17 聖剣ミトロジー
「お客様をお通し致しました」
手前は広い居間だ。女性は奥を覗いて声を掛けているが、そちらが寝室ということか。
「ありがとう。悪いんだけど、起きるのを手伝ってくれないか」
女性に続いて、恐る恐る部屋を覗いた。大きなガラス窓から陽光が差し、室内を明るく照らし出している。その中心にベッドが置かれ、フェリクスさんが体を起こしているところだった。枕元の壁に立て掛けられた聖剣ミトロジー。それが余計に哀愁を掻き立てる。
女性は、ベッドにもたれるフェリクスさんの背中へ座布団を挟み、その体を固定した。彼女の手慣れた動きを見るに、フェリクスさんが側に置いているのかもしれない。
「お背中は痛みませんか?」
「大丈夫、最高の安定感だ。痛むとしたら、俺の心だけだな。そろそろ君に、じっくりと慰めて欲しいんだがなぁ」
甲高い音が鳴り響き、フェリクスさんの右手が払われた。
「いい加減、お尻を触るのはやめてください」
「少しくらい良いじゃないか。今まで散々戦ってきて、ようやくゆっくりできるんだ。そこに、君みたいな美人で気立ての良い人が世話をしてくれるなんてさ。最高だろ?」
「私にとっては最低です」
「そんなこと言うなよ。荒ぶる俺の聖剣を、君の鞘で受け止め……ふがっ!」
女性は、手にした枕をフェリクスさんの顔に押し付けた。剣聖に対してここまで遠慮のない人を、シルヴィさん以外に初めて見た。
「騎士たちでさえ、素面の時にそんなことを言いません。今度そんな下品な言葉を吐けば、ご自慢の聖剣とやらをへし折りますから」
「へし折る? 触ってくれるなら大歓迎だ」
「今のは、言葉のあやです!」
女性は足早にこちらへ戻ってくると、真っ赤な顔で立ち止まった。
「ごゆっくりどうぞ。フェリクス様の枕元に振り鈴がございますので、御用があれば遠慮なく鳴らしてください。私は台所におります」
「ありがとうございます」
礼を言いながらも苦笑してしまう。なんだかんだで、いつものフェリクスさんだ。使用人の女性とも上手くやっているようで安心した。
気を取り直してフェリクスさんへ近付き、ベッドの側に置かれた椅子へ腰掛けた。
「すぐに来られなくてすみませんでした。気を失ったまま、昨晩にようやく目を覚ましたもので……傷は痛みますか」
言葉をかけても、俺を見ようともしない。顔を真正面に向けたまま、足元の辺りをじっと伺っている。そうして力なく微笑むと、上掛けに隠された左腕を持ち上げてみせた。
「傷はこの通りだ。先はまんまるになっちまって、大きなソーセージみたいだろ? 手足はなくなったってのに、まだ繫がっているような感覚がある。過去の栄光にしがみついているようで、まったく惨めなもんだ」
淋しげに言葉を吐くと、見えない敵を睨むように目が細められた。
「リュシアン。こんな所に来てる場合か? 俺はおまえに、前へ進めと言ったはずだ」
そして、睨むような視線に射抜かれた。
「よく聞け。俺から与えられる情報はすべて託す。それを噛み砕いて飲み込んだ上で、これからどう動くかはおまえが決めろ。いいな」
「わかりました」
迫力に気圧され、頷くのが精一杯だ。しかも沈黙が重い。ここへ来るまでに覚悟していたとはいえ、やはり言葉が出てこない。
すると、フェリクスさんは寂しげに笑った。
「冒険者人生も終わりだ。ギルドからの斡旋計画も中止。すべてのパーティを解散させる」
「そう言われれば、俺たちの他にも二組のパーティがいるって言ってましたけど、フェリクスさんはどうするつもりなんですか?」
「幸いこれまでの蓄えもある。王の左手の功績でここに置いてもらってるが、いつまでもいたら惨めな思いをするだけだ。一段落したら、どこかの街で悠々自適に暮らすさ」
「昨日、アンセルムさんとの誓いがどうとかって、マルクさんが言ってましたけど……」
その名前を出した途端、フェリクスさんはわずかに口元を緩めた。そうして、枕元にあった聖剣を引き寄せる。
「アンセルムさんか……俺の先輩だよ。元々、俺たちはその人のパーティに所属してたんだ。好奇心の塊のような人でな、まだ見ぬものに憧れて、色々な依頼に付き合わされたもんだ。けどな、冒険の途中で不治の病に侵されて、最後は未開の迷宮で息を引き取ったんだ」
「迷宮で?」
「最後まで冒険するんだって聞かなくてな。この聖剣は、アンセルムさんから託されたんだ。俺の代わりに連れて行ってくれってな」
「形見の品だったんですね……」
「あの人も魔力を持たない側だった。いつか偉業を成し遂げて、魔力優先の世界を変える。その思想に感銘を受けて、付いて行こうと決心したんだ……まぁ、それもここまでさ」
淋しげに微笑んだフェリクスさんだが、それは俺もよく知るいつもの顔だ。憑き物が取れたような清々しい顔をしている。
「これからは、おまえさんの時代だ」
握りしめた拳で胸を小突かれた。
「もう無理なことは言わない。好きなようにやれ。俺の志を継いでくれるっていうなら話は別だが、おまえは自分の道を行くんだろ」
「すみません。俺には俺の道があります」
兄を探し出し、セリーヌと災厄の魔獣を討ち果たすという大きな目的が。
「だけど俺の目指す道があるように、フェリクスさんの道も終わっていませんよ。レオンだって、まだまだフェリクスさんに教わりたいって言ってましたから」
「あいつが? おまえ、聞いてないのか?」
「え?」
「ヴァレリーのやつがな、レオンのことをすっかり気に入ってるらしくてな。俺はこんなだし、好きにしろと言ったんだが、自分のパーティに引き込もうと声を掛けてるはずだ」
「は? 何も聞いてませんけど……」
そういえばレオンは、他にも話しておくことがあると言っていた。そのうちのひとつがこれだったというわけか。俺の下す決断が納得のいくものでなければ、あいつは止水の剣聖に付くつもりだろう。
胸の中に苛立ちを覚えた途端、フェリクスさんは小さく吹き出した。
「相変わらず噛み合わないんだなぁ。まぁ、それくらいの方が相乗効果で高め合えるだろ」
「呑気なことを言わないでくださいよ。あの偏屈男をどうやって大人しくさせたのか、コツを聞きたいくらいなんですから」
「まぁ、器の差ってやつだ。さて、レオンの問題はあるとして、俺の本題はここからだ」
声を潜めたフェリクスさんは、台所の方向をそっと伺った。
「ジゼルは口が堅そうだ。彼女は信用できる。おまえさんのランクが上がった時に話そうと思っていた、取って置きの情報を伝える」
「そういえば、オルノーブルの酒場でそんなこと言ってましたね。冒険者ギルドには、超大型魔獣ブリュス=キュリテールの討伐と、もうひとつ目的があるとかって……」
「もう少し声を抑えろ」
フェリクスさんに注意され、俺の左肩の上でラグが居住まいを正した。
「いいか、ここからは俺の独り言だと思って聞いておけ。この偉業を成し遂げれば、おまえは一躍、英雄になれる」
「英雄って……」
「それくらい凄いことなんだ。俺やアンセルムさんでも成し遂げられなかったんだからな」
何やら興奮した顔付きだが、そこまで言われたら是が非でも知りたい。





