08 天使の白か、悪魔の黒か
市場を抜けた俺たちは、その先にあるはずの洋品店へ向かっていた。
「俺が街を出た後に潰れていなければ、十の顔亭っていう店があるはずなんだ」
「そこで何を買われるのですか?」
不思議そうな顔をするセリーヌだが、あなたの脳内の方が何倍も不思議でなりません。
「さっきまでのセリーヌと、今俺の隣にいるセリーヌは別人なのか? 双子ですか?」
「仰られている意味がわからないのですが」
「海水浴をしたいって言ったのはどこの誰だ? 水着を買いに行くんだろうが。裸で泳ぐって言うなら、俺は大歓迎だけどな」
言うなり、セリーヌは長衣の襟元を引き合わせ、慌てて胸元を覆い隠した。
「裸で泳ぐという発想が理解できません」
「俺から言わせてもらえれば、セリーヌの不思議発言の方がよっぽど理解できねぇよ」
「不思議発言とは失礼ではありませんか」
頬を膨らませるセリーヌに苦笑しながら、目的の店舗の前へやってきた。
「相変わらず、雑多な店だな……」
洋品店とはいっても、自宅の一階を店舗にした、こぢんまりとした佇まいだ。田舎街ではよく見られる店舗形態だろう。
入口の脇へ置かれた籠には、特売品の洋服が山盛りにされている。店内の左手には、男性用のチュニックやズボン、女性用のカートルなどが多数吊り下げられている。右手には小さめの陳列棚が置かれ、指輪やネックレスといった貴金属が並んでいた。
「おや? おや、おや、おや」
店内を覗いた途端、見知った人影が足早に迫ってきた。
うなじが覗くほど短く切られた頭髪には、以前よりも白髪が目立っている。恐らく六十代も半ばを過ぎたはずだ。人懐こい笑みと背中を丸めた姿が特徴的な女店主だ。
「コレットさん、ご無沙汰してます」
「おめぇは誰だ? なんであたしの名前を知ってんだい? サンドラの所の息子に似ている気もするけど、街を出たはずだよね?」
ぴたりとくっつきそうな距離で、下から見上げられている。丸まった背中も相まって、俺のみぞおち辺りにコレットさんの顔がある。
「そのサンドラの息子、リュシアンです」
「本当か? あたしを騙して面白がってるんじゃないだろうね?」
「それ、誰も得をしませんよね?」
「それもそうだねぇ。ふえっへっへっ」
陽気な笑い声を上げたコレットさんは、俺の隣に立つセリーヌへ目を向けた。
「ひえっ! 目っ、目がぁっ!」
見てはならないものを見たように目元を手で覆い、盛大に仰け反っている。
「どうなさいました。大丈夫ですか!?」
慌てたセリーヌが即座に近付き、コレットさんの背中へ手を添えた。
「うひゃあ……ぶったまげた。ついにあたしの所にも女神様がお迎えに来たのかと思ったら、あんた人間かい!? 人間なのかい?」
コレットさんは物珍しそうにセリーヌの体を触ると、突然に手を合わせて祈った。
「死ぬ前に、いいもんを見せてもらった」
「相変わらず元気だなぁ」
コレットさんの大げさな反応に圧倒され、ついそんな言葉が漏れてしまった。
「きゅうぅん」
脳天気なラグでさえ圧倒されている。
「あたしから元気と現金を取ったら、なぁんにも残らないじゃないか。ふえっへっへっ」
腹を抱えて、ひとりで笑っている。
「で、こんな年寄りに何の用だい? 茶を飲みに来たってわけじゃないんだろ」
「ちょっと、海まで泳ぎに。水着を買いに来たんだけど置いてあるかい?」
「水着? あんたはパンツ一枚でいいじゃないか。こっちの女神様が大変だよ」
コレットさんは隣に立つセリーヌを見上げると、法衣の上から彼女の胸を鷲掴みにした。
「ひゃうっ!」
「こりゃあ、ぶったまげる大きさだね。しかもなんだい、とんでもない柔らかさと弾力だよ。あたしもこんなだったら、死んだ爺さんも大層喜んだだろうね。ふえっへっへっ」
「いえ、あの、その……」
体を反らして身を固くしたセリーヌだが、困惑を浮べた表情のまま胸を揉まれている。
「肌も白くてすべすべだし、若いって本当に羨ましいねぇ。あたしも昔に戻りたいよ」
恨み節のように言い募りながら、セリーヌの体をあちこち撫で回す。
「腰もきゅっと細くていいねぇ。お尻もふっくらして安産型だ。太ももから足首まで、すらっとして綺麗な脚だねぇ。こんなコートで体を隠しちゃ勿体ないよ」
「コレットさん、彼女も困ってるから、身体検査もほどほどにしてくださいよ」
「あぁ、こりゃすまないね。こんな美人、まずお目にかかれないもんだから、つい興奮しちゃったよ。水着ね、水着ぃ〜」
呑気に歌いながら店の奥へ向かっていく。
「ほれ、早く来な。とっておきを出してやるよ。海にいる男どもも一発で悩殺だよ」
「いや、悩殺する必要はねぇんだよ」
変な虫がついても俺が不快なだけだ。
店内へ入ると、コレットさんは二着のビキニを手にして奥から戻ってきた。
「天使の白と悪魔の黒。好きな方を選びな。ちなみに、うちの爺さんは黒が好きだったけどね。ふえっへっへっ」
正直、爺さんの好みなんてどうでもいい。
セリーヌは、悪巧みを思いついた子どものような顔を向けてきた。頬にうっすらと赤みが差して見えるのは気のせいだろうか。
「リュシアンさんはどちらがお好みですか?」
「え!? 俺が決めるのか?」
「ふえっへっへっ。あたしの爺さんなら……」
「爺さんの話はいいですから」
天使の白か、悪魔の黒か。脳内でセリーヌの姿を思い浮かべるが、どちらも捨てがたい。
これは究極の選択だ。
「待てよ……」
とっさに下着姿のセリーヌが浮かんだ。
下着に選ぶくらいだ。黒が好きなのは間違いない。しかも神聖ともいえる彼女を黒に染めるのは、なんともいえない背徳感がある。
「仕方ない。コレットさんのお爺さんの話に乗って、ここは黒にしよう」
顔も知らないお爺さん。あなたを勝手に使わせてもらってすみません。
「海岸じゃ着替える場所もありゃしないからね。奥で着替えていくといいよ」
「すみません。ではお言葉に甘えて」
セリーヌが姿を消した隙に会計を済ませた。着替えを待つ間、無駄に緊張してしまう。
「なんだか時間がかかってるみたいだね。ちょっと様子を見てくるかね」
コレットさんが店の奥へ消えてゆく。水着姿のセリーヌを真っ先に見られるあの人がうらやましい。そして悔しい。
「ひえっ! 目っ、目がぁっ!」
再び、奥から奇声が聞こえてきた。これはもう、お約束の展開なのだろう。
「突然に入ってこられては困ります。それにその……胸が少しきつくて」
「これより大きいサイズがなくてねぇ。こうしたら上手く収まるんじゃないのかい? それにしたって本当に凄い大きさだねぇ。見事な円錐形だし、先っちょの色も綺麗だねぇ」
「ひゃうっ! あの……ひとりでできますから大丈夫です。体を触られるのは困ります」
「そんなこと言ってあんた、表にいる男とは、さんざんお楽しみなんじゃないのかい? あたしが若い頃なんて、そりゃもう毎晩……」
「そんなことはありません」
遠慮を知らないコレットさんの卑猥発言に、気まずい空気が漂っていた。





