02 涼風の貴公子と剣
衛兵たちが訓練を積んでいるのはわかる。
だが、治安維持の延長で魔獣退治を担うには、荷が重すぎだ。
兄が、よく口にしていた言葉がある。
『冒険者もひとつの才能だ。魔獣に抗う力があるのなら、持たざる弱者を救うべきだ』
その言葉は今も、俺の背を押してくる。
迷ったときに進むべき道を示す、兄の背中だ。
剣の腕だけなら追い越した。そう思える瞬間も、確かにある。
だが、生き様となると話は別だ。
兄の域には、まだ遠い。
「あいつら……本気か?」
嫌な予感は、すぐに現実となった。
衛兵たちは槍を構え、正面から魔獣の群れへ突進した。
「無理だ……」
呻くような声が、後方へ流れる。
カロヴァルたちは、想像を超える跳躍力で衛兵の頭上を飛び越えた。
あの脚力こそが奴らの真骨頂だ。前脚で着地すると同時に、後脚で標的を蹴り飛ばす。
その威力は、大木にすら蹄の跡を刻む。
三騎が崩れ、悲鳴とともに衛兵が宙を舞った。
辛うじて攻撃を免れた者たちと入り混じり、戦場は一瞬で混乱に沈む。
「くそっ……」
胸の奥で、悔しさが爆ぜた。
俺が一緒にいれば、防げたはずだ。
一頭の馬型魔獣が、衛兵を置き去りにして馬車を執拗に追っている。
残る二頭は倒れた馬に群がり、角を振り下ろしていた。
「これ以上、好き勝手させるかよ」
歯噛みした瞬間、馬車がこちらへ迫る。
左手に鞘を持ち、御者へ大きく腕を振った。
「こっちだ!」
引き付け、機を待つ。
魔獣と視線が交錯した。
奴にとって俺は、足下の小石同然。
軽々と飛び越え、馬車の獲物を喰らうつもりだ。
「くらえ」
数メートルまで引き寄せたところで、鞘を振り上げて足もとへ投げ込む。
狙い通り、魔獣は大きく跳んだ。
その軌道を追い、身を翻す。
前脚で着地した瞬間を逃さず、前傾で踏み込む。
左前脚の付け根へ、刃が食い込んだ。
肉を裂き、骨を削る感触。
さらに押し込むと、喉元へ向けて刃が抜けた。
だが、致命には届かない。
手負いの獣は恐ろしい。
生にしがみつき、予測外の足掻きを見せる。
反撃に備え、前脚を蹴って刃を引き抜く。
間合いを切ると、痛みに狂った魔獣が体を振り乱した。
来る。
剣を正面に構えると、振りかざされた巨大な角が迫る。
「くっ!」
辛くも受け流す。
重い衝撃に腕が痺れたが、後退していたのが幸いした。
剣を引き戻し、息を整える。
角を振り切った魔獣は、一瞬、無防備になる。
喉元へ一閃。
血しぶきをかわしながら、舌打ちが漏れた。
「これが神竜剣なら……」
愛剣があれば、首は落ちていた。
防具もない。一撃をもらえば、危険は跳ね上がる。
竜の力を使えば、難敵じゃない。
だが、必要不可欠な相棒が見当たらない。
「あの美女といい、勝手な奴らが多すぎる」
技巧派の兄なら、もっと巧みに立ち回るだろう。
生憎、俺は勢いで斬る性分だ。
それでも、手応えはある。
魔獣の動きは鈍り、呼吸も浅い。
「ここだ」
踏み込んだ、その瞬間だった。
「斬駆創造!」
背後から、風が走った。
白い風刃が横を抜け、馬型魔獣の胴を一息に断ち切る。
息を呑み、振り返る。
杖を構えた美女が立っていた。
先ほどまでとは別人のような、張り詰めた魔力の圧。
「今の魔法は、君が?」
これまで見てきた魔法とは、質が違う。
明らかに別格だ。
彼女の力を、完全に見誤っていた。
「遅れてすみません」
涼やかな微笑みに、背筋がぞくりとする。
ただの天然じゃない。
「助かった。残りも片付けるぞ」
気を取り直し、混戦へ飛び込んだ。
三騎と合流し、一体を仕留める。
最後の一体は、美女と落馬した衛兵たちが片付けていた。
結果、蹴りを受けた二頭の馬は即死。
残る一頭も骨折の重傷。
人命被害がなかったのは、不幸中の幸いだ。
衛兵たちは気まずそうに引き上げていく。
冒険者に助けられたとなれば、兵長に叱責される。
そんな嘆きが、背後から聞こえた。
「とりあえず、一安心か」
街の入口で馬車を見送りながら、美女と並んで息をつく。
「皆様がご無事で、何よりでしたね」
柔らかな微笑み。
先ほどの張り詰めた空気は影を潜め、天然めいた雰囲気に戻っている。
その落差が、妙に胸を騒がせた。
「どうかされましたか?」
「いや。なんでもない」
頬を掻き、視線を逸らす。
笑顔で首を傾げられただけで心が揺れる自分が、少し恥ずかしい。
「そういえば、名乗ってなかったな。俺は、リュシアン・バティストだ」
「私は、セリーヌ・オービニエと申します」
名乗り方ひとつにも、どこか格式が滲む。
依頼を奪い合うのが、急に馬鹿らしくなった。
穏便に済ませるなら、パーティ契約で協力するのが最善だ。
「でもな……」
あいにく、先約がある。あの人たちを裏切れない。
急場しのぎで彼女と組み、即解散も失礼だ。
逡巡していると、大通りを駆けてくるシャルロットが目に入った。
「おふたりとも、ご活躍だったみたいですね」
「まあな。それより……」
助けを求めようとした、その時だ。
「待ちたまえ、君たち!」
うねりが付いた肩まで金髪を払い、ひとりの男が近付いてくる。
青い瞳に色白の肌。北方出身者の特徴を備えた派手な男だ。
「なんだ、あいつ……」
フリル付きの煌びやかな服に、腰の細身剣。
芝居がかった所作に合わせ、耳障りな音を立てる。
「ギルドでのやり取りから、すべて見ていたよ。その美貌と、素晴らしい魔法もね」
男が目の前で止まった瞬間、つま先に重みと痛みが加わった。
「おうっ!」
この野郎。女性たちには見えない位置で、踏みつけてきやがった。
「美しい姫君が困っているではないか。ここは僕に免じて、依頼を譲ってもらおう」
「なんで、てめぇに免じなきゃならねぇんだ。っていうか、誰だ!?」
押し退けると、男は大仰に目を見開いた。
「おや。涼風の貴公子と称される僕を知らない? 遅れてるね」
口元へ手を当て、小馬鹿にしたように笑う。
「リュシアンさん。この方が、先ほどお話しした冒険者のナルシス・アブラームさんです」
助け舟を出してくれたのは、シャルロットだった。
「二十歳でランクCに昇格した、史上最年少の大型新人なんですよ」
「へえ……」
中性的な甘い顔立ち。
確かに人気は出そうだ。
年も、俺より四つ下で、腕も立つ。
勝ち誇ったように、男が微笑む。
「応じてくれるのなら、依頼報酬の倍額を支払おうじゃないか」
その瞬間、怒りが沸点を超えた。
「ふざけんな。だったら全財産を出せ」
「この方の言う通りです」
セリーヌの即答に、全員が固まる。
「私にも、この依頼を諦められない理由があります。それをお金で解決するのは、卑劣です」
「あの、姫君……僕はあなたのために、彼にだけ……」
「その方を丸め込めば、次は私ということですか。あなたはどこまで……」
会話が、まるで噛み合わない。
天然の極みだ。
「は……たははは……」
乾いた笑いの後、男が思いついたように俺を見る。
「申し訳ない。僕が愚かだったよ。改めて提案したい。依頼の優先権をかけて勝負というのはどうだろう。姫君の代わりに僕が相手になる。木剣での模擬戦で、どうだい?」
「優先権ってことでいいんだな?」
「その方が公平だろう。ギルドの規則上、参加料を払えば後追い受注も可能だ。負けた方が半日遅れで出発。どうだい?」
「俺は構わねぇ。君は?」
セリーヌは拗ねたように唇を尖らせる。
いちいち可愛いのが、困りものだ。
「なぜ私の代わりなのか、理解できません。異論があるなら、おふたりまとめてお相手します」
「どうしてそうなる……」
溜め息を吐いた、その時。
「あの~、そろそろいいですか?」
シャルロットが、申し訳なさそうに割って入った。
「実は、おふたりにご提案があって、追いかけてきたんです」
「提案?」
意味ありげに見上げてくる。
嫌な予感が、少しだけ胸を掠めた。





