05　新種の魔獣、襲来

「とりあえず、ここを出ましょう」

　肩を貸し、ルノーさんを支えて出口を目指す。しかし、この人のリュックが妙に重い。

　ようやく外へ出ると、肺の奥に清々しい空気が満ちた。

　背後の洞窟を振り返る。

　罠のせいで戻るのは難しいが、あの神殿を調べたかった。それに、肌へ絡みつくような気配はいったい何だったのか。

「まぁいいや……行きましょうか」

　直後、影がせり上がり、立ちはだかった。

「こいつ……」

　右往左往していた最後の一体だ。地中を潜って先回りしていたのか。

　ルノーさんを支えているせいで剣が抜けない。俺が囮になったところで、この人が逃げきれるかどうか。

　その矢先、ルノーさんが俺の腕から離れ、何かを構えた。Y字型の棹にゴム紐を張ったそれは、スリング・ショットだ。

「くらいやがれ！」

　赤い魔法石が弾き出され、炎の魔法が魔獣の頭部を覆った。ロンブリックは炎にのたうち回り、苦しげに咆哮する。

「若いの。今のうちに、ずらかるぞ！」

　言われるまま腕を掴むと、ロンブリックが最後の抵抗を見せた。炎に包まれながらも、突進の気配を見せてくる。

　剣へ手を伸ばすが、間に合わない。死を覚悟した、その時だ。

「このバカタヌキめ！」

　横手からの豪快な一撃が、魔獣の頭部を直撃。盛大に体液をまき散らし、魔獣は崩れるように地へ沈んだ。

「んなろう、んなろう！」

　戦鎚(ウォーハンマー)を振り下ろすのは、まさかのシモンだ。

　嬉しいような、悲しいような、複雑な気分になる。炎も消え、黒煙を上げる頭部は粉々。いくらなんでもやりすぎだ。

　すると、茂みをかき分けて中堅衛兵が駆け寄ってきた。数時間ぶりの再会だ。

「あっちゃ～……兵長、その辺で。鎧を掃除する若手の身にもなってくださいな」

　シモンはようやく我に返り、爽やかすぎるほどの笑みを浮かべた。全身返り血まみれでそれをやられると不気味だ。

「ふたりとも大丈夫でしたか？」

　満面の笑みが気色悪い。

「なんだあいつは。新手の魔獣か？　人の言葉まで話すんだなぁ……」

「いやいや。れっきとした人間ですから」

　ルノーさん、どこまで本気かわからない。

「彼等は衛兵ですよ。ルノーさんの奥さんから頼まれて、探しに来てくれたんです」

「こんな老人のために、すまねぇなぁ」

　頭を掻いて苦笑するルノーさんを引き渡すため、肩を貸したまま中堅衛兵に近付く。

「ルノーさんをお願いします。俺はまだ、やり残したことがあるんで」

　すると、シモンが近付いてきた。

「アレニエ・エンセ。見付からないのか？」

「えぇ。早く探さないと」

　頭上の枝葉を見上げた時だ。

「ちょっと待て。アレニエだと。おまえさん、あいつを探してるのか？」

「は？　えぇ……まぁ」

　ルノーさんは声を張り上げた。

「あいつの粘着糸に巻かれちまってな。盗られた物があるんだ。儂も行こう」

「どうやって？　その足じゃ無理ですよ」

　するとルノーさんは、中堅衛兵を眩しそうに見上げた。

「おぶってくれるよな？」

　彼は明らかに困っている。

「いや、無茶です。取られた物を教えてくれたら俺が取り返しますよ」

「ダメだ。自分で取り返さねぇと気が済まん」

　俺の方が困る。魔獣より、この人の発明品の方が危険だ。

「御老人、あなたも怪我をされているようだ。ここは彼に任せましょう。民衆の安全を守るのが私たちの勤めですから」

　シモンを初めて褒めたいと思った。しかし、ルノーさんは不満そうだ。

「おい、熊。それならおまえが守ってくれ。さっさと行くぞ」

　熊。ぴったりのあだ名だが、話がややこしくなってきた。

「ルノーさん。はっきり言いますけど、その怪我じゃ足手まといです」

「牡鹿(おじか)の。言ってくれるじゃねぇか」

「えぇ、言いますとも。ルノーさんをおぶった衛兵が付いてくるより、俺ひとりの方が絶対に強いです」

「ほぅ。大した自信だな？」

　シモンまで、血まみれの顔で睨んできた。

「そこまで言うなら、碧色の閃光の実力を見せてもらおう。我々はここで朗報を待つ」

　その瞬間、ルノーさんが目をむいた。

「碧色の閃光だと！？　まさかおまえさんだったとはな……なら、儂の出番はねぇぜ」

　反感を買いながらも、どうにか収まった。

「牡鹿の。これを持っていけ」

　ルノーさんはリュックから筒状の道具を取り出した。全部で三本もある。

　ラグが身を乗り出してきたが、心の中で突っ込む。

　食えねぇから。

「信号弾ですか」

「おう。残りを持ってけ。アレニエを仕留めたら打ち上げろ。魔力光が数分は点灯する。それを頼りに、儂たちが向かうって算段だ」

「最初から、これを打ち上げてくれてたら」

「馬鹿野郎。まさか救助が来てくれるとは思わねぇぜ。何本かは使っちまったが、ここぞという時のために取っておいたんだ」

「そういうことですか。わかりました」

　信号弾をしまおうとリュックを開けると、包みが目に入った。

「ルノーさん、お腹が空いてませんか？　女将さんの弁当、待っている間にどうぞ」

「おおっ、弁当だと！？」

　さっきの険悪さはどこへやら。空腹は人の心を荒立てる。俺のための弁当だが、これで場が収まるなら仕方ない。

　血まみれの熊と殺人級の道具をためらいもなく扱う老人。こんな凶悪者たちを足止めできるのなら安いものだ。

「酒はねぇのか？」

「あるわけないでしょうが！」

　こうしてようやくアレニエ捜索へ戻れた。剣を一刻も早く取り戻したい。

　別れ際の話だと、俺が助けた若い衛兵は、最初にやられた仲間を連れて森を出たらしい。

　ルノーさんを探しに戻ってきたシモンの根性は認めるべきだろう。しかも、そのお陰で窮地を救われた。

「さてと。アレニエの巣穴か」

　シャルロットの『恋する乙女の豆知識』と題されたメモによれば、アレニエは岩肌をくり抜き巣穴を作るらしい。ならば、この先に見える小高い岩壁が怪しい。

「っていうか、このメモ。見出しと内容が噛み合ってねぇ……」

　その時、茂みが揺れ、頭上から何かが落ちてきた。

　押し倒され、後頭部に衝撃を受けた。視界が闇で覆われる。

　顔に何かが張り付き、激しく圧迫されていた。呼吸ができない。

　混乱しながらも、顔に乗っているものをどかそうと手を伸ばした。

　すると、指先が食い込むほどの柔らかな弾力に触れる。

「ひゃうぅっ！」

　両手でそれを掴むと、頭上で声が聞こえた。

　冒険者としての本能か。体は即座に臨戦態勢へ切り替わる。

　おそらく、森に生息するスライム種、スライム・フォレだ。それも二体。

　高所からの奇襲が得意な魔獣だ。通りかかった俺に食らいついてきたのか。

　底辺の吸盤で相手へ吸い付き、血液をすする厄介な相手だ。大きなものだと成人の頭部ほどに成長する。

　こいつも、頭部とまではいかないが手の平から溢れる大物だ。しかし、声を出すスライムなど聞いたことがない。まさか新種なのか。

　絶対に逃がすまいと、しっかり魔獣を掴む。

　背筋と腹筋へ力を込めて勢いよく上半身を起こしたが、視界を覆う闇が晴れることはない。それどころか、両袖を引き裂くように何かがまとわりついてきた。

　触手まで操るとは、とんでもない新種だ。

　やむを得ず、魔獣から手を離した。

「くそっ！」

　まとわりつく触手を必死に払い、頭を振る。すると、真っ白な布のようなものが顔を滑り落ちていった。そこには鬱蒼とした森が広がり、二体のスライムがいるはずなのに。

「はぃ？」

　思考が停止した。頭を打った衝撃で、あの世へ旅立ってしまったのだろうか。

　目の前にいたのは、スライムよりもとんでもないものだった。

「いたたた……」

　白い肩と胸元を覗かせ、後ろ手をついて座り込む絶世の美女。

　コートがはだけ、すらりと長い脚が大胆なＭ字に開かれている。黒い下着まで丸見えだ。

「どうして君が？」

　まさかの、セリーヌだ。

　状況も理由も理解できないまま、視線だけが彼女の白い脚と黒い下着を往復した。