15 ただならぬ事態
相変わらず凶悪な気配を漂わせる男だ。油断ならない相手だが、こうして共に戦うとなると妙に心強いのだから不思議なものだ。
そして、ミシェルと呼ばれている人物も相当なやり手だ。セリーヌが仕掛けた風の魔法で体が軽くなっているということもあるが、自身も風の魔法を自在に操り、空を飛ぶかのような跳躍で地上と空を行き来している。
風の魔法を地面へ打ち付け浮力を得ると、飛び上がった先で大鷲型魔獣を撹乱。いつの間にか、背中から槍を取り出していた。
「鋭薙旋風!」
渦のように体を大きく旋回させ、大鷲型魔獣を斬り刻む。シルヴィさんの技に似ているが、あの人の攻撃は縦回転だ。横回転をするミシェルの技の方が攻撃範囲は広い。アンナの技と良い勝負になるかもしれない。
十体はいたはずの魔獣は、あっという間に半分にまで減少。ラファエルとミシェルのお陰で、俺達の出番はないかもしれない。
「あの技術、私にもできるでしょうか?」
跳ねるミシェルの姿を目にして、隣を走るセリーヌがそんなことを言い出した。
「できないことはないだろうけど、やめておけ。下着が丸見えになるぞ」
俺の言葉を聞いたセリーヌは途端に悲しそうな顔をして、軽蔑の眼差しを向けてきた。
「そうではありません。魔法をあのように扱うという発想が、私にはありませんでした」
「セリーヌは生真面目だからな。柔軟で臨機応変な対応は苦手そうだ」
俺が苦笑すると同時に、頭上へ展開してくれている氷壁へ再び矢が突き刺さる。
「でも、臨機応変って意味ではこの氷壁も同じか。攻撃用の魔法を守りに使うっていうのは機転が利いてるな」
「咄嗟の判断でしたが、マリーさんのお陰です。風の補助魔法を見て思いついたのです」
「とんでもない! 女神様からお褒め頂くだなんて、私ごときには身に余る光栄です。いざとなれば身を挺してでもお守り致します」
後ろを走っていたマリーは、恥ずかしさに赤面しながら早口でまくし立てた。
セリーヌに会えたことが本当に嬉しいのだろう。興奮した面持ちから、溢れ出しそうな感情が手にとるように伝わってくる。
「マリーさんに万が一のことがあれば、私が困ってしまいます。自分より若い命を危険に晒すなど、とても耐えられません」
セリーヌは、思いつめたように真剣な横顔だった。ここではないどこかを見つめているような物憂げな眼差し。それに釘付けになった途端、ナルシスの高笑いが聞こえてきた。
「はーっはっはっ。姫、それからマリー君も安心してくれたまえ。このナルシスがいる限り、あなた方を必ず守り抜きます!」
「頼むぞ、ナルシス。その場面がすぐ間近に迫ってるんだからな」
突破口は開かれた。左手には煙を上げる洞窟が迫り、上空では水竜女王が鳥型魔獣に囲まれ続けている。
加えて、黒装束の姿もちらほら確認できる。地上から射掛ける隊と、鳥型魔獣の背中に乗って射掛ける隊など、いくつかの小隊に分かれて行動しているようだ。
「おい、馬鹿ども。無駄話をしている暇があるなら手を動かせ」
いつの間にか、ラファエルが並走している。呆れ顔で俺達を睨むその目には、敵意がありありと浮かんでいるのがわかった。
「魔獣は片付いたのか?」
「残りはミシェルに任せてきたところだ。あの程度、すぐに片付く。細切れに引き裂かれた黒装束の死体を目に焼き付けておくんだな。あれは未来のおまえたちだ」
「勝手に言ってろ」
生意気な小僧のたわごとはうんざりだ。王都で叩きのめしたというのに、全く懲りていないとは厄介な男だ。
「コーム! ロラン!」
突然、セリーヌが叫んだ。
頭上へ展開していた氷壁を解き、洞窟方向へ向かってしまう。彼女が向かう先に、黒装束に取り囲まれたふたりの老剣士を確認した。囲む敵は三人だが、俺達の敵じゃない。
セリーヌを追うと、すかさずラファエルが付いてきた。俺達は老剣士たちを狙う敵へ、剣の切っ先を向けて身構えた。
「炎纏・竜薙斬!」
「雷影・竜飛閃!」
「氷竜零結!」
黒装束のひとりは炎に包まれ消失。ふたり目は紫電に引き裂かれ絶命。そして三人目は瞬く間に氷の彫像と化していた。
「目障りだ」
ラファエルは凍りついた敵を正面から蹴りつけた。足首から折れた彫像が地面に倒れ、その勢いで粉々に砕け散る。
「相変わらず容赦のない奴だな」
「馬鹿が。氷が溶けた時に命があったらどうするつもりだ。狙われるのはこっちだ。殺れる時には殺る。戦いの基本だ」
「俺は殺さなかっただろうが」
「貴様には利用価値があっただけのことだ。それに下手な冒険者に手を出せば、後々面倒なことになりそうだったんでな」
薄ら笑いを浮かべるラファエルから目を逸らすと、老剣士たちと話しているセリーヌの姿が目に付いた。
「ふたりとも無事で何よりです。それで、オラースはどうしたのですか?」
彼女の問い掛けに、コームが悲痛な面持ちで首を振った。
「風の魔法でセリーヌ様を洞窟外へ逃した後、あの爆発に巻き込まれました」
「そんな……」
「セリーヌ様を守るという、大事なお役目を果たしたのです。彼は立派でした」
コームの隣に立つ、ロランと呼ばれた老人は目頭を押さえた。コームと同じく五十歳前後といったところか。ややふっくらとした体型に纏った鎧が、いささか苦しそうにも見える。温厚そうな外見は、コームよりも取っつきやすそうな印象を受けた。
「お主、なぜここに?」
コームからの突き刺すような視線を受け、緊張と共に警戒してしまう。
「プロスクレと約束があってな」
「なぜゆえに、お主のような者と?」
俺を良く思っていないのはわかっているが、今は無駄な争いをしている場合じゃない。
「んふっ。招かれざる客人まで加わるとは想定外。邪魔立てするなら即刻排除」
頭上から、ユーグの声が降ってきた。空を舞う大型魔獣の群れに紛れ、どこにいるのかまではわからない。
「俺達を排除したいって言うなら、今すぐ出て来いよ。怖じ気付いてるんだろ?」
「笑止。時は満ちた……」
「ユーグ殿、ようやくですか。私は随分と多くの部下を失いました。状況も複雑になってきたので、ここは引かせて頂きます」
ユーグに続き、黒装束のセヴランの声が聞こえてきた。次いで指笛の音が響き、辺りの黒装束たちが一斉に反応を示した。
そうして彼らが身を引くと同時に、地の底から呻くような咆哮が辺りを震わせた。
「赤ゴリラか?」
慌てて視線を向けるが、あの魔獣は未だレオンたちと戦いを続けている。何かそれ以外の存在が現れたということだ。しかし、俺は見逃さなかった。あの赤ゴリラすらその声に怯え、身を固くしたことを。
「この声は……まさか……」
セリーヌの声が震え、その額には冷や汗が滲んでいる。コームとロランの強張った表情に、ただならぬ事態が迫っていることを悟ってしまった。





