23 そして魔獣は放たれた
上空へ浮かぶ、ブリュス=キュリテール。魔獣は一定の距離を保ったまま、こちらの様子を窺うように佇んでいる。
「がるるるる……」
俺の左肩の上にいるラグも、敵の脅威を肌で感じているのだろう。威嚇の唸りを上げ、魔獣の姿を注視している。
ユーグがここへ来た目的は、水竜女王の力を手に入れるためだったのだろう。マリーのように強大な魔力を手にすることで、ブリュス=キュリテールの完全支配を企んでいた。
だが、当の本人は息絶え、凶暴な魔獣だけが残ってしまった。ユーグがどんな命令を与えていたのかはわからないが、支配の檻から解き放たれたブリュス=キュリテールがどのような動きをするかは予測不可能だ。
恐らく、水流女王が狙われていることに変わりはない。俺たちだけなら逃げ切れるだろうが、それでは意味がない。敵の注意をこちらへ惹き付け、無事に逃げおおせるだけの時間を稼がなければ。
『殺すな、生け捕りにしろ!』
以前に垣間見た、炎竜王の記憶が蘇る。
竜の力を手に入れるためには、生け捕りにする必要があるのではないか。その予測が正しいのなら、ブリュス=キュリテールも、水竜女王が動けなくなる程度に痛めつけるよう指示を受けていたはずだ。
竜の力というものはどういった形で手に入るのか。誰でも簡単に手に入るものなのか。わからないことだらけだが、ユーグの命が潰えた今、真相を知ることはできない。
やはり、あいつを消したのは時期尚早だったのかも。だが、仮に捕まえた所で、自害の手段を用意していたはずだ。
「待てよ……」
咄嗟に、側に立つセリーヌへ目を向けた。
「竜の力っていうのは何なんだ? ユーグは何を手に入れようとしてたんだ? セリーヌは知ってるんだろ?」
「それは……」
「頼む。教えてくれ。それがわかれば、プロスクレを守るための助けになるかもしれない」
言い淀んでいたセリーヌだったが、意を決したように強い瞳で見つめ返してきた。
「仰る通りですね。承知しました」
「セリーヌ様!」
口を挟んできたのは、老剣士コームだ。
「なりません。『外の者』に口外するなど以ての外。長老が知ればどうなるか。今度こそ、タダでは済まなくなりますぞ」
「今度こそ? どういう意味だ?」
なにやら不穏な空気を感じる。
セリーヌは何かを言いかけたが、コームからの強い視線を受けて言葉をつぐんだ。
ふたりが押し黙ってしまったことで会話が途切れ、これ以上話すつもりはないという空気が醸し出されている。
胸にわだかまる不満。そこから目を背けるようにプロスクレを見ると、マリーが不安の滲む目で俺を見ていた。
「このまま膠着状態を続けていても進展はありません。どうするおつもりですか?」
敬愛する女神様がいるからだろう。いつもより淑やかに見えるのは気のせいじゃない。顔立ちの良さも相まって、こうしてそれらしく振る舞えば、どこかの姫君に見えてくる。
「こっちから仕掛けて、魔獣の気を引く」
「そうまで言うからには勝算が?」
「マリーのお陰で竜も動けるようになった。勝算っていうか、撤退のための策はある」
こめかみへ手を添えると、呆気に取られていたマリーが微笑みを浮かべた。
「相変わらず不思議な人ですね。どんな危機的状況でも、あなたを見ていると何とかなりそうな気がしてきます」
「それは本心で言ってるのか?」
「何よ? 素直に喜べないわけ?」
マリーへ疑惑の目を向けていると、ナルシスの高笑いが聞こえてきた。
「そういうことなら、協力は惜しまないよ」
爽やかに笑い、細身剣へ手を添えた。
「僕の華麗なる剣技をお披露目する機会が、ついに訪れたというわけだね。びゅんびゅん丸が見当たらないのは不安だけれど、主人である僕が情けない姿を見せられないからね」
「今回ばかりは頼りにしてるぞ」
ナルシスの肩へ手を置くと、驚きを浮かべた間抜け顔を向けられた。
「らしくないじゃないか。いつもの君なら、そんな機会なんてあるわけねぇだろ、なんて言いそうなものだ」
「魔導武器を渡した身としては、大活躍してもらわないと元が取れねぇんだよ」
「やはり、僕がいないとダメということか」
ナルシスは得意げに笑っているが、こうなれば最早、思うツボだ。実状は竜臨活性の反動で思うように動けないだけだが、俺がここで弱音を吐くわけにはいかない。
疲れを押し隠し、仲間たちを見回した。
「俺に考えがある。機会はおそらく一度だけだが、そこに全てを賭ける。悪いけど、みんなの命を俺に預けてもらうぞ。コームさんも異論はないな?」
「私は過去にもあの魔獣と戦ったことがある。敗戦した私の意見より、若い力に賭けよう。セリーヌ様がご納得なら何も言うまい」
「リュシアンさんについてゆきます」
老剣士の言葉に驚かされながらも、セリーヌの力強い返事に背中を押された。彼女の言葉が違う意味にも思えてしまい、浮ついてしまった心へ慌てて活を入れた。
そして俺の指示に従い、ナルシス、マリー、コームが水流女王の背に乗った。
水色の鱗が陽光を照り返し、美しいプロスクレの姿が空へと舞い上がる。その優美な姿へ激励を贈るように、ラグが力強く吠えた。
俺はそれを地上から眺め、魔法剣を鞘に収めた。そして、隣に立つセリーヌを見る。
「頼む」
「空駆創造!」
セリーヌの魔法が発動し、俺たちの両足へ緑色の光が纏わり付いた。風の力で脚力を増すための補助魔法だ。
「さっきも言ったけど、無理はしないでくれ。魔法の効果を維持できるように、付かず離れずの所にいてくれるだけでいい」
「これは私の戦いでもあるのです。リュシアンさんだけにご無理をさせられません」
一歩も引かないという強い決意が、その顔付きからひしひしと伝わってくる。
「強情なところは相変わらずだな。わかった。俺が絶対に守ってやる。心配するな」
「リュシアンさんこそ疲労困憊ではありませんか。私の目は誤魔化せません」
「それはお互い様だろ。惚れた女の前でくらい、格好付けさせてくれよ」
「またそのように、臆面もなく仰るのですね。私の心を掻き乱さないでください」
「仕方ねぇだろ。事実は事実だ」
「リュシアンさんの正直で思い切りの良い所は、少し羨ましくもあります」
呆れたように微笑んでいるが、そこにわずかな悲しみのようなものを見た。儚くも美しい笑顔。それが壊れないよう守り抜きたい。
「よし。俺たちも行こう!」
気合いを入れて駆け出した。この作戦は、プロスクレと動きを合わせなければならない。
俺たちが動き出したことを認め、ブリュス=キュリテールも警戒の色を濃くした。だが、その狙いはあくまでも水流女王プロスクレだ。三つの頭が、その動きをつぶさに追っている。
俺とセリーヌは意に介さないということか。
「三馬鹿魔獣め。甘く見てると足下を掬われるってことを思い知らせてやるよ。人間の強さをなめるなよ」
魔獣に向かって駆けながら、腰のベルトへ素早く手を伸ばした。





