10 竜眼の秘密
魔導杖を手にしたセリーヌは、癒やしの魔法で脚を治療した。その後、岩陰に作った水の魔力球で全身を洗い、着替えを済ませた。
「本当に便利な力だよな」
俺も習って水の魔力球へ飛び込んだ。着替えを終えて風の魔法で髪を乾かしてもらいながら、改めて感心してしまう。
「でも、この力が失われる時が来るんだよな」
「がう、がうっ」
肯定するように、左肩の上でラグが吠えた。
「そうですね。魔法の能力は一定の確率で子孫へ受け継がれますが、魔法の力そのものが弱まっています。この大陸から使用者が消えるのはそう遠い話ではありません」
「マルティサン島は違うってことか?」
「はい。今は詳細を伏せますが、違うと言って差し支えないでしょう」
「なんだか特別な存在なんだな」
「そんなことはありません。島で暮らす方たちも、元はこの大陸の住人ですから」
「そうなのか!?」
「すみません。喋り過ぎました」
セリーヌは不意に押し黙り、足元の荷物を片付け始めた。肩を流れる濡れ髪が、彼女の色気を何倍にも押し上げている。
自分のことを後回しにして、俺の身支度を優先してくれる。こんな所にも気遣いの細やかさが垣間みえて嬉しくなってしまった。
緩む口元を必死に抑え込んでいると、顔を上げたセリーヌと視線が交わった。膝を抱えるようにしゃがむ彼女は、押し潰されて盛り上がった胸元に気付き、慌てて立ち上がった。
「誤解だ。胸を見てたわけじゃねぇ。待ってるから、セリーヌも髪を乾かした方がいい」
「時間が掛かるので後で構いません。それから、先程の事故はどうか忘れてください」
うつむきながら髪を撫でるセリーヌ。その顔は耳まで赤くなっている。
そんなしおらしい姿を見せられてしまうと、守ってあげたいという愛おしさが込み上げる。
「さっきも言ったけど、忘れる必要なんてないだろ。セリーヌの全てを見たい、知りたいって思うのはおかしいことなのか?」
「ふぇっ!? 全てだなんて、困ります」
「何がどう困るって言うんだ」
怯えたように後ずさるセリーヌへ詰め寄ると、彼女はすぐに岩壁へ追い込まれた。
赤く染まったセリーヌの顔。その両脇へすかさず手を付いた。もうどこにも逃げられないよう、このまま封じ込めてしまいたい。
「あの……その……私にも色々と、込み入った事情というものが……」
「そんなもの、後回しでいいだろ」
右手でセリーヌの頬へ触れる。さらりとした滑らかな肌を、指先が滑るように伝った。
簡単に包み込んでしまえるほどの小さな顔。潤んだ瞳を覗き込むように顔を近付けてゆく。
「はわわわ」
唇を震わせるセリーヌまであと少し。その直後、顎を打たれた痛みで仰け反った。
「いってぇ……」
数歩後ずさりながら目を向けると、セリーヌは胸の前で杖を構えて立っていた。
「杖って、他に方法はあるだろうが」
「すみません。咄嗟のことでつい」
「咄嗟もなにも、口づけするにも長老の許可が必要なのか? どこまで純粋なんだ」
「ですから、私にも込み入った事情が……」
今にも泣き出しそうな顔だ。そんな表情を見せられては何も言えない。
「悪い。俺もやり過ぎた」
心の行き場を失い、頭髪を掻き毟った。セリーヌを前にすると冷静を欠き、手に入れたいという強い欲求に支配されてしまう。
「どうしようもなく焦るんだ。早く捕まえないと、どこかに行っちまうんじゃないかって」
「それは……」
否定も肯定もない。生殺しにされているようで、どうすればいいのかわからない。
この現実から逃れようと慌てて別の話題を探した途端、先程聞いた言葉が心の中へ引っ掛かり続けていると気付いた。
「そういえばさっき、竜眼の力を失ったって言ってたよな。どういうことなんだ」
言葉を投げた直後、セリーヌは逃げるように歩き出してしまった。それを追って隣へ並んだ俺は、改めて横顔を覗き込んだ。
「私は災厄の魔獣を探すと共に、島から持ち出された神竜剣の探索を仰せつかっていました。しかしご存知の通り、神竜剣の回収は失敗し、神竜杖も失いました。長老は大層お怒りになり、私はお役目を外されました。そして、竜眼の力は別の者へ引き継がれたのです」
「そんな簡単に渡せるものなのか?」
「所有者の意志ひとつです。竜眼の能力は、光の民の代表となるべき者だけが持つことを許されます。人の記憶を操るという特性上、おいそれと扱うことは許されません」
「光の民の代表って、長老じゃないのか?」
「長老もご高齢です。その座を次代へ明け渡す時が迫っているのです」
「じゃあ、セリーヌが次の代表なのか?」
「ですから申し上げた通り、私はお役目を外されました。代表となるのは別の者です」
「なるほどな……セリーヌ様なんて呼ばれてるから、なにかあるだろうとは思ってたんだ」
セリーヌには申し訳ないが、人選間違いだ。こんなとぼけた人物が代表では、光の民とやらもおちおち生活できないだろう。
「俺にとっては好都合だ。尚更、手の届きやすい存在になったってことだろ?」
「それほど簡単なことではありません。むしろ私がそのまま代表となっていた方が、話は円滑に進んだかもしれません」
淋しげな顔に不安を覚えた。まだまだ俺の知らない事情があるようだ。
「いい加減、ナルシスも戻って来てるかもな。モニクからの接触がないのも気になる。俺が持っているエドモンの加護の腕輪を追えば、こっちの位置は簡単にわかるはずなんだ」
「ギルドで調べて頂けば、追跡機能が付いているというお話でしたよね」
「そういうこと。正当な理由がなければ情報開示は難しいんだが、エドモン本人がなくしたと言えばいくらでも確認できる」
そこまで言って、不安が過ぎった。
「問題は、相手がそれを悪用した場合だ。こっちの位置がわかるってことは、あえて俺たちを避けることもできるからな」
「相手の方が圧倒的に優位なのですね」
「そもそも、この街を指定してきた理由がわからねぇ。俺に対する嫌がらせかもしれないけど、両親や街の人たちが巻き込まれることだけは絶対に避けたい。衛兵にも見張りの増員を頼んだけど、不安は消えないんだ」
「私とナルシスさんもおります。三人の力を合わせて無事に解決いたしましょう」
「あぁ、頼りにしてるよ」
セリーヌへ微笑みかけた時、一組の親子とすれ違った。母親と手を繋いだ六歳ほどの男の子が、満面の笑みで両親を見上げている。
「サーカス、やっと見れるの?」
「あぁ、今日の夜だって。楽しみだな」
両親は笑顔で頷いているが、こんな田舎で催しがあること自体が意外だ。うちの親は何も言っていなかったが、街の中心から離れた生活のために知らないのかもしれない。
父にかまってもらった記憶が少ない俺には、あの男の子が羨ましく見えてしまう。
そうして家の近くでナルシスと合流を果たしたものの、結局、相棒であるびゅんびゅん丸を見つけることはできなかったそうだ。
落ち込むナルシスを励ました俺たちは、一旦家へ戻ることに決めた。
仕事を終えた父は居間でくつろぎ、母は海鮮鍋の支度。セリーヌが料理の手伝いを申し出たため、男三人が居間に残された。ナルシスの話術に助けられたのは言うまでもない。





