27 風竜王テオファヌ
すると、セリーヌは落ち着き払った空気を纏い、切れ長の目で俺たちを順に眺めてきた。彼女から選別されているような雰囲気に、知らずしらず緊張を強いられてしまう。
「私は全く問題ありません」
「セリーヌ様、良くお考えください。長老の許可もなく、それを決断してしまうのは性急です。そもそも今のあなた様は……」
彼女の険しい視線を受け、老剣士のコームは慌てて口をつぐんだ。そのやり取りが、俺の心にさざ波を立てる。
「今のセリーヌが何だって言うんだ。そもそも、ふたりは故郷へ戻るって言ってたよな? それがどうして水竜女王なんだ」
俺の問いに、彼女は黙って頷いた。
「長老への報告は済ませました。私は与えられていた任を解かれた代わりに、失った神器を早急に持ち帰るよう言い付けられました。今や神器は湖の底。水竜女王であれば、解決策をお持ちのはずだと思い至ったのです」
「任を解かれた? 何があったんだ」
「神器を失ったのですから、当然の結果です。長老の期待に応えることができなかった罰を受けたというだけのことです」
「で、何を任されていたんだ?」
「それについては控えさせてください」
セリーヌが黙ってしまったことで会話は打ち切られた。不意に訪れた沈黙に乗って、ルネがセリーヌへ目を向ける。
「そうか。セリーヌ、君だったか。久しぶりですね。あの戦いから三年になりますか。早いものですね……あなたもすっかり見違えて、美しくなった。気が付きませんでしたよ」
嬉々としたその顔へ、不意に影が差した。
「未だに長老の存在が絶対とは。君たちは古い形に縛られているのですね。僕のように自由気ままに生きられたら楽だろうに」
ルネは呆れたような息を吐き、その目をこちらへ向けてきた。そうして、俺の左肩へ乗ったラグへと視線が注がれる。
「仕方ない。ここからは独り言です。僕の見立てでは、この中でマルティサン島へ立ち入る資格を有するのはリュシアンだけだ。マリーとレオンは竜の加護を得ている。一応、許可を出してもいいというところだ」
「は? レオンって、どういうことですか?」
驚きと共に尋ねると、車座の中央で膝を抱えて座るルネは薄く微笑んだ。
「先程の戦いで、彼は瀕死の状態でした。幸い、僕が持つ風の属性と相性が良かった。加護を与え、一命を取り留めたという次第です」
「加護を与えたって、さらっととんでもないことを言いますね……ってことは、レオンも竜術に匹敵する力を使えるんですか?」
「そうですね。但し、力が馴染むまでに一週間程度は必要だろう」
慌てる俺たちを残し、ルネは続ける。
「さて。オルノーブルからの旅で、皆さんの人間性も見せてもらった。できれば皆さんに真実を知ってもらいたいというのが本音だ」
「ちょっと待ってください。ルネ……じゃないのか。風竜王って呼んだ方がいいですか?」
「どちらでも構いませんよ。でも、この姿でいる時はルネの方がいいのでしょうね」
外見は、あどけなさが残る十歳の少女。可愛らしく微笑まれても複雑な気分だ。
「俺たちがオルノーブルで会ったのは偶然ですか? それとも何かの意図が? 思えば、ずっと陰で支えてくれていたんですね」
オルノーブルや王都で起こった不可解な出来事。それらが次々と頭を過ぎる。
「闘技場でエドモンの作った土壁が強化されたり、怪我をしたアンナの傷がいつの間にか治ったり。俺も風の魔法で脚力を強化してもらいましたよね? ここぞという所で助けられました。本当にありがとうございます」
「礼には及ばない。あそこで会ったのは偶然です。各地を放浪していた際、運悪く奴隷商人に捕まってしまってね。君たちが来なければ、私が娼館を倒壊させていた」
ここでようやく事の真相に至り、レオン、マリー、ナルシスも驚きを隠せずにいる。
「ルネ。とりあえず、本題に移らせてください。マルティサン島もですけど、プロスクレとブリュス=キュリテールはどうなったんですか? あの氷山の中に閉じ込められてしまったんじゃないんですか?」
問い掛けると同時に、少女は苦い顔を見せてきた。下唇を噛んで何かを堪えるような姿は、傍目にも痛々しい。
「プロスクレは自らの命と引き換えに、災厄の魔獣を凍結させました。彼女の力にも限界があるとはいえ、少なくとも一年間は氷山が溶けることはないだろう」
「命と引き換え? 嘘だろ?」
水竜女王に聞きたいことは山ほどあった。それ以上に、彼女を救えなかったという事実が重くのし掛かってきた。
「何も心配することはない、って言いましたよね。俺を騙したんですか?」
「騙すつもりはなかった。ただ、あの時の君たちは疲弊が激しく、全てを受け止めきれないだろうと判断したまでのこと」
胸の内へ、やるせない想いだけが募る。
「あなたがもっと早くに力を貸してくれていたら、事態は違ったかもしれない。何を迷っていたんですか」
「それについては本当にすまないと思う。災厄の魔獣に気取られては終わりだと、プロスクレから思念で止められていた。何かあれば君たちを連れて逃げて欲しいと、彼女から全てを託されていた。僕は命を投げ出すわけにはいかなかった」
そこでついに、ルネは泣き出しそうな顔を見せた。竜の生体に詳しいわけじゃないが、ここまで感情表現が豊かだとは知らなかった。
しかし、セルジオンとは似ても似つかない性格だ。テオファヌは繊細なのかもしれない。
「結果的には、僕が犠牲になれば良かった。僕には氷山を作り出すような力も、まして結界を生み出す力もない。彼女がいなくなったことで、マルティサン島を覆い隠していた結界も消滅してしまった。僕は取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない」
「テオファヌ様のせいではありません。災厄の魔獣はガルディア様でも手に負えなかったほどの相手。誰にも止められません」
セリーヌの言葉に、ルネは弱々しい笑みを見せた。今日の戦いで一番傷ついているのは、テオファヌかもしれない。
ルネは何かを吹っ切るように頭を振ると、強い眼差しで俺を見つめてきた。
「この世界の未来と命運は、君たちに託された。僕はプロスクレに頼まれた通り、君たちをマルティサン島へ導く義務がある。とは言っても君たちも疲れているだろう。幸いここはマルトンの街の側だ。今日の所は宿で療養を取り、出発は明日でどうだろう?」
「私は大賛成です! もう動けません!」
即座に手を挙げたのはマリーだ。ルネの後ろで黙って話を聞いていた彼女だが、俺が思っている以上に疲弊していたということか。
「あ、だけどルネの正体がわかった以上、今晩からは別々のベッドですからね」
「それは残念ですが、致し方ありませんね」
困った顔で微笑むルネの姿に場が和む。すると、コームさんがすかさず腰を上げた。
「そうと決まれば、早速馬車に乗ってください。街までは私が手綱を握ります」
ナルシスとびゅんびゅん丸を残し、コームさんは全員を馬車へ急かした。その途中、マリーへ声を掛けたのを聞き逃さなかった。
「お気遣い痛み入る。セリーヌ様も頑固な面があるゆえ、今日にでも動き出すと言い出しかねない様子だった」
「いえ。私も本当に疲れているんですよ」
俺の前では強気な面しか見せないが、マリーが聖女と呼ばれる一端を垣間見た気がした。





