10 水竜女王プロスクレ
風を切るように馬が疾駆する。
体へ伝う激しい振動と、早鐘を打つ胸の鼓動。それらが呼応しているようで、焦りだけが急速に膨らみ続けている。
「セリーヌ。敵の数はわかるか?」
「空を舞う鳥型魔獣が多数。加えて、魔導師と数十人の黒装束集団です」
黒装束たちの存在は謎だ。これまで全く姿を見ていなかったが、インチキ魔導師が新たに頼った仲間だろうか。もしくは、あいつが操る新たな手駒かもしれない。
「セリーヌの同行者は何人だ?」
「コームの他に、剣士と魔導師の三名です」
「あの人か……」
老剣士の姿が思い浮かぶと同時に、敗戦の苦い記憶までもが蘇ってきた。だが、今の力があれば二度と負けない自信がある。
「こっちは、レオンにマリー、それからナルシス。あとは戦力外の子どもがひとりだ」
「リュシアンさん、間もなく戦地へ突入します。敵の拡声魔法も展開されていますから、会話にも注意してください。霧が薄まっている……プロスクレ様が弱っている証拠です」
林を抜けた俺達は、そのまま湖畔へ飛び出した。周囲は鬱蒼とした木々に包まれ、前方には断崖が聳えている。その断崖の右奥へ、大きな穴が口を開けているのが見えた。
目指す洞窟の真上には、旋回する鳥型魔獣の群れ。そして俺達に気付いた数名の黒装束が、すぐ様こちらへ向かって来るのが見えた。
胸の奥がざわつく。激情がこの身を包み、眼前の敵を蹴散らせと訴えてくる。
馬の背から飛び降りると同時に、ラグが上空へと舞い上がった。俺は剣を抜いた右腕を水平に伸ばし、意識を研ぎ澄ませる。
「炎爆!」
右手の甲に刻まれた竜の痣。そこから青白い炎が吹き出した。とぐろを巻いて右腕を這い上がり、それは瞬く間に全身を包み込む。
「ザコは失せろ」
振り抜いた刃から炎が吹き荒れる。その一閃が、右方より迫る男の体を断つ。
腹部から分断された遺体が地面へ落ちるより速く、俺は左方の敵へ蹴りを放った。相手のみぞおちへつま先が食い込み、敵は呻きと共に背中を丸める。
すかさず伸ばした左手で相手の喉を掴み、そのままの勢いで地面へ叩きつけた。鈍い音と共に喉が潰れ、相手は生命活動を停止する。
「凄い……」
馬から降りてきたセリーヌの声を無視して、洞窟を目掛けて走った。この程度の相手に水竜女王が遅れをとるとは思えないが、相手はユーグだ。決して油断はできない。
続く三人の黒装束を次々と斬り伏せた時だった。突如、洞窟の奥で爆発音が響き渡った。
まるで洞窟が苦しんでいるかのように地響きが起こり、大量の土煙が吐き出される。その勢いに押されるようにして、青い巨影までもが飛び出してきた。
「あれは……」
全身を包むのは青白い鱗。翼を広げた全長は、三階建ての宿を優に超える大きさがある。
「プロスクレ様!」
セリーヌの悲鳴のような声が漏れる中、竜は舞い上がろうと翼をはためかせた。
しかし、それを阻止するのは上空の鳥型魔獣たちだ。鋭い鉤爪を持つ足。そこへ掴んでいたものを、次々と地上へ落下させ始めた。
「鳥ども……光属性の魔法石か」
竜の周囲で次々と爆発が巻き起こる。あれだけの攻撃を受けては、さすがに上空へ逃れることは困難だろう。
俺は即座に背後のセリーヌを見た。
「風の魔法で、俺を水竜女王の背中まで飛ばせるか? 鳥を叩き落としてやる」
「んふっ。無粋なことを」
「リュシアンさん!」
不快な声は右耳から。左耳はセリーヌの警告を拾っていた。即座に顔を向けた途端、腹部に強烈な衝撃を受けて吹き飛ばされていた。
背中から地面に叩きつけられ、息が止まる。横転しながら慌てて身を起こすと、セリーヌの先へ忌々しい男の姿が見えた。
「リュシアン君、やはり来たか……お互い、どこまでも縁があるようだ」
「そんな縁、ここで断ち切ってやるよ」
「とは言うものの、今回は私が自ら君たちの道へ割り込んだのだが。なぜ私がここにいるのか、不思議だと思わないか?」
「どういうことだ?」
「リュシアンさん、惑わされないでください。これはただの時間稼ぎです」
セリーヌは素早く杖を身構えた。
水竜女王への爆撃は続いている。あれだけの魔法石をどうやって調達したのかという疑問もあるが、よく見れば魔法で追撃をする別のユーグの姿までもが見える。
「複製体か」
「むしろ、私こそが本体だとは思わないか?」
「間違いなく偽物だろうな」
剣を構えて踏み込んだ直後、背後で殺気が生まれた。
「がううっ!」
ラグの警戒に促され、振り返りざまに刃を一閃。金属を弾く甲高い音が響き、毒の塗られた刃が地面を転がった。
「素晴らしい反応です」
声と共に、左方から影が忍び寄っていた。繰り出された剣撃を既の所で受け止める。
刃の向こうには、目元だけを覗かせた黒装束の男がひとり。だが、他の男達とは明らかに雰囲気が違う。
俺は相手が持つ短剣と鍔迫り合いを続けながらも、左腕へ力を集中させた。
「炎纏・竜爪撃!」
炎を纏わせた左腕。そこから、相手の腹部を目掛けて掌底を繰り出す。
しかしその直後、黒装束は俺の腕を取って大きく跳躍していた。
左腕を伝って側転を仕掛けられた。体を乗り越えられたと思った時には、後頭部と左肩へ強い衝撃を受けていた。
「リュシアンさん!」
セリーヌの叫びを受けながらも、すぐには起き上がれない。まさかあの一瞬で、左肩をやられるとは。
「おやおや。そんな力任せの一撃では、僕の命を奪うなんてできませんよ。女性を扱うように、もっと優しく接して頂かないと」
「雷竜轟響」
セリーヌが振るった魔導杖。その軌跡に沿って紫電の帯が伸びた。
『魔壁創造!』
ユーグと黒装束の声が重なり、黒い結界壁が二重に張り巡らされる。紫電がそれらを破壊した時には、ふたりの姿は魔法の範囲外へ遠ざかっていた。
「ちょこまかと、鬱陶しい奴等だな」
舌打ちと共に立ち上がったものの、左腕に力が入らない。筋でもやられたのか肩には鈍痛が続き、剣を握ることも困難だ。
悔しさに歯噛みすると、ユーグの口元が意地の悪い笑みを形作るのが見えた。
「水竜女王プロスクレ。彼女が力尽きる様をそこで眺めているといい。私は更に、終末への時を推し進めるのみ」
ユーグが杖を構えた時だった。
「だったら俺は、あんたの最期を推し進めるとするか」
魔法で加速力を付け、一陣の風と化した人影がユーグへ迫った。その右手には、新たに手にした魔法剣が光を放つ。鋭い一閃が相手へ届こうという刹那、間に入った黒装束が、真っ向から刃を受け止めた。
「これはまた、活きの良いボウヤですね」
「その喋り方。気持ち悪いよ」
魔法剣を手に、レオンが苦い顔を見せた。





