかできず、動けない自分に腹が立つ。拳をきつく握った途端、肩へ手が置かれた。
「ここは皆さんに任せなさい」
母の言葉が胸に痛い。
「肝心な所でいつもこうなんだ。結局、誰かの力を借りないと何もできねぇ……自分が情けなくて笑っちまうよ。なにが救世主だ」
「そういう所も含めて、資質はあるのよ」
「資質?」
「そうよ。だってほら、見てごらんなさい。そんなあなたを支えたいと、こうしてみんなが集まってくれてるじゃないの。これも人徳。もっと自信を持ちなさい。ひとりでできることなんて、たかが知れてるんだから」
アンナの連撃が魔獣の脚を斬り裂く。ナルシスの閃光玉が弾け、エドモンの放った雷の魔法が敵の背を打つ。シルヴィさんの斧槍から炎が吹き荒れ、セリーヌの光の魔法が魔獣の顎を打ち上げた。
「それはまぁ、そうなんだけどさ……」
『一緒に戦うだけじゃないのよ。喜びも悲しみも分かち合って支え合う。そのための仲間、でしょ?』
シルヴィさんの言葉が過ぎる。
「みんなの期待に応えたいんだ……こんな俺に付いてきてくれたことを、間違いじゃないんだって安心させたいのに」
「随分と独りよがりな救世主様なのね。セルジオン様に影響されたのかしらね」
「そうじゃない。そうじゃないけど……」
母の視線は真っ直ぐ前に向けられていた。先には、魔獣へ向かうセリーヌの姿がある。
「あなたたち似てるのかもね……お母さんも考えを改めたわ。凄くお似合いだと思う。きっと、お互いを思いやれるふたりになる。自分を慕ってくれる人たちにどう報いるか。今はまだわからなくてもいいと思うの。結果はおのずと付いてくるから」
「母さん、ここは危ないから避難しよう」
剣を鞘へ収めた俺は、側で座り込むモニクへ目を向けた。
「おまえも来るんだ」
モニクの二の腕へ手を掛け、立ち上がるのを手伝っていた時だった。
「がう、がうっ!」
左肩の上でラグが勢いよく吠えた。
目を向けると、猿の魔獣は全身を炎に包まれている。
シルヴィさんやセリーヌの攻撃かと思ったが、そうじゃない。魔獣は自らの力で全身へ炎を纏っているようだった。
「炎を操るのか?」
敵の能力に驚愕していると、魔獣は倒れていたオニールを掴み上げた。
炎に包まれたオニールはたまらず悲鳴を上げる。しかし、魔獣の左手に上半身を掴まれたまま、逃げることもできない。
「円舞斬!」
「咲誇薔薇!」
アンナとシルヴィさん、それぞれが得意の回転連撃を繰り出した。魔獣は背中と脇腹を斬り裂かれたが、崩れる気配はない。
牙を剥き出した魔獣は、怒りを当て付けるように左腕を振り上げた。そのまま、オニールの体を地面へ勢いよく投げつける。
鎧がぶつかる鈍い音が漏れたものの、彼が動くことはなかった。
「いい気味ね」
モニクがせせら笑うと、魔獣が動いた。
ナルシスの突きとエドモンの攻撃魔法を撥ね退け、こちらへ向かって突進してきたのだ。
「あの魔獣、まさかおまえが」
「やめて。あんな知り合いはいないわよ」
巨体の割に動きは速い。しかし、俺たちと魔獣の間にはセリーヌが回り込んでいる。その足元は緑色の光に包まれ、風の魔法で脚力を強化しているのは明らかだ。
「飛竜斬駆」
横一線に広がった真空の刃が飛ぶ。
竜臨活性を帯びた魔法が、ようやく有効な一撃を浴びせた。胸板を斬り裂かれた魔獣は、上半身を仰け反らせてよろめいた。
「セリーヌ、無茶をするな!」
心配で見ていられない。走り出したい衝動に駆られた途端、魔獣が大木を持った右腕を後ろへ大きく引くのが見えた。
「攻撃が来るぞ!」
大地を薙ぎ払うように、横薙ぎの一撃がセリーヌへと迫る。直撃を受ければ、彼女の体など一溜りもない。
だが、セリーヌは冷静だった。魔獣を正面に見据えたまま、杖を掲げる。
「光竜爆去」
閃光が弾け、大木が爆散した。
右腕を撥ね退けられた魔獣は大きく体勢を崩し、地面へ片膝を付く。
追撃を試みるセリーヌが踏み出した途端、四つん這いになった魔獣は大きく跳躍した。
砂塵が舞い上がり、視界を塞がれた仲間たちはわずかに怯んだ。
「魔獣の狙いはなんなんだ」
炎を纏う巨体が闇夜を舞い、猿型魔獣は俺の眼前へ降り立った。今のセリーヌですら倒せない相手に、どう挑めというのか。
「がるるる……」
ラグが威嚇の唸りを上げる中、母を後ろ手に庇った。こうなれば、残された力で抵抗する他にない。
込み上げる恐怖すら押し返そうと唾を飲み込んだ。仲間たちが駆け寄ってくる姿も見えるが、恐らく間に合わないだろう。
「かかって来いよ」
剣を抜くと、魔獣の左腕が伸びてきた。
「リュシアン!」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。気付けば、背後から母に抱きしめられている。
振り抜かれた魔獣の手に殴り飛ばされ、母もろとも地面を転がっていた。
痛みと疲労で体を起こすことができない。だが、攻撃を受けた痛み以上に、母の安否が気掛かりでならない。
「どうして俺なんかを庇ったりしたんだ」
「良かった……無事だったのね」
母の弱々しい声が聞こえた。
「子どもはいくつになっても子どもなんだから……可愛い我が子を守るのは当然よ」
「だからって……」
「ちょっと、離しなさいよ!」
モニクの金切り声が響いた。どうにか顔を向けると、魔獣の手中に拘束されている。
彼女が抗議の声を上げると、魔獣の体から炎が消えた。暴れるモニクを黙らせようと、魔獣が左手に力を込めたのがわかった。





