08 予期せぬ再会
グラセールをたった後も、マリーは昔を懐かしむように話し続けた。先を急ぎたいのはやまやまだが、彼女の後ろにはルネも乗っている。そこまで速度を出すこともできず、風景を楽しむような移動が続いていた。
「オーヴェル湖の付近はいつも霧に包まれていてね。そのお陰かどうかはわからないけど、魔獣も滅多に現れないの。だからこそ、まだ小さかった私でも、両親の手伝いで出掛けることができたんだけどね」
「薬草を売って生計を立ててたのか?」
俺の問いかけに、隣で馬を走らせるマリーは可愛らしい笑みを零した。
「違うわよ。話してなかった? 私の両親は薬師だったの。製造と販売が主な仕事だったけど、そんな両親に憧れて、私も人助けの道を志そうと思ったってわけ」
「じゃあ当然、秘薬のプロムナも作ってたんだよな? まさか、マリーの両親が開発した薬だなんて言わないよな?」
「秘薬はジュネイソンの街に開発者がいたの。両親はその人に習ったって言ってたわ。限られた人だけが製造方法を伝授されて、今でも作られてるのね。私も霊峰に呼ばれてからは薬草の採取を止めてしまったから、誰が継いでいるのかはわからないけど」
そこで、マリーが驚いたように声を上げた。
「そういえば私、オーヴェル湖で不思議な体験をしたことがあるの」
「がう?」
俺の左肩の上で、ラグが間抜け声を上げた。
「十三歳の時の話なんだけど、ひとりで薬草を取りに行って、一度だけ魔獣に襲われたことがあるの。あれは狼型ってやつよね。一抱えもある大きな魔獣に首を噛まれてね」
「首を?」
いつの間にか、レオンとナルシスも彼女の話に聞き入っている。
「そうなの。私はここで死ぬんだなぁって思ったら、妙な幻を見たのよね……全身が水色の鱗で覆われた、大きな竜が現れてね」
その外見は、水竜女王の伝承画と一致する。
「あなたはここで死ぬべきじゃないって声がして、胸の上に何かが置かれたような重さを感じたの。目が覚めた時には湖のほとりに倒れていて、魔獣なんてどこにもいなくてね。あれが何だったのか未だにわからないけど、その後から魔力が格段に強くなったのよね」
水竜女王は、力を分け与えてマリーを助けたと言っていた。当の本人には、その時の記憶が夢として残っているのだろう。
「竜に生かされた、ということかい? 素敵で運命的な話じゃないか。それもまた、女神ラヴィーヌの思し召しというわけだね」
白い歯を見せ、爽やかに微笑むナルシス。キザな言葉と相まって、今日は更に鬱陶しい。
「代わりにおまえが召されたら良かったのに。首に鎖を付けて、喜んで女神へ捧げてやるよ」
「愚かなり、リュシアン=バティスト。この僕を失うということは、人類にとって大きな損失になると気が付かないのかい?」
「自分にそこまでの価値があると思ってるのか? 思い込みも甚だしいな。全人類に謝れ」
俺の言葉をナルシスは鼻で笑う。
「全人類が僕にひれ伏すことがあっても、僕がひれ伏すことはない。なぜなら、僕は美しく、完璧な存在なのだから」
「おまえはもう、ボンゴ虫からやり直せ」
不毛なやり取りをしていると、レオンの乗った馬が隣へ並んできた。
「碧色、気付いてるか?」
「は? 何を?」
言うなり、呆れ顔を向けられた。
「あんたに聞いた俺が馬鹿だったか。相変わらずぬるいな。ずっと誰かに付けられてる。気配は薄いけど、視線を確かに感じる」
「ずっとって、いつだよ?」
「気付いたのはグラセールだけど。ひょっとしたらその前からかも。接近を確認したら、こっちから仕掛けるから」
相手がわからないというのは厄介だ。このまま付けられて水竜女王のことを知られることだけは避けたい。敵だとすれば確実に葬っておかなければ。
そんな心配を抱えながら、移動は着々と進んだ。以前にアルバンとモーリスを連れて馬車で通った道をなぞり、ジュネイソンの廃墟が見える所までやってきた。俺はそこで、改めてレオンの様子を伺う。
「で、例の視線はどうだ?」
「相変わらず。付かず離れずだよ」
思わず舌打ちが漏れてしまうが、左肩の上にいるラグは反応する気配がない。危険はないということなのか、もしくは相棒でも気づけないほどの気配だとでもいうのか。
思案していると、マリーの操る馬が俺達の前へ歩み出してきた。
「オーヴェル湖は、ここから十五分くらい歩いた所です。霧がもっと深くなりますから、ここからは私の後に……」
その時だ。前方で大きな爆発が起こり、天にも届かんばかりの勢いで土煙が舞い上がった。霧すらも吹き飛ばすような勢いで、爆風がこちらにまで延びてきた。
恐れ、いななく馬たちをなだめながらも、胸の中に広がる不安を隠しきれない。
「なんなの!? あっちにはオーヴェル湖が」
マリーの悲鳴のような声を耳にした途端、いよいよ感情を抑えきれなくなった。
「がう、がうっ!」
ラグの声が気持ちを急かす。ただならぬことが起こっている。すぐに水竜女王の下へ。
「先に行く。後から来てくれ!」
「ちょっと! 道は!?」
マリーの声を無視して馬を走らせる。これだけの濃霧の中でも不思議と、目的地へ辿り着けるという確信があった。
辺りは林だ。似たような景色が続き、霧の深さと相まって同じ所を巡っているような錯覚がする。確かにこの土地に慣れていなければ困難な道のりだが、先へ進むにつれて霧の濃度が薄まってきているのも事実だ。
生い茂る草木を掻き分け、なだらかな樹林を一気に駆け抜ける。程なく霧の薄まった、湖のほとりへ抜け出すことができた。
広大な湖面は降り注ぐ陽光を照り返し、まるで巨大な鏡のようだ。奥には断崖がそびえ、そこを流れ落ちる巨大な滝が目に付いた。獣が唸るような低音が響き、大自然の猛威が全身へ直に伝わってくる。
「洞窟って言ってたな」
湖のほとりをなぞるように走り始めたが、右前方では今だに土煙の漂う場所がある。恐らく、あそこが洞窟と見て間違いない。
「まさか……」
「がるるる」
俺の考えを読んだように、ラグが威嚇の唸りを上げる。霧を抜けた先で、空を漂う黒い影を認めた。恐らくあれは鳥型魔獣だ。王都を襲ったものと同類かもしれない。
馬の腹を蹴り、一気に加速する。霧を掻き分けるように進むと、突然に前方へいくつかの人影が現れた。
弾かれたように鼓動が大きく脈打った。全身が熱くなり、視界は一点へ釘付けになる。
手前に黒装束たちを認めたが、そんなものは知ったことじゃない。途端に散開する彼等の間を駆け抜ける。上体を傾けた俺は、奥に立つ人影を左腕で攫うように抱き上げた。
まるで信じられないものでも見たような、驚きに包まれた顔をしている。見開かれた瞳と視線が交わる。今度こそ守り抜いてみせる。絶対に離さない。あの誓いは嘘じゃない。
「リュシアンさん……どうしてここに?」
「それはこっちのセリフだ。お互い、運命に引き寄せられたのかもな」
呆気に取られるセリーヌを安心させようと、優しく微笑み返していた。





