05 壊れかけのナルシス
寺院を出た俺たちは、見慣れた道のりを自宅へ向けて進んでいた。
街の中心部を外れると、民家がまばらになってきた。入れ替わるように田畑が広がり、自然の姿が色濃くなってゆく。
「のどかで素敵な所ですね。ゆったりとしていてとても落ち着きます。何より、水が澄んでいます。質の良い農作物が育ちそうですね」
セリーヌは軽い足取りで歩を進め、朗らかな笑顔で辺りを見渡している。
「がう、がうっ!」
彼女の言葉を肯定するように、ラグが俺の左肩の上で元気に吠えた。
「水や野菜は確かに旨いよ。なにもない街だけど、それだけは取り柄かもな」
「リュシアン=バティスト。自ら故郷を貶めるとは関心しないな。君らしくもない」
「そりゃあ、卑屈にもなるさ。三日も滞在してみろ。俺みたいに逃げ出したくなるぞ」
「そうでしょうか。私は好きですよ」
セリーヌから、女神の微笑みを投げられた。それに見惚れた俺たちは、言語というものを失ったように沈黙してしまう。
びゅんびゅん丸の蹄の音だけが響く中、俺の右肩へナルシスの手が置かれた。
「良かったじゃないか、リュシアン=バティスト。いい奥さんが見付かって」
「ナルシスさん! そんなつもりでは」
顔を真っ赤にしたセリーヌが、腕を上下に振るって全力で否定してきた。
「いいんだよ、姫。僕の前では気持ちを偽る必要なんてないんだ。ありのままの君でいてくれたまえ……なにもない街だというのなら、子作りに励むといい。四人、五人と産んで、パーティを結成するのもいいさ」
「ナルシス……気は確かなのか?」
歯噛みをして、悔しさを押し殺すナルシスがいじらしい。完全にブリジットへ乗り換えたと思っていたが、未練があるのか。
「しばらく、そっとしておいてやろう」
壊れかけのナルシスを放置して、懐かしく馴染み深い道のりを眺めた。ここからは、目隠しをしていても家へ辿り着ける自信がある。
地面は緩やかに傾斜して、街を見渡せる程度の高台になっている。その先へ、空へ立ち上る一筋の煙が見えた。
「どうやら親父は、今日も鍛冶仕事に勤しんでるらしい……行こう」
気乗りしない体を無理矢理に動かし、たっぷりと時間をかけて傾斜を登りきった。
そこには見慣れた一件の家屋が建っていた。奥へ設けられた鍛冶場の煙突からは、依然として煙が立ち昇り続けている。
「あれが俺の家だ」
ついに帰ってきてしまった。
次にここへ戻るのは、兄貴を探し出した時だと心に誓っていたはずなのに。
神器を失い、兄貴も見つからない。おまけにブリュス=キュリテール討伐も中断。すべてが中途半端な俺は、どんな顔をして両親に会えばいいというのか。
そんな俺の気持ちを置き去りに、物事は進んでゆく。自宅前へ広がる畑に人影を見つけた途端、その人物は慌てて駆け寄ってきた。
「リュシアン!」
体当たりされるように抱きつかれた。冒険服の下には鎖帷子も着ている。痛くなかっただろうかと、余計なことが頭を過ぎった。
「連絡も寄越さないで、今までどこに行ってたの。本当に、どれだけ心配したか……ちゃんとご飯は食べてるの?」
しばらく見ない間に、彼女の体は縮んでしまったように思えた。体が細くなったのかもしれない。しかしそれ以上に、涙を浮かべて俺を見上げる顔には明らかな疲れが見える。
四十代後半だが、一気に老け込んでしまったような印象を受けた。美しかった濃紺の髪にも白いものが目立ち始めている。
「大丈夫。この通り、元気にしてるから」
「たまには帰ってきなさい。お父さんだって本心では心配してるのよ。ジェラルドも音信不通だし、あなたまでいなくなったら……」
「心配かけてごめん。兄貴は、俺が必ず探し出してみせるから」
「そういえば、アランさんから聞いたわよ。冒険者をやっているんですってね。悪いことは言わないから辞めなさい。ジェラルドを探すなら、捜索願いを出せばいいんだから」
「そう簡単にはいかないよ。俺にも、一緒に旅をする仲間だっているんだ」
そうして、背後のふたりを振り返った。
「ナルシスとセリーヌ。他にも仲間はいるけど、一緒に来たのはこのふたりだけだ」
「あら……ご挨拶が遅れてごめんなさい。母のサンドラです。いつも息子がご迷惑を……」
俺から離れた母は、慌ててふたりへ頭を下げた。しかしその直後、目を見開いてわずかに動きを止めたのを見逃さなかった。
母の視線の先にいるのはセリーヌだ。
ナルシスとセリーヌが名乗る間も、母は何かに怯えるような様子を見せた。目元へ手をかざしているものの、それは日差しを遮るというより、顔を隠す仕草に近い。
「こんな所で立ち話もなんですから、家の中へどうぞ。まさかお客様が来るなんて思わないから、散らかっていますけど」
足早に戻る母の背中から目を逸らし、セリーヌの様子を伺った。
「どうされました?」
不思議そうに首を傾げるセリーヌだが、口元の笑みとは対象的に目が笑っていない。
「どうもこうも、それを聞きたいのは俺だ。そういえば、俺の故郷で確かめたいことがあるとか言ってたよな」
「はい。確認は済みました」
「どういうことだ」
「私の思った通りでした。参りましょう」
そう言って、さっさと歩いて行ってしまう。
「どうしたんだい、リュシアン=バティスト」
「さぁな。俺が聞きてぇよ」
ナルシスとふたり、爪弾きにされたような疎外感を感じてしまう。
母とセリーヌは間違いなく初対面だ。ふたりの間に、いざこざがあるはずもない。
敷地を囲む木柵にびゅんびゅん丸の手綱を繋ぎ、武器はすべて玄関へ下ろした。居間に置かれた四人掛けのテーブルに腰を下ろすと、紅茶の入ったカップを出された。
「自由にくつろいでいてちょうだい」
慌ただしく裏口へ姿を消した母は、そのまま鍛冶場へ向かったようだった。父との再会が迫っていると思うと妙に緊張してしまう。
「リュシアン=バティスト。戦いの時よりも緊張しているんじゃないのかい?」
ナルシスは呑気に微笑んでいるが、今の俺にそれだけの余裕はない。
「昔から親父が苦手なんだ。職人気質で気難しい人だし、遊んでもらった記憶もほとんどない。酒を飲んでばかりで、口を開いたと思えば説教された覚えしかねぇよ」
程なく、裏口から再び母が現れた。その後ろへ、筋肉質の大柄な人影が続いてきた。
五十歳を過ぎたというのに、その肉体は衰えることを知らない。戦士と言っても通用しそうな筋骨隆々の姿をしたこの人こそ、ガエル=バティスト。俺の父であり、アランさんが師匠と敬愛する凄腕の鍛冶師だ。
首に掛けた手ぬぐいで汗を拭った父は、憎い獲物を見るような目を向けてきた。
「勝手に街を飛び出した馬鹿が、今更、どのツラさげて帰ってきやがった」
「あなた、そんな言い方ないじゃないの」
「おまえは黙ってろ! 俺はこいつに鍛冶場を継がせようと技術を叩き込んできた。それを放り出して、勝手に出ていったんだぞ」
「それについては親父の言う通りだよ。でもな、俺にだって譲れないものがある」
挑むように父の目を睨み返していた。





