20 無情とも言える潔さ
俺は油断なく剣を正眼に構え、目の前に佇む魔導師へ視線を送った。
敵までの距離はおよそ十メートル。互いに、魔法が届く限界距離だ。
「思ったより冷静なんだな。俺たちに追い込まれて、もっと焦ると思ったんだけどな」
「風の魔法に包まれた君たちを見て、魔法は無効と把握。魔力保持に努めたまで」
蝶の仮面の下から除く口元が笑みを作り、手にした魔力石を無造作に投げ捨てた。
複製体と拡声の魔法を使い、ここで力を補充しながら戦局を伺っていたのだろう。相変わらず自分の手を汚すことのない卑怯な男だ。
「あの黒装束に、お守りを頼まなくて良かったのか? あいつがいなくなったのは、あんたの言う想定外なんじゃねぇのか?」
「んふっ。セヴランの協力は無用。それよりも、時間稼ぎの無駄話とは余裕。後ろの守り人も多少は顔色が改善。しかし、のんびりしていては他の仲間が死亡」
「忠告、ありがとよ」
言われるまでもない。俺は地を蹴り、一気に加速した。それを待っていたように、周囲から白色の魔力球が飛来する。
「炎爆!」
叫ぶと同時に、右手の甲に残された痣から青白い炎が吹き上がった。炎竜王の協力なくして、この戦いは乗り切れない。
「炎纏・竜翻衝!」
地を駆けながら、剣を横薙ぎに一閃。剣先から発生した炎の壁が周囲へ拡散し、迫りくる魔力球と衝突した。
轟音が響き、大気が震える。黒煙が立ち込め、瞬く間に視界が塞がれてしまった。
相手の次の手を警戒し、注意深く身構えた。黒煙に紛れ、確実に次の魔法が飛んでくる。
この場へ留まっていては危険だと、本能が告げていた。周囲から一斉に魔法が飛んできたということは、ユーグの複製体に囲まれていると考えて間違いない。
すかさず横に駆け、体へ絡みついてくるような黒煙から素早く抜け出した。
身を低くしていたことが功を奏した。頭上を風の刃が掠め過ぎる。だがそれと同様に、胸元と足元を目掛けて数本の刃が迫っていた。
再び剣を構えるより早く、横手を白い影が駆け抜けてゆく。純白のロング・コートをなびかせたセリーヌだ。
「光竜煌翼!」
彼女が杖を振り下ろした途端、純白の衝撃波が周囲へ拡散した。その一撃が、迫りくる風の刃をことごとく薙ぎ払う。
思わぬ好機に感謝して、杖を構えるユーグを睨んだ。
「今までの借り、全部返してやるよ」
地を蹴ると同時に、オジエ親子の顔が頭を過ぎった。空腹と疲労により、店の裏口で座り込んでいた母子の姿を忘れない。
そして、無残に破壊されたランクールの街。それも全て、眼前の男がもたらした凶行だ。
怒りを堪え走っていると、眼前へ三人の複製体が立ちはだかった。
「煌熱創造!」
次々と放たれる火球。それを一撃のもとにねじ伏せてゆく。
「てめぇだけは許さねぇ」
ドミニクが率いる盗賊団をけしかけ、セリーヌを攫ったこともあった。彼女は辱めを受け、俺とナルシスも多大な苦痛を味わった。
体の内から溢れそうな怒り。それを当てつけるように火球を斬り裂くと、俺と複製体の間へ、セリーヌがすかさず飛び込んだ。
「闇竜堕徨!」
彼女が持つ魔導杖から闇が生まれ、複製体たちを次々と飲み込んだ。その勢いに乗じて、俺は更にユーグとの距離を詰める。
「ここで終わりだ」
王都も襲われ、二万人を超える死者が出た。貧民街は壊滅し、ドミニクの仲間も見つかっていない。王の左手であるエクトルさんが命を落とし、フェリクスさんも左手足を失った。
この男によってもたらされた災害は、多くの悲しみと嘆きを生みすぎた。どんな理由があれ、生かしておくことはできない。
残り数歩で手が届くというその時だ。
「んふっ。本当によく吠える」
ユーグが杖を地面へ突き立てた。それに呼応するように大地が激しく揺れ、見覚えのある巨大植物が地中から伸び上がる。
「危ねぇ」
セリーヌの体を抱き寄せ、即座に後ろへ飛び退いた。
眼前の巨大植物は、中央の口から腐ったような悪臭を撒き散らす。そして、本体から伸びた複数の捕食器官が触手のように蠢き、俺たちを捉えようと狙っていた。
「リュシアンさん、離してください」
セリーヌは俺の腕を払い除け、毅然とした態度で巨大植物と向き合った。
そんな彼女の姿を見て、ユーグが不敵な笑みを浮かべる。
「んふっ、気丈なことだ。この子は、ベルヴィッチアを改良した新型。更に獰猛且つ凶暴。あの日のことを忘れたか? 再び全裸を晒し、この子に飲み込まれるがいい」
雄弁に語るユーグを無視して、黄金色の魔女は一気に加速した。手にした魔導杖へ、一際強い光が収束してゆく。
「光竜滅却!」
その瞬間、光の洪水が迸った。この世界を浄化するような清らかな光が弾け、無情とも言える潔さで眼前の景色を変貌させた。
言葉をなくしたのは俺だけじゃない。それはユーグも同じだった。
俺たちは申し合わせたようにセリーヌを呆然と見つめていた。彼女はその視線に気づくと、側に立つユーグへ冷ややかな目を向けた。
「仰りたいことは以上ですか?」
巨大植物など始めから存在しなかったように、跡形もなく消え失せていた。大地に残された大穴と、そこへわずかに残された植物の根元。それだけが、何かがいたということを申し訳程度に物語っていた。
「そんな馬鹿な……」
狼狽するユーグの隙をついて、俺は一気に肉薄した。上段から振り下ろした魔法剣の一撃が、奴の手にした杖を砕き、弾き飛ばす。
そのまま刃を斬り上げ、敵の右腕を肘から思い切り切断。ユーグが絶叫すると同時に、右腕は情けなく地面に落ちた。
「これは、フェリクスさんの恨みだ。てめぇは二万回斬り刻んでも足りねぇよ」
「私の命を奪えば、取り返しのつかないことになる。あの魔獣を止められるのは私だけ」
「知るか。まとめて仕留めてやるよ」
握りしめた拳へ炎の力がみなぎる。
「炎纏・竜牙撃!」
ユーグの腹部へ竜の一撃が食い込んだ。





