25 世界を真紅に染め給え
まるで日の出を思わせるような光が弾けた。夜の林へ轟音が響き、逃げ惑う野生動物たちの鳴き声までもが聞こえてきた。
シルヴィは驚きを顕にして、弾かれたように爆心地へ目を向ける。
「アンナ!?」
胸の内へ広がる不安を抑えきれなかった。
『シル姉は街外れの確認をお願い。街の中はアンナが見てくるから』
別行動をとったアンナの姿が頭を過ぎる。彼女の力は信頼しているが、リュシアンやセリーヌが倒されるほどの相手だ。規模と腕前はわからないが油断はできない。
「アンナ君も来ているのかい?」
ナルシスの問い掛けに、シルヴィは頷く。
「びゅんびゅん丸って言ったっけ? あの馬が先導してくれたけど、街中と街外れから火の手が上がってるのが見えたから。ふたりで手分けをすることにしたのよ」
「あの爆発、モニクという女魔導師の魔法かもしれない。遠目から見たけれど、ただ者でないのは確かだ。すぐに向かった方がいい」
「落ち着きなさいよ。これだけの怪我人を連れて行って道連れにするつもり? アンナを信じて待つしかないわよ」
「そうこう言っている間に、客人だ」
「あら。丁重におもてなしをしてあげたいけど、あいにく時間がないのよね」
ナルシスに釣られるように、シルヴィも傾斜の下方へ目を向けた。
凍結から抜け出した者、凍結を免れた者、それら数十人の街人がゆっくりと迫っていた。大半は素手だが、刃物や農具、魚採り用の投げ網を手にした者たちまで混じっている。
「魔法で操られてるみたいだけど、自我を失った状態じゃ魔獣と変わらないわね」
愛用の斧槍を手にしたシルヴィが前に出た。
「金髪君。悪いけど、みんなを連れて避難してくれる? あいつらはあたしが止めるわ」
「ひとりであの人数を? しかも、相手を無傷のまま抑え込むのは不可能だ」
ナルシスの悲鳴のような言葉を受け、シルヴィは左手を肩口まで持ち上げた。人差し指を突き立て、それを左右へ振るう。
「ちっちっちっ。あたしを誰だと思ってんの? 紅の戦姫が街人程度に遅れを取ってるようじゃ話にならないじゃない」
「そういうことなら僕も付き合おう。女性ひとりを残して逃げるなんて愚の骨頂さ」
「あら。見た目通り紳士なのね」
「そう言って頂けて光栄だよ」
ナルシスがシルヴィの隣で細身剣を構えた時、ふたりの背後に気配が生まれた。
「姫!?」
驚きに目を見開くナルシス。視線の先には、四つん這いで進むセリーヌの姿があった。
体調が万全でないことは誰の目にも明らかだ。しかし彼女は何かに突き動かされるように手足を前へと運んでいる。その先には、未だ目覚めることのないリュシアンの姿がある。
「姫、なにを……」
セリーヌの真意を汲み取れず、ナルシスは困惑していた。持ち場を離れることもできず、黙って成り行きを見守る他になかった。
そんな状況を見かねたように、びゅんびゅん丸がセリーヌへ近付いた。彼女が着る法衣の襟元を咥えると、引きずるようにリュシアンの側へ運んでゆく。
「ありがとうございます」
青ざめた顔を力なく持ち上げ、どうにか笑みを作るセリーヌ。びゅんびゅん丸はそれに満足したように、ひとつ鼻を鳴らした。
リュシアンへ向き直ったセリーヌは、彼が身に付けた首飾りへ右手を添えた。瞳を閉じ、意識の全てを注ぎ込む。
* * *
暗闇の中を歩き続けていた。
前後左右もわからず、時間の感覚もない。
ただ、果てしない闇だけが続いている。
どこへ向かっているのか。
どこへ向かえばいいのか。
答えのない答えを求めて、ひたすら漂い続けている気分だ。
深い絶望の底で立ち尽くしていると、遠くへわずかな明かりが見えた。
その光は何よりも有り難く、尊い存在に思えた。それにすがるように、重くなった脚を一歩ずつ前へと進めてゆく。
だが、思うように力が入らない。体中の力を奪われ、水の中で藻掻いている気分だ。
光はすぐそこにあるというのに、一向に近付く気配がない。拒絶されているようにすら感じてしまう。
「どうなってるんだ」
発した声すら音へ変わらず掻き消える。それが一層、虚無感を強めてゆく。
「俺は、どこへ向かっているんだ」
問い掛けても答えが返ってくるわけじゃない。不安を誤魔化すために、言葉として発しているだけだ。
『世界を救う英雄になるだとか、まだ見ぬ財宝を探したいだとか、そういうことじゃないんだよな。これは、守るための力なんだ』
自分で口にした言葉が不意に湧いて出た。
『俺が好きになった人は、大きな困難に立ち向かおうとしてる。ひとりで抱えきれるようなもんじゃない。だったら、ふたりで抱えればいいんだ。俺はその苦しみに寄り添って、手を差し伸べられる存在でありたい』
俺はそんな存在になれているのだろうか。
『好きになった人を守りたい。幸せにしたい。ただ、それだけなんだ』
ただそれだけ。でも、それがとてつもなく困難なことだともわかっている。
それでも俺は歩むことをやめない。
進むしかないと自分自身に言い聞かせ、脚を運び続けるだけだ。
「前に……前に進むんだ」
俺のこんな生き様が、いつか自分だけの冒険譚になればいい。
将来、自分の子どもに聞かせながら、そんなこともあったと笑い飛ばせる未来がいい。その時、隣にいてくれるのが彼女なら。
「炎竜王セルジオン。我が求めに応えよ」
天から声が降り注いだ。
この暗闇全土に響き渡るほどの、澄んだ鈴の音のような声が。
「躍動を司る、荒ぶる力を顕示せよ。猛り狂う炎の力で、世界を真紅に染め給え」
声が通り過ぎた後、遠くに見えていたはずの光が徐々に大きさを増していた。
いや。大きくなっているんじゃない。光が、俺を目掛けて迫ってきている。
だが、不思議と恐れはない。受け入れるのが当然であるように、俺の心はそれを迎え入れようとしている。
「神官からの求めとはいえ、人に使われるとはな。だが、ここで小僧に死なれても困る。不本意ながら力を貸してやろう」
それがセルジオンの声だと悟った途端、意識が急速に覚醒した。目を開けた先には、俺を覗き込むセリーヌの姿があった。
「セリーヌ。ありがとう……」
ゆっくり身を起こして立ち上がる。心は驚くほど落ち着いていた。
四つん這いになっているセリーヌの背へ手をかざすと、彼女の腰から黒い煙が吐き出されるのが見えた。
驚いた顔のセリーヌを残し、戦闘を繰り広げるシルヴィさんとナルシスへ目を向ける。
「がう、がうっ!」
俺の左肩へラグが着地してきた。大剣で斬られた脇腹からは蒸気が立ち昇り、傷跡が塞がってゆく。これは以前と同じ現象だ。
竜臨活性を使っているように体が軽い。へそを中心にして、体の奥が熱を帯びているのがわかった。俺は今、炎竜王の力を取り込んでひとつになっている。





