03 ジェラルド・バティストという男
「実はな、儂も冒険者だったんだぜぇ」
「え！？」
「ランクＢまで行った。おまえさんには及ばんがな。その腕輪、ランクＡだろ？」
「はい。でもＢだってすごいじゃないですか。中級冒険者ですよ」
「そういや、あの変ちくりんな格付けはまだ続いてるのかよ？ Ｅが駆け出し、Ｄが初級、Ｃが並。Ｂでようやく中級だろ。Ａが上級で、Ｓは超級。Ｌが……」
「神、ですね。人の域じゃありませんけど」
ふたりで声を上げて笑った。
誰が言い出したのか知らないが、冒険者の間で裏呼称が広まっている。
「とはいえ、元中級もこのザマだ。茂みで足を踏み外して転げ落ちてよ。偶然この洞窟を見つけて逃げ込んだってわけだ。情けねぇぜ」
「俺もですよ。魔獣を追いかけてる最中に、斜面で足を滑らせて」
「おまえさんもか。落ちた時に足を痛めちまってな。街へ戻ることもできん」
明かりの下、ルノーさんは右足をさする。
「狼煙を上げても、こんな所じゃ魔獣しか寄ってこねぇだろ。信号弾もいくつか残ってるが、もうダメだと焦ってたんだぜぇ」
「見つかって良かったですよ。俺が来たからには、絶対に街まで送り届けます。でも、よく魔獣に襲われませんでしたね」
「不思議だが、この洞窟には入ってこねぇ。奥にある妙な建物のお陰かもな。興味があるなら見てくりゃいい。ただその前に、話を聞かせてくれや。兄貴と、竜ってやつの話をよ。暇つぶしってやつだ」
「いいですけど、退屈だったらすみません」
「面白さなんざ求めてねぇぜ」
ならばと、身の上話をすることにした。
「俺はアンドル大陸の片隅にある田舎街、フォールの出身です。両親と兄貴の四人暮らしで、四つ上の兄貴……ジェラルドって言うんですけど、冒険者になって竜の伝承を探るんだ、なんて言い出して……三年っていう期限付きで、家を出たんです」
「竜だって？ 今じゃ伝説みてぇな存在だろ」
「そうなんですけどね。兄貴は止まりませんでした。穏やかで、優しくて、品行方正で。街じゃ“聖者”なんて呼ばれるくらい好かれてたんです。俺の自慢の兄貴です」
「ほぉ。そいつは確かに器のデカい奴だ」
認められると、嬉しくなる。
「頼まれごとは断らないし、必ずやり遂げる行動力と責任感もある。背が高くて顔も良くて、言い寄ってくる女性も多かったですね……親衛隊なんて自称する集団までいたくらいなんですよ」
「とんでもねぇ色男じゃねぇか。まぁ、おまえさんも充分に男前だがな。お持ち帰りしちまおうっていう気持ちはわかるぜ」
「いや、それはですね……」
「くっくっくっ……照れやがって。若いってのはいいなぁ」
力任せに何度も腕を叩かれる。
激しい交流にたじたじだ。
「しっかし、そんな兄貴が言い出したんじゃ、誰も止められねぇわけだ」
「はい。ところが三年経っても戻らない。代わりに、一本の剣と小さな宝玉、それから黒い手帳が、行商人を通じて家に届いたんです」
「怪しい話だ。手帳には何が書いてあった？」
「それが、単語の殴り書きばかりで……」
竜が操るという魔法、竜術の存在。
竜術を帯びて戦う竜撃という力。
そして、兄の旅路に関わる断片。
それらが雑多に記されていたが、ラグの存在も含めて伏せておくことにした。
「何か大変なことが起こっているんじゃないかって心配になって、兄貴を探しに行く決心をしたんです」
「両親はよく許したな。儂なら次男まで危険な目に遭わせるのは断固反対だぜぇ」
「もちろん反対されました。でも、何が何でも兄貴を連れ戻さないといけないんです」
「なにか理由があんのか？」
「家業の鍛冶屋を継いでもらうんです。俺は好きに生きたい。本当なら、冒険者になるなら俺のほうで……兄貴が戻らないから、親父には弟子みたいに扱われるし……田舎で調理器具を作る毎日なんて、退屈すぎて」
ルノーさんが愉快そうに笑った。
「そういうわけで、家を飛び出したんです。荷物がヴァルネットで預けられたところまでは突き止めたんですけどね」
「若ぇのに苦労してんな。それにしたって、その若さでランクＡは大したもんだ。家を出てからどんだけ経った？」
「かれこれ三年近く……でも、実力でランクＡになったわけじゃありません。魔獣に襲われてたところを助けてもらったんです。フェリクスさんってご存知ですか？ ランクＬの」
「今でも情報収集くらいはな。断罪の剣聖って二つ名だろ。凄ぇ奴に助けられたな」
「はい。一緒に旅をしようって誘われて、一年半ほど同行しました。その間に稽古もつけてもらって、ランクも上がって……」
いつも堂々としている勇ましい姿が浮かぶ。
「すぐわかりますよ、フェリクスさん。大剣を背負って歩くあの後ろ姿は忘れられません。飄々としながら顎髭を撫でて笑うんですけど……いざ魔獣が現れると、目の色が変わるんです。背筋が凍るくらい鋭くて。あの瞬間だけは、まるで別の人を見てるみたいでした」
「仲間は少数精鋭だって聞いたぜぇ。おまえさんがそのひとり、ってわけか」
「いえ。俺なんてとても……斧槍使いのシルヴィさん、弓矢使いのアンナ、魔導師のエドモンの三人です」
その瞬間、アンナの顔が浮かんだ。
魔獣の追跡を頼んでいるのに、のんびりしている場合じゃない。
「やべぇ。早く行かないと」
痛みも引いた。長剣を掴んで腰を上げると、ルノーさんが目尻を下げた。
「どうだ。全部話してすっきりしたか？ 悩んでいても良いことなんてないぜぇ」
「え？」
俺の表情から、色々察してくれていたのか。
「気を遣わせてすみません」
「気にすんな。兄貴が見つかるといいな」
「ありがとうございます」
気恥ずかしくなり、洞窟の奥に目を向ける。
「ちょっと様子を見てきますね」
肩に乗るラグは黄金色の小さな瞳で奥を凝視している。興味津々らしい。
それを横目に、腰の革袋から魔力灯を取り出した時だ。
「そんなもんいらんぜ。ヒカリゴケの一種だろうな。空間全体がほのかに光ってんだ」
「そうなんですね」
壁に手を突き、撫でながらゆっくり進んだ。
ルノーさんの心遣いが嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
「ラグ、覚えてるか？ フェリクスさんたちと何度も野営したよな。こんな暗がりにいると、あの頃を思い出すよ」
「がう？」
ラグは不思議そうに首を傾げた。
「竜の力を手に入れた瞬間の苦しみが衝撃的でさ……それを思い出して、夜な夜なうなされてたんだよ」
あの日も、夜の闇の中で飛び起きた。
羽織っていた外套が膝上へ落ち、側の焚き火だけが唯一の光源として存在していた。
『リュシー。大丈夫？』
声を掛けてくれたのは、見張り番をしていたシルヴィさんだ。
『大丈夫です。驚かせてすみません』
焚き火の向こうからの声に答えると、シルヴィさんは木製のカップを手に近付いてきた。
『これ飲んで。少しは落ち着くから』
程良く引き締まった体へ女性らしさを残しているのが何とも悩ましい人だった。結い上げた黒髪を揺らし、口元には妖艶な笑み。潤んだ切れ長の目で、じっと見つめられていた。
反則的な前屈みの姿勢。インナーの中で窮屈そうにしている大きく深い谷間に、ついつい目を奪われてしまった。
慌てて目を逸らし、カップを受け取った。
焚き火を囲むように眠る三人の仲間たちを見渡しながら、カップの中身を含んだ途端。
『ぶっ！』
勢いよく吹き出した。
口内へ広がったのは焼けるようなアルコールの刺激と、果実のほんのりとした甘み。
『これ、酒じゃないですか！』
『そうよ。ダメだった？』
『こういう時は水。何を考えてるんですか』
『ん？ エッチなこと。今夜こそ、リュシーを食べちゃいたい……』
深紅のビキニアーマーを焚き火の向こうへだらしなく脱ぎ捨て、下着同然の姿だ。
本人も魅力的だと自負している口元のホクロ。それを隠すように、赤い舌が艶めかしく唇をなぞっていた。
俺と一歳しか変わらないのに、内から滲み出るような色気。心が吸い寄せられるが、行き着く先は蟻地獄だと知っている。
『見張りは変わるんで、寝てください』
『照れてるの？ そうよねぇ。初めてって緊張しちゃうわよね。可愛い』
『可愛いって言うな』
いつも優位性を取られるのが悔しかった。
綺麗だし、体型も抜群。嫌いじゃないが、もっと節度のある女性が好みなんだ。
『優秀なオスの子種を味わいたいって欲求は、メスの本能なのよ。きっと』
『もっともらしい理屈を付けるんじゃねぇ』
『大丈夫。お姉さんに任せればいいのよ』
前屈みの姿勢のまま、インナーに包まれた自分の胸を両手で持ち上げ、見せつけてきた。
