07 こんなの初めて
数ヶ月ぶりに訪れたグラセール。前回は騒動に巻き込まれたため、街を楽しむ余裕など微塵もなかった。火災騒ぎまで起こしてしまったが、別段変わった様子もなく安心した。
この街は、ヴァルネットに比べればまだまだ発展途上だ。石畳もなく、土が剥き出しになった大通りを並び歩いてゆく。
「グラセールといえば、やはりグラセ・フルーツだね。ブリジット姫への土産にしようか」
ナルシスが、露店のひとつに目を留めた。
「グラセ・フルーツ? 初めて聞きました」
「マリー君は知らないのかい? 甘酸っぱい果物でね。ここでしか採れない高級果実さ。そのままでも抜群に美味しいけど、ジャムにしたり、お菓子に使ったり、用途は様々だね」
ナルシスの豆知識に聞き入るマリー。俺は、そんなふたりへ呆れた視線を投げる。
「悪いけど、観光も土産も後回しだ。まずは腹ごなし。それからすぐに移動だ。店は……あそこにするか。行くぞ」
大通りに並ぶ一軒の建物が目に付いた。カンタンとエミリアンのお陰で金には困らない。たまには贅沢をしてもいいだろう。
店の裏手にびゅんびゅん丸を繋いで入店。レオン、マリー、ナルシス、ルネ。一見すると、とんだデコボコパーティだ。そんな五人の来店を目にした高級飲食店の店員は、わずかに不安げな表情を滲ませた。
「大丈夫。お金ならありますから」
そうして六人掛けのテーブル席へ案内され、俺の隣にはレオンが座り、向かいにはナルシス。どんな料理も味が落ちてしまいそうな配置に溜め息が漏れた。斜め向かいにマリーが座り、彼女の横にルネが着いている。
牛のフィレ・ステーキに焼きたてのパン。山菜を使ったサラダなど、豪華で見た目も華やかな料理の数々に舌鼓を打つ。だが、食べることのできないラグだけが、俺の左肩の上で寂しそうに唸り声を上げている。
「まったく……君たちは、ナイフとフォークも満足に使えないんだね。困ったものだ」
「そんなものが使えなくたって、生きていくには困らねぇんだよ」
小馬鹿にしてくるナルシスを受け流し、心ゆくまで料理を堪能。すると、マリーが満面の笑みを見せてきた。
「こんなに美味しいものを食べられるなんて凄く幸せです。しかも、各地を巡るっていう経験も刺激的で新鮮ですね。見るもの全てが物珍しくて、わくわくします」
それを不思議に思い、困惑してしまった。
「でも、初めてってわけじゃないだろ?」
「野営施設と王都は、ジョフロワ様に同行して何度か行きましたけど……ヴァルネットやシャンパージェの街は初めてです」
「本当か!?」
俺の反応を目にするなり、マリーは頬を膨らませ、途端に不機嫌そうな顔を見せた。
「世間知らずですみませんね。霊峰からほとんど出たことがないので。ほぼ一日中、寺院の中で治療にあたっているんです。たまの休みは、カルキエの街へ降りるくらいですから」
「いや、馬鹿にしてるつもりはないんだ。気分を害したなら謝る。すまない」
「別に、私もそこまでしてほしいわけじゃありません。ただ愚痴を言ってみただけです」
バツが悪そうに目を逸らしたマリーは、シャルロットとお揃いのブレスレットを撫でる。そんな姿を見ながら、彼女の境遇を思った。
「確かにそうか……霊峰の寺院。あそこの混雑具合は凄かったからな。マリー頼みだったんだろうし、気の休まる暇もなかったんだな」
「いえ、そこまで重苦しくもないんです。患者さんが元気になってくれるのは嬉しいし、ありがとうって御礼を頂けるのはもっと嬉しいですから。とてもやりがいがあります。故郷や両親はなくなってしまいましたけど、皆さんの方がもっと辛い経験をたくさんされています。私なんて大したことありませんよ」
顔の前で小さく手を振るマリーへ、レオンが優しげな眼差しを向けたのがわかった。
「そんな風に言えるだけで十分強いと思うけど。君の働きと存在はもっと誇っていい。ひとりで抱え込みすぎて、心が壊れてしまう人も大勢いる。魔獣の脅威も増してきて、みんなが不安を抱えて生きてる。嫌な時代だ」
レオンは苦い顔でパンを千切ると、魔獣を噛み殺すかのように口へ放り込む。
どことなく重苦しい空気が漂い始めた。それを打ち破ったのは、ナルシスの咳払いだ。
「で、この後はどうするんだったかな? 確か、患者に会いに行くとか……住まいはこの近くなのかい?」
「あぁ、そのことか。どうやらオーヴェル湖の側に住んでるらしくてさ。馬を借りて、俺とマリーだけで向かうつもりだ。三人は宿でのんびりするなり、観光するなり、好きにしてくれて構わねぇから」
そう言った途端、マリーとレオンから同時に険しい視線を向けられた。
「あなたとふたりですか……」
「待て。俺も行くから」
露骨に嫌がるマリー。そんな彼女の腕にルネがしがみつき、無言の圧力を放ってくる。そして、レオンは意味ありげな顔だ。
「レオンまでどうしたんだよ?」
「詳しい話は後でする」
「となれば、僕も行くしかないね」
ナルシスがすかさず声を上げてきた。
「いや、おまえはいいぞ。ルネと留守番をしていてくれた方が助かる」
「待ってくれ。僕も剣士の端くれだぞ。留守番を言いつけられるとはどういう了見だい?」
「ん? そのままの意味だ」
「君はどこまでも失礼な男だな。この僕の実力を甘く見ているんじゃないのかい? その目を見開いて、しっかり確認するといい」
ナルシスはテーブル・マナーとやらも忘れ、かき込む勢いで食事を平らげてゆく。
まもなく食事が終わりそうな雰囲気だったが、大食らいのルネだけは物足りないという顔を見せた。仕方なくおかわりを勧めると彼女は喜んで食い付き、その隣ではマリーが食後の甘味へ手を付けたところだった。
「なんなのこれ。こんなの初めて……あふぅん……最高に幸せ……もっと欲しい」
グラセ・フルーツの果肉を使った氷菓子に恍惚の表情で身悶える。それを微笑ましく思いながら、俺はひと足早く会計に向かった。
「失礼ですが、お客様は冒険者の方ですか?」
「ええ。そうですけど、なにか?」
なぜか男性店員は不安を浮かべている。
「ジュネイソン方面へ向かわれるのなら気を付けてください。数日前、鳥型魔獣の群れがあちらへ向かうのを大勢が目撃しています。冒険者や商隊が壊滅したという噂もありますから、迂回して進まれた方が賢明かと……」
王都から飛び去った黒装束の一団が頭を過ぎり、ただならぬ不安を覚えてしまった。
「しかも、それだけではないんです……」
店を出た俺達は、馬屋を尋ねて三頭を借りた。ナルシスにはびゅんびゅん丸がいる。俺とレオンとマリーで一頭ずつを割り振り、ルネをマリーの後ろに乗せた。
「目的地までもう一息だ。急ぐぞ」
声を掛けるなり、マリーの馬が横へ並んだ。
「オーヴェル湖なんて何年ぶりかしら。あの湖にある薬草は万病に効くって有名でね、私も小さい頃から収穫を手伝ってたのよ。プロム・スクレイルって知ってる? プロムナっていう飲み薬の材料になるんだけど」
「プロムナ!? 知ってるも何も、原料も製造工程も謎っていう秘薬じゃねぇか」
「大正解。ちなみにあの湖は、竜伝説が残っていることでも有名なのよ」
間違いなく、水竜女王プロスクレのことだ。マリーと水竜女王は、出会うべくして出会ったのかもしれない。





