23 最悪に備えた切り札
「あそこだ!」
びゅんびゅん丸を走らせていたナルシスは、家屋の側で倒れるふたつの人影に目を留めた。
高台にあるとはいえ、モニクの攻撃は街全体に及んでいた。あちこちに火の手が回り、リュシアンの自宅が焼けるのも時間の問題だ。
白馬から飛び降りたナルシスは、セリーヌとガエルの下へ駆け寄った。
「なにがあったんだ」
腹部へふたつの刺し傷を負ったガエルは、仰向けになって意識を失っている。そんな彼へ寄り添うように、腰から血を流したセリーヌがうつ伏せに倒れていた。
「ここにも敵が来たのか」
側に倒れるマノンの斬首遺体を目にして、ナルシスは苦い顔を見せた。
その間にもシルヴィは馬を手近な大木へ留めていた。背後から抱いていたリュシアンの体を地面へそっと横たえる。
「もうちょっとだけ我慢してね」
愛おしむように彼の頬を撫でると、別れを惜しんでナルシスへ近付いた。
「え! ちょっと、これって……」
複雑な表情をしたシルヴィは、セリーヌの手元へ転がっていた小瓶を拾い上げる。
「秘薬って言われてる、プロムナじゃない」
「あぁ、それか……」
驚くシルヴィの反応を楽しむように、ナルシスが得意げな顔で声を上げた。
「ここへ来る前に、マルトンの街へ立ち寄ってね。そこで、マリー君が旧知の仲だという行商人に会ったんだよ。サミュエルと言ったかな。彼はプロムナの改良品を手掛けているらしく、試しに使って欲しいとね」
「試しにって、随分と気前がいいのね。一瓶でも二万ブランはくだらない希少品よ」
「原料となる、プロム・スプリエルを売買するほどの仲だったようだからね。特別な間柄であるのは間違いない。とは言っても、プロムナの実物は僕も初めて見たけれどね」
「あの娘、回復魔法の腕も一流だけど、秘薬の原材料にまで精通してるわけ? 十八歳でしょ。見た目も綺麗だし、どこの悪党に狙われたっておかしくない存在よね」
「シルヴィ君。これ以上、不安の種を増やさないでくれたまえ。気の休まる暇がない」
「エドモンが焦った気持ちも少しはわかるわ。彼のやったことは許されることじゃないけど、マリーの存在感は圧倒的なものがあるもの」
心痛を押し隠したシルヴィは、それを誤魔化すようにガエルを見た。
「プロムナが効いてるみたいね。知ってる? この薬は粘度の高い液体で、血液と結びつくとあっという間に固まるのよ。癒やしの魔法と同等の効果を発揮して、傷口だって数十分もあれば塞いじゃうんだから」
「もちろん効能くらいは僕もね。姫は最悪に備えた切り札だと言っていたけれど、この薬を分け合ったようだね。おまけに杖がない。リュシアン=バティストの母上も見当たらないし、連れて行かれたのかもしれないな」
ナルシスの言葉に、シルヴィは苦い顔を見せた。そこには焦りすら滲んでいる。
「リュシーは血を失い過ぎてる。すぐに手当てが必要よ。この娘の治癒魔法が頼りなのに」
馬の側へ寝かせているリュシアンへ視線を向け、シルヴィは溜め息を漏らした。
「うかうかしてると、ここも炎に飲まれるわ。それに、さっきの街人たちが大人しくしているとも思えない。すぐに逃げないと」
「このふたりをびゅんびゅん丸に乗せよう。僕が馬を引いて歩くから、どこか安全な所へ」
「待って。リュシーは下手に動かせない。この娘が目を覚ます可能性に賭けるわ。後は、杖さえなんとかなれば……」
シルヴィの視線は林の奥へ向けられた。
* * *
「もう少しゆっくり歩けない? 捕縛対象が付いてこれないんだけど」
短剣使いの女性はサンドラの腰へ繋いだ縄を引きながら、恨みがましい目を向ける。
「さっさと歩かせろ。それがおまえの役目だ」
合流地点はそう遠くない。早く責務を終えたいと、剣士の男性は速度を上げた。
その脚を狙い、一筋の光が闇を裂く。
攻撃に気付いた剣士が素早く飛び退いた。半歩先の位置へ、一本の矢が突き刺さる。
「なんなの!?」
短剣使いの女性が慌てふためき、腰から抜いた獲物を構えた。
剣士の男性は魔導杖と麻袋を足元へ投げ捨て、既に剣を構えている。そこへ、林から躍り出た人影が迫る。
「さすが、ライさん。危険を察する嗅覚は相変わらずだね」
「どうしておまえが」
飛び出したのはアンナだ。魔導弓は背中に収められ、愛用の双剣を逆手に構えている。
そんな彼女を、剣士の男性は困惑の顔で迎えた。繰り出されるアンナの連撃をどうにか受け流し、苦しげに呻く。
剣士の反撃となる一閃を避け、アンナは数歩ぶんの距離を取った。呼吸を乱さぬばかりか、その顔にはまだ余裕が伺える。
「それはこっちのセリフ。銀の翼を抜けたって聞いたけど、なんの不思議もなかったよ。でもさ、付いた先が悪かったね」
「俺を追ってきたのか?」
「アンナたちが狙う獲物に、ライさんが混ざってただけ。凄い偶然だけどね」
「ライアンという名は、もう捨てた」
アンナと話しながら、ライアンは短剣使いの女性を追い払う仕草を見せた。それに納得したように、女性とサンドラが離れてゆく。
「どうか助けてください!」
不意に声を上げたサンドラを見て、短剣使いは怒りに顔を歪めた。舌打ちと共に、サンドラの腹部へ強烈な膝蹴りを叩き込む。
「黙って歩け! 無駄口を叩いたら、その舌を切り落としてやるからね」
遠ざかるふたりの姿に、アンナは苦々しい顔を見せた。
「どこも同じような人しかいないね」
「今回は多額の報酬が絡む依頼だ。こんな賊まがいのこと、いつもしているわけじゃない」
「でもさ、街が丸ごとなくなろうとしてるんだよ。やり過ぎだと思わないの」
「それが依頼主の希望だ」
淡々とした男の返しに、アンナは寂しさを滲ませた表情で応えた。
「変わったね。初めて会った時は襲われそうだったアンナを助けてくれて、傭兵生活の指導や剣の手ほどきまでしてくれてさ。こんなに良い人が、なんで傭兵なんてやってるんだろうって思ってたのに……」
十五歳の時、無計画のまま生家を飛び出したアンナ。世間知らずだったことも災いし、路銀はあっという間に枯渇。すぐに生活が立ち行かなくなってしまった。
自由奔放に生きることを望む彼女は、持ち前の運動神経を悪用し、スリを行うようになった。噂が立てば次の街へ。点々と移動を繰り返す放浪生活が一年ほど続いた時、傭兵団、銀の翼に拾われた。
団長はアンナの身体能力に目をつけたが、仲間からは女性というだけで好奇の目を向けられた。数人の仲間から夜の寝込みを襲われた時、窮地を救ってくれたのがライアンだった。
「昔話をするために来たのか?」
「そんなわけないでしょ。邪魔をするなら斬るよ。ついでに、ライさんがアジトの廃城から持ち出したっていう日誌を渡して」
「やはり気付かれていたか」
「団長は死ぬ間際まで恨んでたよ。あの日誌があれば大金持ちになれたはずだ、ってさ」
驚きに目を見開くライアンに向かい、アンナはいたずらめいた笑みを見せた。





