04 竜の神像と涙の理由
「三人を見かけたら、すぐに警笛を鳴らして知らせてくれ。特に女魔導師は要注意だ」
門を守る衛兵に後を頼んだ。そうして街へ入った俺たちは大通りを進む。
「どうなってるんだ。テオファヌのお陰で、モニクたちを追い抜いて移動したっていうことか? でも、自分たちが辿り着いていないのに、期限付きで予告を出すか?」
「モニクさんという方は、余程せっかちなのかもしれませんね」
セリーヌの言葉も説得力が弱い。
「それはないな。オルノーブルで別れてから一週間も経ってる。その気になれば、とっくにここへ着いてるだろ。そういえば、ドゥニールっていう全身鎧の戦士が旅の行き先を決めてるって言ってたんだ。大した目的もなく、気ままに旅を続けてる印象だったな」
自分で何気なく口にしながら、それが間違いだったと気付いた。
「違うな……あいつらは、俺の兄貴とパーティを組んでいたらしいんだ。兄貴と神竜剣を探してた……いつかはこの街へ来るつもりだったはずだ」
「神竜剣……」
セリーヌが途端に怪訝そうな表情を見せた。しかし、側にはナルシスもいる。お互い、込み入った話はできそうにない。
「神竜剣はパーティの持ち物として管理していたみたいなんだ。それを兄貴が持ち逃げしたって言ってたけど、あの兄貴がそんなことするはずがねぇ」
「リュシアン=バティスト。君は兄上を随分と信頼しているようだが、当人たちにしかわからない事情もあるものさ。憶測だけで判断しては真実を曇らせてしまうよ」
「ナルシスにしては随分と達観した物言いだな。兄貴を侮辱するなら容赦しねぇぞ」
「ほら、そういうところだ。自分がこうと決めたら、それに向かって突き進む。真っ直ぐひたむきなのは良いことだけれど、言い換えれば盲信的だ。もう少し、周りを見渡す余裕を身に付けるべきだろうね」
「まさかおまえに教えられるとはな」
「君も今や、王都の救世主。周囲からは称号に見合う資質を求められる。いつまでも兄上の背中を追っているだけではダメだということさ。王の左手を超えるんだろう。微力ながら、救世主の剣として君を支えていきたいと本気で思っているんだけれどね」
「なんだか、ナルシスさんが著しく成長しているように感じられます」
「俺も同じことを思ってた」
呆気に取られるセリーヌと顔を見合わせてしまう。ナルシスは俺たちを鼻で笑い、肩へ掛かる金髪を大げさに背中へ振り払った。
舗装もされていない土が剥き出しの通り。街の中にもオリヴィエの香りがほのかに漂い、ゆったりとした時間が流れている。
大通りには商店がぽつりぽつりと立ち並び、人通りもまばら。よそ者の来訪が少ないこの街にせかせかした雰囲気はなく、決まりごとのように今日という一日が繰り返される。
良くも悪くも、当時と何も変わらない。まるで俺が街を飛び出したあの日から、時間が止まってしまったような錯覚がする。
「約二年ぶりってところか……」
俺の左肩に乗ったラグも、この光景を確認するように辺りを伺っている。
「俺の活躍を知ったら大騒ぎになりかねないな。でも、兄貴が戻った時は凄いんだぜ。寺院の前に女の子たちが押し寄せて、盛大にお出迎えっていうのが恒例だったんだ」
「寺院、ですか?」
セリーヌが不思議そうな顔を見せる。
「あぁ、この街の習慣みたいなもんさ。旅の無事を祈願して、旅立ちと帰還の際には寺院で祈りを捧げることになってるんだ。それをやらないと俺も落ち着かなくてさ」
「お兄様は大人気だったのですね。恋人はいらっしゃらなかったのですか?」
「浮いた話は聞いたことなかったな……恋にうつつを抜かすより、竜伝説に熱を上げるような人だったから」
「それが人気の要因なのでしょうね。リュシアンさんのように女性ばかり追いかけていては、大成はほど遠いということでしょう」
「おい。それは聞き捨てならねぇな」
微笑むセリーヌに苦笑を返すと、目指す寺院が見えてきた。
建物は老朽化が進んでいるが、素朴で温かみのある佇まいを気に入っている。しかし、こんな小さな街でも寺院は立派だ。敷地内には二棟の建物が並び、片方は祈りを捧げるための礼拝院。もう一方が治療院だ。
礼拝院の扉を押し開ける。重くきしんだ音が鳴り響き、俺たちを追い越すように、さっと光が差し込んだ。
光は三列に並ぶ木製ベンチを浮かび上がらせた。壁面に設置されたステンドグラスが光を受け、薄闇へ鮮やかな彩りが浮かぶ。
「建物はちょっとあれだけど、中は綺麗だろ。木の匂いも落ち着くんだよなぁ」
俺たちの他に人の姿はない。この街を出る時は逃げるように祈りを済ませてしまったため、こうして改めて足を踏み入れることに後ろめたさを感じてしまう。
「ちょっとあれとは、随分な言い草だな」
「あ、司祭様……」
祭壇の奥に老人の姿を見つけ、気まずさを笑みで誤魔化した。頭を掻きながら近付くと、司祭様は呆れたような笑みで迎えてくれた。
「リュシアン、よく戻った。息災そうで何よりだ。街を出ると礼拝に来た時は、切羽詰まった顔をしていたからな。随分と見違えた」
「司祭様もお元気そうで何よりです」
簡単な挨拶を交わしていると、隣に並んだセリーヌは呆気にとられた顔で祭壇を見上げていた。横顔も綺麗だと思いながら、釣られるように祭壇へ目を移した。
「竜の神像。見事なもんだろ? 今じゃどこも女神ラヴィーヌの神像に取って代わっちまったからな。これを見られるのは貴重だぜ」
「がう、がうっ!」
左肩の上でラグが吠えたと思った矢先、相棒は神像を目掛けて飛んでゆく。
雄々しく翼を広げた巨大な神像。それを見ていたら、不意に懐かしい顔が過ぎった。
「そういえば、アルバンやモーリスも竜を信仰してるって言ってたな。王都に近いほどラヴィーヌの教えが中心になってるけど、こっちまではうるさく言われないんだろうな」
セリーヌへ視線を戻した時だった。彼女の頬を伝い落ちる、清らかな涙を見た。
「どうした?」
「え?」
無自覚だったのだろう。自分が泣いていることに気付いた彼女は、慌てて頬を拭った。
「すみません、なんでもありません。この御姿に見とれていたら、知らずに涙が……」
以前、ムスティア大森林からの帰り道に、竜の信仰が禁じられたという歴史をセリーヌから聞いている。彼女の涙は、そのことに関係しているのかもしれない。
「リュシアン。礼拝はほどほどにして、両親へ顔を見せてやりなさい。母のサンドラは、おまえと兄のジェラルドを案じて、毎朝ここで祈っているのだぞ」
「え? 毎朝?」
「そうだとも。毎朝、欠かさずだ」
「リュシアン=バティスト、君は急いで戻るべきだ。早く安心させてあげたまえ」
ナルシスに背中を叩かれ、なんだか申し訳ない気持ちで一杯になってきた。
「今更、どんな顔で会えばいいのか」
「大丈夫です。私たちも一緒ですから」
セリーヌの力強い表情に後押しされると、なるようになれという思いが湧いてきた。久しぶりの我が家はなんだか緊張してしまう。





