17 闇夜の中へ鮮烈な赤を
炎の熱に混じり、驚き逃げ惑う住民たちの悲鳴が聞こえてきた。
住民の大半はサーカスを楽しんでいるのかもしれないが、全員ではないはずだ。
『本当にごめんなさいね。私だって、みなさんを苦しめるつもりはないのよ。大人しくしていれば、すぐに終わるから』
「皆殺しにするつもりか……」
痛みを堪えて身を起こした。
ほとんどの家屋が全壊か半壊といった有り様だ。それらは炎に包まれ、闇夜の中へ鮮烈な赤を刻み付けている。
そんな状況の中、逃げ惑う人々を呆然と眺めていた。まるで炎を祝う祝賀祭のように錯覚してしまう。全く現実味のない光景だ。
さっきまで当たり前のようにあった風景が、一瞬にして赤へ塗り替えられてしまった。
当たり前が、当たり前でなくなった。
脆さと儚さ。そして己の無力さを痛感する。目の前で大事なものを奪われた。この場にいながら何もできなかった。
「がう、がうっ!」
耳元で、ラグが勢いよく吠えた。耳鳴りに襲われ、途端に顔をしかめてしまう。
「悪い。衝撃的な光景だったから……」
弁解していると、加護の腕輪が目に付いた。腕輪のラインは緑から黄色へ変わっている。
「みんなは無事なのか?」
両親、セリーヌ、ナルシス、レミー。神父やコレットさん、街のみんなの顔が過ぎる。
ランクLの魔力障壁でさえこれだ。他の人たちは甚大な被害を被っているだろう。
嘆きを解き放つように天を見上げた。
* * *
「さっきの声の主がモニクなのか」
燃え盛るテントを視界に捉えながら、ナルシスは痛みを堪えて立ち上がった。
被害を受けたのはこのテントだけではない。街は完全に炎に包まれ、黒煙が昇っている。
拡声魔法で告げられた、全部リュシアン=バティストのせいという言葉が蘇る。敵が彼へ責任の一端をなすり付けたせいで、生存者からはリュシアンを探せという声まで聞こえるようになってしまった。
救助をしようにも人手が足りない。ナルシスが途方に暮れていると、近くの茂みから気配が生まれた。
鎧姿で武装した三人の男性だ。いずれも三十代から四十代程度に見える。
冒険者だろうかとナルシスがいぶかしんでいると、先頭の男が剣を抜き放った。
「好きにやっていいって話だよな。街が焼け落ちる前に金目の物を探すんだ」
「金なんて街長の家からがっぽり頂いただろ。俺は女を探す。殺すなんてもったいねぇ」
「おまえも馬鹿だなぁ。金はいくらあっても困らないじゃないか。女なんて連れ回すだけ面倒だって。用が済んだら始末しておけよ」
男たちへ軽蔑の視線を投げたナルシスは、苦い顔で細身剣を引き抜いた。そうして、西門の前へ立ち塞がる。
「待ちたまえ、君たち。あいにく、ここを通るには通行証が必要なんだ」
「なんなんだ、おまえは」
先頭を歩いていた男は、鬱陶しいと言わんばかりの形相でナルシスを睨んだ。
「通行証? そんなもん、どこにあるんだ」
「決まっているだろう。君たちの命だ」
腰を落としたナルシスは、細身剣を持つ右手を目元まで持ち上げた。
「串刺しの刑は、おまえたちのような下衆にこそ相応しい」
刃へ左手を添え、獲物を狩る野獣のような気配を漂わせた。
* * *
「大丈夫ですか?」
身を起こしたセリーヌは、側に倒れたままのガエルとサンドラの様子を伺った。
爆心地は街の中心部だが、余波ともいうべき攻撃は余す所なく街全体を飲み込んだ。
加護の腕輪が持つ魔力障壁のお陰もあるが、セリーヌの着ているコートが魔法の威力を大幅に軽減したのは間違いなかった。
「水竜癒命」
セリーヌは癒やしの魔法を展開すると、倒れるふたりの治療に取り掛かった。
そうして、ふと空を見上げた時、街の防御壁が失われていることに気付いた。
「結界を利用されましたか……これほどの魔力を練り込めるとは相当な使い手」
モニクは腕の立つ強敵だとは聞いていたが、防御壁の中へ魔力を巡らせるのは高等技術だ。それが攻撃の威力を強化したのだ。
防御壁は敵の魔力に耐えきれず砕けてしまったのだろう。守りがなくなった今、魔獣の侵入という第二被害も警戒しなければならなくなってしまった。
セリーヌにとって心が痛いのは、この大規模攻撃がリュシアンを狙う相手だということ。街の人々を巻き込んでしまった今、両親とて安息の日々を続けられるとは思えなかった。
倒れるふたりは意識を失っているものの、命に別状はない。このまま癒やしの魔法を続ければ、十分程度で目覚めるはずだ。
セリーヌがほっとしたのも束の間。傾斜を駆け上がってくるひとつの人影を捉えた。
亜麻布の寝間着を着た女性だ。年はセリーヌと変わらない程度に見えた。
女性はセリーヌの姿に安堵したのか、倒れるように跪き、その腕へしがみついた。
「お願いします。助けてください」
「どうか落ち着いてください」
集中を乱されたセリーヌ。その両手に宿っていた青白い光が霧散し、癒やしの魔法は掻き消されてしまった。
焦りを飲み込んだセリーヌは、平静になるよう努めながら女性へ目を向けた。
「必ずお助け致します。ですから落ち着いてください。まずはこのご夫婦を回復させなければ何も進みません」
「正気なの? 逃げるほうが先でしょ。また爆発が来るかもしれないわよ」
「目の前にいる怪我人を見捨てるようなことはできません。手当てが済むまで待てないと仰るのなら、あなただけでも逃げてください」
災厄の魔獣に襲われたマルティサン島。もう、あの時のような光景は二度と見たくない。
苦悩と決意を秘めた目で、セリーヌはリュシアンの両親へ向き直った。その両手へ、再び青白い光が灯る。
「馬鹿が付くほどの真面目ちゃん」
女性の声が耳元で聞こえたと思った途端、セリーヌの腰を鈍い衝撃が襲った。
「なにを……」
女性へ目を向けたセリーヌは、彼女が握っている血塗れの短剣に気付いた。
恐る恐る腰へ手を回す。いつの間にか純白のコートが捲られ、法衣の上から一刺しを加えられていた。
真っ赤になった自身の指先から目を逸らすと、見下ろしてくる女性と目が合った。
彼女はセリーヌが持つ魔導杖を素早く取り上げ、林の中へ無造作に投げ捨てる。
「あんたは厄介そうだから、先に黙らせてもらったよ。もうそろそろ、毒が効いてくる頃合いなんじゃない?」
女性がたまらず笑い出すと、林の中から、剣士の男性と弓矢使いの女性が現れた。
「案外、うまくいったな」
「あなたの芝居が下手すぎて、バレるんじゃないかと冷や冷やしちゃった」
「うるさい。人にケチをつけるなら、あんたがやれば良かったじゃない」
セリーヌを刺した女性は不満を顕にすると、弓矢使いの女性から武器と防具を受け取った。
何か、ただならぬことが起きている。
地面へ倒れ込んだセリーヌは、耐え難い倦怠感に包まれながら危機を感じていた。





