19 もうひとつの気配
「まさか、向こうを狙ってきたか」
上空から急降下してくるブリュス=キュリテールの姿に怒りが込み上げた。レオンたちも疲弊している。このままでは危険だ。
怒りを押し殺して歯噛みしていた矢先、魔獣の中心に位置する獅子の顔が、地上へ向けて魔力球を吐き出した。
爆発音に混じって、苦悶の呻きが拡散された。あの声は、ギデオンという弓矢使いだ。
「どういうつもりだ?」
ラファエルの呻くようにつぶやかれた声を聞き逃さなかった。奴は腕を持ち上げて顔への衝撃波を避け、地面を強く蹴っている。
仲間を傷つけられた怒りはわかる。好きになれそうもない面々だが、今は手を取り合わなければこの難局を乗り切れない。
「ラファエル、すぐに加勢に行くぞ」
俺は言い放つと同時に、力を温存するため、全身へ渦巻く炎の力を解いた。
「待て。貴様らはここに残って、あの魔導師を探せ。どんな手を使ってもいい。見つけ次第、確実に殺せ」
唖然としていると、ラファエルは念を押すように俺を指差してきた。
「いいか、半端な情けは無用だ。絶対に殺せ。あの男に竜の力が渡れば終わりだ」
そうして、黄金色の目を水竜女王へ向けた。
「ミシェル、貴様はここで竜を守れ。万が一の時はわかってるな?」
「大丈夫。任せて」
彼の言葉に頷いたラファエルは、魔獣を目掛けて駆け出していった。
万が一。それが俺たちの全滅を示しているのは明らかだが、そんなことにはさせない。
「マリーは竜に癒やしの魔法を。ナルシスとコームさんは彼女の護衛をしながら、ミシェルと臨機応変に。セリーヌは一緒に来てくれ」
「承知しました」
セリーヌが緊張の面持ちで頷いた直後、ナルシスが歩み出してくるのが見えた。
「待ちたまえ、君たち。その前に説明して欲しい。君の銀の髪もだが、姫の変化はどういうことなんだい? それに、聞いたこともない魔法まで扱って、僕には何がなんだか」
そういえば竜臨活性に関しても、ナルシスの記憶を操作していたことを思い出した。
「髪の色が変わってるのは、身体強化の魔法の影響だ。他の魔法のことは後で説明する」
確かにナルシスの言う通り、今のセリーヌは竜術を隠す素振りがない。後で竜眼の力を使うつもりだとしても、これだけの人数の記憶を容易に操作できるとは思えない。しかしそれ以上に、力を温存していては勝てないと思っているのかもしれない。
「セリーヌ、行こう」
話を打ち切るように視線を逸らし、彼女へ足早に近付いた。
「ちょっと。女神様のこと、くれぐれも頼んだわよ。怪我なんてさせたら許さないから」
背中へ、マリーの声が飛んできた。
こんな時でも他人の心配をできるとは、どれだけ思いやりの強い女性なのか。そう思うと、勝手に笑みがこぼれてしまう。
「女神様、これはお返ししておきます。私ごときには過ぎた代物。女神様がお使いになられてこそ、真価を発揮する魔法具です」
マリーは首から提げていたタリスマンを外すと、半ば強引にセリーヌへ握らせた。
俺はそれを見届け、改めて声を掛けた。
「セリーヌのことは何があっても守る。俺が一緒にいる以上、勝手な手出しはさせねぇよ」
彼女を伺うと、うつむき加減の横顔を隠すように黄金色の髪が肩を流れた。そこからわずかに覗いた耳が、朱を落としたように赤く染まっている。
「リュシアンさん……あの、その……相手の魔導師を探す手掛かりはあるのですか?」
「なんとなく、だけどな」
「それはどういう……」
セリーヌの言葉を遮るように視線を前方へ移し、辺りの気配に意識を向けた。そうして、耳打ちをしようと顔を近づけた途端。
「はわわっ!」
なぜか、驚いた顔で仰け反られた。
「どうしたんだよ?」
「リュシアンさんが急に近付かれるので」
なぜか取り乱すセリーヌ。こんな時だというのに、その頬がますます赤みを増している。
「セリーヌ、俺の話を落ち着いて聞け」
彼女の顔を覗き込み、その右手を掴んだ。
こんな表情をされては俺まで照れてしまうが、ここでポンコツ性能を出されても困る。
「奴の複製魔法だが、有効範囲を考えても近くにいるはずだ。この辺りで身を潜めるなら林の中しかねぇ。しかもこの話すら、拡声魔法で拾われてる可能性がある」
「私もそう思います」
「それよりも、何かもうひとつの気配を感じるんだ。俺の中にいるセルジオンや、プロスクレに似てる……近付いたり遠ざかったり、ためらっているような雰囲気がするんだ」
セリーヌと話しながらも、コームが驚いた顔でこちらを見ているのがわかった。
「セルジオン様が中にいる? 以前にも感じたが、お主のその力は何だというのだ?」
「すみません。それも後で話します」
「その件については、私もきちんと伺おうと思っておりましたので後ほど。リュシアンさんが仰る気配、私も感じていました」
「やっぱりな」
セリーヌも感じているということは、竜に関わる力と見て間違いない。そう確信した直後、それは突然に現れた。
俺たちをオルノーブルの街から王都へ運んだ謎の竜巻。それと同じものが発生したのだ。
抵抗する隙も与えてもらえない。俺とセリーヌの体は竜巻に飲み込まれ、上空へ舞い上げられる感覚に襲われていた。
気付けば風の球体に包まれている。ほんの一瞬で、湖を見渡せる高さまで上昇していた。
「どうなってるんだ?」
頭の中は色々と混乱していた。
上空にいることもそうだが、なぜかセリーヌに思い切りしがみつかれている。そういえばさっき、彼女の悲鳴を聞いた気がする。
「セリーヌ。もう大丈夫だ」
腕の中にある彼女の温もりを感じていると、花にも似た甘い香りが鼻孔をくすぐった。
肩に触れ、彼女の体を離そうとしたが、一層密着されてしまった。胸の前に出した両手で俺の冒険服を握り締め、胸元へ顔をうずめたまま動く気配がない。
「どうしたんだよ?」
「すみません、余りにも高い所は苦手で。足元も透けて、地上がさらけ出されているので」
「だったら、今なら何をしても許されるな」
「あなたはまた、そういうことを……」
咄嗟に顔を上げたセリーヌだったが、その顔は血の気を失い、蒼白になっている。
「大丈夫か? セリーヌがそんな状態じゃ、俺も困るんだけど」
どうしていいのか戸惑っていると、俺たちを包んだ風の球体は、林の中の一点を目掛けて緩やかに下降を始めた。
「この下に、あいつがいるんだな」
蝶を模した仮面。それを身に着けたインチキ魔導師ユーグの姿が頭を過ぎった。
ランクールから始まったあの男との戦い。それをここで、今度こそ終わらせてみせる。
俺たちがようやく大地へ降り立つと同時に、球体は泡が弾けるように消え失せた。
「んふっ。ここを突き止めるとは想定外」
目的の魔導師は大木へもたれ、不敵な笑みを浮かべて迎えてくれた。
「おいおい。てめぇがここで死ぬことは、しっかり想定しておいてくれよ」
剣の切っ先を相手へ向けると、俺の隣では、セリーヌが慌てて杖を身構えた。





