06 呪いのブレスレット
「あれ? そのブレスレット、どうした?」
ナルシスへ尋ねると、得意げな顔を見せてきた。この生意気そうな顔がとても憎らしい。
「まいったなぁ。隠すつもりはなかったのだが、聞かれては答えないわけにもいかないね」
「いや。別にどうでもいいけどさ」
俺がそう言うと同時に、レオンも背中を向け、再び入口の側で座り込んでしまった。その反応を見たナルシスは途端に顔を歪ませる。
「君たちには思いやりがないのかい? もっと友好的な関係を築こうじゃないか」
「悪い。興味ねぇわ」
「そんなぬるい関係は望んでない」
珍しく、俺とレオンの意見が一致した。
「少しは興味を持ってくれてもいいだろう」
相変わらず面倒な男だ。レオンとふたりきりより良いが、これはこれで鬱陶しい。
俺は溜め息をついて、ベッドへ再び腰掛けた。風呂上がりの開放的な気分が台無しだ。
「このブレスレットは、ヴァルネットを出る時に、ブリジット姫から頂いたものだ」
聞いてもいないのに勝手に話し始めた。どうやら話したくて仕方ないらしい。
「旅のお守りということだが、なんと手作りなのさ。僕のために作ってくれたんだぞ」
「おまえを大人しくさせるような呪いでも込められてるんじゃねぇのか?」
視界の奥で、レオンが確かに吹き出した。まさか、あいつのそんな顔を見られるとは。
「リュシアン=バティスト。君は本当に失礼な男だな! 込められているのは優しさだ」
「あぁ、そうですか。のろけもほどほどにしてもらえませんかねぇ」
俺の言葉へ賛同するように、机の上からラグの鳴き声が聞こえてきた。だがそこで、俺はようやく事の真相に行き着いた。
「そういうことか……セリーヌを諦めるなんて言いながら、ブリジットに乗り換えたな」
「その言い方はないだろう。こちらがダメだからあちらなどと、軽い気持ちではない」
「まぁ、ブリジットも温厚な性格だからな。おっとりしてるし、助祭って仕事柄、面倒見もいい。二十二歳って言ってたから年上か。甘えん坊のおまえには合ってると思うぞ」
「ぐっ……ぐぬぅ……」
言い返せずに固まっている。
「たぶん、おまえの介抱をしている間に心境の変化があったんだろうな。この人には私がついていないとダメなんだわ、みたいなさ」
ブリジットはおっとりしているが、責任感の強い女性だ。ナルシスに付いていくと決めたら本気でやり遂げるかもしれない。
「寺院の人気者だからな。愛想は良いし、仕事も丁寧。教え方も上手いんだよ。知らない男に取られないように気をつけるんだな」
「そんなに人気なのかい?」
俺の顔を覗き込むように近付いてきた。
「おまえがそんな不安そうな顔をするんじゃねぇよ。いつもみたいに、どんと構えてりゃいいんだよ。もっと自信を持て」
小さな師匠、エリクの顔が浮かんだ。
「男なら、大事なものは自分の力で守るんだ。必ず手に入れたいのなら、どんなことがあっても諦めるんじゃねぇ。尻尾を巻いて逃げ帰った姿を見せるのか。目的を果たして凱旋した勇ましい姿を見せるのか。好きな方を選べ」
「見くびるな。絶対に逃げるものか!」
力強く言い放ったナルシスだったが、何かを思い出したように目を見開いた。
「介抱で思い出したが、先程レオン君から聞いたぞ。あの賊と手を結んだそうだが、君は何を考えているんだ!?」
「何って、改心したドミニクは協力的だし、手を組むだけの価値があると思ってるからだ」
「あれほどの屈辱を味わわされた相手だぞ。姫もこの事実を知れば幻滅するに決まっている。即刻、関係を断つべきだ」
「それはおまえの考えだろ。余計な口出しはするな。あいつが妙な動きを見せれば、その時は容赦なく命を奪う。俺にも覚悟はある」
「わかった。今はその言葉を信じよう」
唇を結んだナルシスに満足すると、途端に眠気が襲ってきた。レオンは膝を抱えて座り込んだまま目を閉じ、ナルシスは外套にくるまって床に寝転んだ。そうして俺も、心地よい夢の世界へいざなわれていた。
* * *
翌日、俺達は更に移動の足を早めた。カルキエの街を抜け、グラセールの街まで半日という位置の野営施設へ泊まることにした。
「……シアン。リュシアン」
誰かが俺を呼んでいる。この声には聞き覚えがある。声の主を確かに知っている。
そうして体を起こしたものの、部屋の中にレオンとナルシスの姿がない。
「がう、がうっ!」
不意に、枕元でラグの声がした。しかし、辺りを見てもラグの姿すら見えない。
「どうなってるんだ?」
ベッドを抜け出し立ち上がった直後、入口の扉が音もなく開かれた。そこに立っているのは、純白の法衣を纏った聖女だ。
「マリー……じゃないのか?」
外見は間違いなく彼女だが、纏っている空気と雰囲気はまるで別物だ。
「水竜女王、ですよね?」
すると聖女は黙って頷いた。
「ようやく、私の力が及ぶ地域へ来てくれましたね……ですが、まだ遠い。この娘の体を借りているものの、力が安定しません」
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
弁解の余地はない。水竜女王にしてみれば、三ヶ月近く待ちぼうけをくらっているのだ。とうに見放されてもおかしくない。
「急ぎなさい。何やら様々な気配が近付いているのを感じます」
「様々な気配? 何なんですか?」
「私にも今はまだわかりません。胸騒ぎのような、予兆がするという程度のものです」
「安全な所に離れられないんですか?」
「どこへ行きましょうか? どこぞの者たちに見付かれば、よほど危険かもしれません」
聖女は胸に手を当て、寂しそうに微笑んだ。
「ジュネイソンまでもう一息ですね。その後は、オーヴェル湖を目指しなさい」
オーヴェル湖。確か、アルバンが前に話していた巨大な湖だ。そこへ流れ込む巨大な滝が有名だと言っていたはずだ。
「マリーと行くというのが条件ですよね?」
「必要以上に姿を晒したくありませんので。どうしても難しいとなれば、同行者を連れてきて構いません。但し、あなたとマリー以外の者は竜眼の力で記憶を消します。滝の裏の洞窟。まずはそれを探してください。湖の周辺は霧の結界で覆われていますが、私の気配を辿ればすぐにわかるはずです」
「わかりました。なるべく急ぎます」
頷くと、聖女はゆっくりと歩み寄ってきた。
その手が俺の頬に触れる。中身が水竜女王だとわかっていても、なんだか妙な気分だ。
「神竜が選んだあなたならば、この現状を変えることができると信じています。幻の島へ渡り、神竜の力を回復させてください」
「幻の島?」
「詳しい話は後日に……これ以上は、力を安定させることが困難です……」
途端、マリーの姿が大きく歪んだ。形を維持することができないまま、彼女の体は弾けるように消えてしまった。
慌てて手を伸ばした瞬間に目が覚めた。枕元にいるラグや、室内のレオンとナルシスを見て、全ては夢だったのだと気付いた。
だが、夢にしては生々しい。水竜女王は姿を晒したくないと言っていた。マリーの力を借りて、俺の夢に現れたのかもしれない。
翌日、宿舎を後にした俺達は、昼過ぎにグラセールの街へ入った。Gとの戦いで苦い思いばかりの地。なんだか気分も憂鬱だ。





