13 閉ざされた扉
赤ゴリラへ視線を戻せば、手と片膝を突いた姿勢のまま、こちらへ体当たりを仕掛けてくるところだった。あくまで俺だけを集中的に狙うつもりだ。
「零結創造!」
横手から、レオンの声が飛ぶ。冷気を纏った青白い魔力球が飛び、俺と赤ゴリラの中間点へ着弾。すぐさま大地を凍結させ、足を滑らせた魔獣が転倒した。
「おまえの相手は俺なんだけど」
レオンが魔法剣を手に斬り込む。
するとそこへ、氷の魔力を帯びた矢が次々と打ち込まれ、レオンもろとも魔獣を襲った。
「獲物の独り占めはよくないんじゃねぇ? そいつに五千万ブランの懸賞金が付いてるのは知ってんよ」
レオンは自身へ飛び来る氷の矢を薙ぎ払い、険しい顔でギデオンを睨んだ。
「ずっと付けてたのはあんたか。信号弾といい、目的は何? 返答次第では斬るけど」
「ぶはっ。おまえ、いいねぇ。俺だって、殺すなら人間が大好物なんよ。こんなゴリラより、おまえの方が殺り甲斐があるってもんよ」
長弓を背中に固定したギデオンは、不敵な笑みを絶やさぬまま二本の短剣を構えた。
「碧色が、うちの大将に火を付けちまったせいなんよ。恨むなら、碧色を恨めって」
起き上がろうとする魔獣の右腕を斬りつけるギデオン。だがその一閃は通らず、傷らしい傷を与えられていない。
「あれからずっと不機嫌で、すぐに探せってうるさいのなんの。面倒で仕方ないんよ」
赤ゴリラの拳を避け、尚も話し続けている。呑気とも取れる戦い方の上、こんなことをしていては埒が明かない。レオンも同じことを思ったのか、即座に魔獣へ斬りかかった。
「零結煌!」
その刃が青白い光を纏う。魔獣の懐へ潜り込んだレオンは、氷の魔法を含んだ一閃で相手の左太ももを鮮やかに斬り裂いた。
痛みに吠える魔獣。初めて傷らしい傷を与えることができた。やはり、水や氷の属性が極めて有効なのは間違いない。
だが、まだ足りない。六メートル以上もあるこの巨大な魔獣を仕留めるには、もっと圧倒的な攻撃が必要だ。徹底的に付き纏ってくるような奴だ。ここで確実に消すしかない。
「セルジオン。舐められてるんじゃねぇのか? 竜の本気を見せてみろ。おまえの力はこの程度じゃねぇだろうが」
心の内へ訴えるようにつぶやくが、扉は閉ざされ反応がない。今にも消えそうな炎へ、湿気った薪を必死に投げ込んでいる気分だ。王都で見せた、あの爆発的な力が絶対に必要だ。どうにかして、それを引き出さなければならない。
赤ゴリラはうるさい虫を払おうと、必死に両腕を振り回している。しかし、その攻撃がレオンとギデオンを捉えることはない。ふたりはさすがとも言える身のこなしを見せ、攻撃をことごとく避けている。
「もう一度、竜牙天穿だ」
力を練り込もうと剣を構えた時だ。赤ゴリラは両拳を握り、自らの胸板を激しく叩いた。
魔獣の雄叫びと共に、全方位へ衝撃波が迸る。湖面が波打ち、木々が薙ぎ倒されてゆく。
セリーヌとマリーの悲鳴が聞こえたと思った時には立っていることすらできず、地面を激しく転がっていた。
「くそっ……」
うつ伏せのまま顔を上げると、頭上を影が覆っていた。両手足へ力を込め、慌ててその場を飛び退いた。
轟音と共に大地が悲鳴を上げる。赤ゴリラの着地を受け止めた地面は、吐血するように激しい砂塵を巻き上げた。
竜臨活性を使っていなければ間違いなく踏み潰されていた。ユーグが何かをしているのかもしれないが、今までの魔獣とは危険度がまるで違う。
直後、魔獣が大きく口を開いた。鋭い牙が並ぶ口内。その喉奥から巨大な火球が吐き出され、俺を目掛けて飛来する。
小さな太陽を思わせる火球。そこに内包された光と熱に、肌が焼かれる感覚が襲う。この一撃の威力をまざまざと見せつけられているが、敵の不意をつくにはここしかない。
俺は避けることを諦め、火球を斬り裂くことにした。敵もまさか、俺が爆炎の中から飛び出してくるとは思いもしないだろう。
腰を落として身構えた途端、横手から鈴の音のような声が次々と届いてきた。
「水竜流嚥!」
「清流創造!」
ほぼ同時に顕現したふたつの水流弾。それが火球を直撃し、大量の水蒸気が広がった。
セリーヌとマリーへ目配せして感謝の意を伝える。そのまま地を駆け、大きく跳躍した。驚きで固まっている赤ゴリラの懐へ飛び込み、手にした剣を横薙ぎに振るう。
「炎纏・竜薙斬!」
炎を纏った大振りの一閃は、両腕に確かな手応えを伝えた。直後、腹部を斬り裂かれた魔獣が呻き声と共に背中を丸める。
そして俺は着地と同時に、次の攻撃へ備えていた。左手へ炎の力が収束してゆく。
背中を丸めた赤ゴリラ。その顔を間近に捕え、跳躍と同時に顎へ掌底を見舞う。
「炎纏・竜牙撃!」
強烈な衝撃を受けた魔獣。その口から、折れた牙が数本飛び散った。体を大きく仰け反らせてよろめいた赤ゴリラは、林の中へ仰向けに倒れてしまった。
「集中攻撃で一気に仕留めるぞ」
俺の呼びかけに、レオンとギデオンがそれぞれの得物を構えた。右方にはセリーヌとマリーの姿も見える。そして、黒装束たちに止めを刺したナルシスが、こちらへ駆け寄ってくる姿を捉えた。いつの間にかユーグの姿が消えているのは気掛かりだが、それは後だ。
倒れたままの赤ゴリラへ駆け出した途端、横手の林から出てくる人影に気付いた。
「おぉ。ドッタンバッタンと派手にやらかしてるな。祭りの会場はここか」
漆黒の重量鎧に身を包み、斧を担いだ巨漢の戦士。剃り上げた頭皮を擦りながら、呑気に笑みすら浮かべている。確か、名前はモルガンと言ったはずだ。
「なぜ、おまえたちがここにいる!?」
俺の隣に並んだナルシスが、細身剣の先を向けてモルガンを睨んだ。
「あ? なんか見覚えがあると思ったら、いつぞやの雑魚か。まだ生きてたとは驚きだ」
「おのれ。僕を愚弄する気か! そこの魔獣の前に、君へ思い知らせるのが先のようだ」
ナルシスの言葉を、モルガンは鼻で笑った。
「やめておけ。せっかく拾った命を捨てる気か? それに俺は、この怪物を目当てに来たんだ。雑魚は黙って見てな」
「言わせておけば……」
悔しさに歯噛みするナルシスを横目に、俺の我慢が限界を迎えた。
地を蹴り一気に加速。その勢いで繰り出した中段蹴りが、モルガンの腹部を直撃した。背中を丸めた巨漢が地面を無様に転がる。
俺はその姿を睨み下ろしながら、右手へ握った魔法剣の切っ先を向けた。
「立てよ、ハゲ頭。ナルシスを侮辱したこと、後悔させてやるよ。どっちが雑魚なのか、徹底的に思い知らせてやろうじゃねぇか」
「おまえが出てくるのは筋違いだろうが」
モルガンは四つん這いになって非難の目を向けてくるが、知ったことじゃない。
「こいつらをまとめてるのは俺なんだ。仲間が侮辱されるのは、俺が言われてるも同然だ」
「雑魚の親玉は、とんだ阿呆だな」
「その阿呆に、コケにされる気分はどうだ?」
抑えきれない怒りが全身へ満ちてくる。





