35 卑怯なやり方
「シルヴィ。冷静になってくれ」
エルヴェが切迫した顔で声を上げた。
「あら。あたしは至って冷静だけど?」
斧槍の先端と、冷徹な笑みを突き付けられたエルヴェ。取り付く島もないと悟ったか、救いを求めるように俺を見てきた。
「碧色からもなんとか言ってくれ。俺と彼女は顔見知りでな。彼女がオルノーブルの街にいた時代を知ってる。どうやら、その口封じをしたいって腹づもりらしいんだ」
そこまで聞いて、ようやくシルヴィさんの怒りの理由がわかった。すると、エルヴェは更に言葉を重ねてくる。
「昔のことを今更どうこうするつもりはない。本当だ。その気になれば、悪評を広めるなんて簡単だろ。でも、こうして冒険者だって続けられてる。俺を信用して刃を収めてくれ」
「あんたの話はどうでもいいのよ」
シルヴィさんは訴えを切り捨てた。
「なんだかんだ言ってるけど、リュシーを襲うためにこうして出てきたんじゃない。モニクとオニールの手を借りて、大勢のお友達も連れてきたのは事実でしょ」
「それはそうだが、あいつらとは目的が違う。命まで取ろうと思っていたわけじゃない。オニールが碧色と接触すると聞いて、これ幸いと一枚噛ませてもらっただけなんだ」
訴えるように俺を見ていたエルヴェだが、その目をシルヴィさんへ向けた。
「君に会いたいという下心もあった。碧色と行動を共にしていることは知っていた。もしも彼が命を落とせば、傷心した君へ付け入る隙があるかもしれないとも考えていた」
「相変わらず、やり方が卑怯ね」
シルヴィさんの綺麗な顔が嫌悪に歪む。エルヴェは顔をしかめてこちらを見てきた。
「碧色。あんたの実力は骨身に染みた。上にはきっちり話を通すよ。敵に回したくはない。みかじめ料さえ定期的に収めてくれたら、とやかく言ってくることはない。これは本当だ」
「それはそれとして、金輪際、シルヴィさんには関わるな。彼女は大事な仲間なんだ。手を出してくるようなら、次は容赦しない」
「承知した。肝に銘じる」
怯えるエルヴェを見ていたら、相手をするのが馬鹿らしくなってきた。
とにかく疲れた。街の被害も甚大だ。こんな奴らに関わっている時間が惜しい。
「リュシーの決定なら仕方ないわね」
シルヴィさんは無念そうに斧槍を下ろした。
「オニールだったか。あいつは預からせてもらうぞ。みかじめ料の手続きも含めて、すべての要件が済んだら開放してやる」
モニクや兄との繋がりも含め、聞きたいこともある。まだ利用価値はあるはずだ。
そう思い、本人へ目を移した時だった。
「がう、がうっ!」
ラグが警戒を促す鳴き声を上げる。
眼前の光景が信じられず、頭の中が空っぽになっていた。何も考えられない。
「冗談じゃねぇ。このまま終われるか」
さっきまで気を失っていたはずのオニールが、ぐったりしたままの兄を後ろから抱え起こしていた。人質となった兄の喉元には、長剣の刃が添えられている。
どこか遠い国で起こっている、絵空事のように思えてしまう。これは何かの間違いだ。
「オニール、やめておけ」
「うるせえ! 部下も全滅しちまった。このまま手ぶらで逃げ帰ろうもんなら、闇ギルドで笑い者だ。そんな惨めな思いはごめんだぜ」
エルヴェの言葉にも耳を貸さない。完全に自暴自棄になっている。
色々なことが起こりすぎた上に、セルジオンとのゴタゴタもあった。正直、周りを気にしている余裕がなかった。
「わかった。望みはなんだ」
迷っている暇はない。直接交渉あるのみだ。
「誰も知らない土地に行って、やり直してぇと常々思ってたんだ。一億ブランでどうだ。救世主様なら簡単に用意できるだろ」
「そんな大金があると思うか?」
「カンタンでもエミリアンでも使えるものは何でも使えよ。でもな、俺は気が短いんだ。日の出のあと、正午までに金を用意しろ」
「無理だ。時間が足りない」
「グダグダぬかすんじゃねぇよ! 俺が刃を引けば、こいつの首が落ちるんだぞ」
オニールの顔にも余裕がない。少しでも機嫌を損ねれば本気で実行するつもりだ。
ここまでの騒ぎだ。当然、後方のセリーヌたちも気付いているだろう。しかし、魔法も有効範囲外だ。敵との距離が離れすぎている。
後はシルヴィさんの放つ紅炎乱舞だが、発動までの挙動が大きく、気づかれてしまう。
朝を迎えると同時にドミニクと連絡を取るとして、正午にどう間に合わせるかだ。
「そこに隠れてる奴も出てこい! 林の中で、何かが光るのが見えたぞ」
「さすが闇ギルド。夜目が効くんだね」
聞こえてきたのはアンナの皮肉だ。
俺とオニールの中間地点。横手に茂っていた木陰から、両手を上げて歩み出てきた。
「アンナ。戻って来てたのか……」
ひょっとしたら、オニールのことを魔導弓で狙い撃とうとしていたのかもしれない。
「そんな風にかっかしないで、アンナの話も聞いてよ。あのね、一億ブランはないけど、一億ブラン以上に価値のあるものならあるよ」
頭上に持ち上げられたアンナの両手。その右手には、一冊の日誌が握られていた。
「それは、ライアンの……」
背後から、驚くモニクの声が発せられた。
「確かに、その日誌には一億ブラン以上の価値があると思うわ。だけど、本当にいいの?」
「人の命には変えられないから」
モニクとアンナにしかわからない会話だ。
「そこに財宝の在り処でも書いてあるのか?」
たまらず問い掛けると、アンナは困った顔で笑みを漏らした。
「えへへ。それが、中身を見たわけじゃないからアンナにもわかんないんだ。でもね、これを保管してた団長も、盗み出したライアンも、お宝だって確信してた」
「ライアンが? そういえばあいつ、いつも大事そうに袋を抱えてたな。あの袋の中身がそれだっていうのか?」
「戦利品ってことで持ち帰ってよ。そうすれば、あなたも非難されずに済むでしょ」
「それが原因で、新たな厄介ごとが起こらなければいいけどね」
「モニク。おまえは中身を知ってるのか?」
オニールがいぶかしげな視線を送っている。俺の位置からでは、モニクがどんな表情をしているのかわからない。
「もちろんよ。内容について、ライアンと話をしたばかりだし。世に出たら大変なことになるわよ。この大陸を震撼させるかもね。私としては、その方が何倍も楽しいけど」
「わかった。その日誌と交換だ」
オニールは迷わず言い放ってきた。
「エルヴェ。日誌と一緒に、彼女が背負っているクロスボウを回収してくれ。俺たちはこのままここを離れる。十分に距離を取った所で、ジェラルドを解放する。それでいいな」
「わかった。従おう」
俺の言葉にアンナも頷いている。他に打つ手がない以上、それしか方法はない。だがそこで、違和感に気付いた。
「私を見捨てるわけ?」
俺が思っていたことを当人が口にした。オニールは困った顔で微笑んでいる。
「おっと。それ聞いちゃう? この厄介事も、元はと言えばおまえのせいだろ。そんな体になっちまったおまえを連れて行くなんて、俺は御免だね」
モニクは何を思っているだろうか。他人事ながら、この男に対して殺意が湧いてきた。





