15 引き継がれる意志
左腕と左足を失ったフェリクスさんは、歪な姿で暗闇に寝転んでいた。
『リュシアン、おまえは希望だ。前に進め。こんな所で立ち止まるな』
その目に宿る強い意志に、胸を射貫かれた。歪さを補って余りある力。それが心の中へ流れ込んできているような錯覚がした。
前に進め。その言葉が心を急かす。
「フェリクスさん!」
体を起こした先は、夜の闇だった。かけられていた布団が衣擦れの音を立て、腰元へ落ちていった。
今の状況がわからない。魔力灯の明かりが照らし出すのはどこかの個室だ。俺が寝ているシングルベッドの右手には、丸テーブルと二脚の椅子。左手は浴室や洗面所に続いている。だが、王城で戦っていたはずだ。
「がう、がうっ!」
枕元にいたらしいラグが、俺の左肩へ止まった。それと併せたように、部屋隅の扉が開いた。顔を覗かせたのはレオンだ。
「ようやくお目覚めか」
「俺はどうしてこんなことに?」
レオンは疲れの見える顔で室内へ入り込んできた。軽装姿でソードブレイカーを脇に提げた彼は、入口の側に置かれた丸テーブルに近付き、椅子へ腰掛けた。
「記憶があるのはどこまで?」
「フェリクスさんが倒れた後、主塔に向かったんだ。大勢の兵士が倒れていて、後を追ってきたマルクさんが、殺されているエクトルさんを見つけた。そこで黒装束の男たちと戦闘になって、まんまと逃げられた」
「マルクさんの話と一致してる。気を失ったあんたを運んで、もう丸三日が経ってる」
「三日!?」
戸惑う俺を置き去りに、更に話は続く。
「掃討戦は終了。というより、あの大蛇が倒された時点でほとんどの魔獣が逃げた。比較的危険度の高い魔獣は、ムスティア大森林から集められたみたいだ。深追いはしなかったけど、森へ逃げ込むのを騎士たちが確認した」
一気にまくしたてたレオンは、腰から水の入った革袋を手に取った。
「戦死者の合同葬儀が終わって、建物の再建が始まろうかっていう所。近隣国とは和平協定を結んでいるし、物資や人手の支援も続々と集まってるみたいだ。ランクSのシルヴィさんはもちろんだけど、マリーも手伝いに駆り出されてる。だけどシルヴィさんとシャルロットは、あんたの看病をするって聞かなくてね。うるさいから追い出した」
うんざりした顔で、革袋を口へ運ぶ。
「国王のヴィクトル=アリスティドを始め、家族一同は無傷だったよ。敵もここまで攻め込んでおきながら、最後は逃げるように退散。訳がわからない。黒装束に関しても手掛かり不足で、正体も目的もわかっていない」
「フェリクスさんは?」
「あんたにとっては国王より、そっちの方が大事か。今は、王城にある貴賓館の一室を充てがわれてる。傷が癒えるまで滞在して構わないということらしいよ。まぁ、さすがは王の左手、といった待遇だね」
「よかった」
「ぬるいな。本当にそう思う?」
問いただすような声が、やけに重く響いた。
「どういう意味だ」
「まぁ、明日にでも会いに行ってみなよ……さて、他にも色々と話しておくことがあるけど、今の状態じゃ頭に入らないだろ。シルヴィさんとも共有してるから、何かあれば彼女に聞いて」
他人事のように言って革袋の中身を煽り、再びこちらを見てきた。
「碧色。ここからはすべてが大きく変わる。今まで通りにはいかない」
「何がどう変わるって言うんだ」
「わからないか? 断罪の剣聖は力を失い、聡慧の賢聖は命を落とした。王の左手の内、ふたつの席が不在。騎士団がいるとはいえ、これは由々しき事態だ。すぐに人員の補充が必要になる」
「ふたつって……聡慧の賢聖はともかく、フェリクスさんは無事だろ」
「あんたも見ただろ。どこまでぬるいんだ。あの体で、冒険者を続けられると思うか? 今ほどの影響力を保つのは難しい」
レオンはやり場のない怒りを噛み殺すように、奥歯を食いしばっている。
「あの人にはまだまだ教わりたいことがある。でも恐らく、王国はあの人を切る。お荷物になった人物を、王の左手として据え置くわけにはいかないだろうから」
「お荷物って……」
使えなくなった駒は不要ということか。組織の考えとしては正しいのだろうが、曲がりなりにも王の左手だ。今までの貢献を考えて、憂慮してくれてもいいだろうに。
俺の胸の内を見透かそうとするように、レオンは前かがみになって身を乗り出してきた。
「あんたが眠っている間、近衛騎士の団長をしている、ベルナールという男が訪ねてきた。今回の防衛戦で、王国はあんたの活躍を高く評価していると言ってた」
「それはどういうつもりで……」
「団長が直々に出向いてきたんだ。何かあると見て間違いないね。目を覚ましたら、アンジェルニー城まで訪ねて来いってさ。俺が聞きたいのは、いざとなった時、あんたにそれだけの覚悟があるのかっていうこと」
「いざとなった時?」
「そうだよ。間もなく賽は投げられる。フェリクスさんは時代を創ると常々言ってた。その意志が、引き継がれようとしてるんだ」
「俺に、って言うことか?」
「可能性がある、という所か。憶測でしか話せない。だけど、あんたの選択ひとつで大きく変わる。悔しいけど、今のあんたはそれだけの流れを引き寄せたってことだよ」
それだけ言うと、レオンは静かに席を立って背を向けた。
「今後の身の振り方を良く考えるといいよ。シルヴィさんとアンナは黙って従うのかもしれないけど、俺は違う。仲良しこよしの、ぬるい関係を築くために一緒にいるわけじゃない。あんたがどう決断するかで、俺もこの後の道を決めさせてもらうから」
「それは承知してる」
「いいか、碧色。俺はあんたを完全に認めたわけじゃない。次世代を担うなんて言われて、自惚れているつもりもない。俺が求めるのは最強。誰にも負けない力なんだ。そのために利用できるものは何でも使う。あんたが俺より一歩先にいるのなら、その背に食らいついて必ず追い抜く。ただそれだけのことだよ」
「力を求めてるのは俺も同じだ。まだまだ満足してねぇよ。俺にもっと力があれば、フェリクスさんだってあんな目に遭わずにすんだかもしれない。正直、悔しいんだ」
固い熱意を胸に、レオンの背を見つめた。
「俺たちは走り続けるしかない。おまえも、絶対に立ち止まるなよ」
「その言葉、忘れないことだね」
レオンは扉の向こうへ消えていった。あの様子を見るに、俺の部屋を見張ってくれていたのかもしれない。
そうして夜が明け、次の朝が巡ってきた。俺が目覚めたことを聞きつけ、シルヴィさん、マリー、シャルロットが見舞いに来てくれた。
「そういえば、アンナはどうしたんだ」
朝食の席でその名を出した途端、シルヴィさんが苦い顔を見せて微笑んできた。
「実はリュシーが眠っている間に、ちょっとしたことが起こってね……」
フェリクスさんに会うことを後回しにした俺は、慌ただしく食事を終えた。自室で手早く身支度を整え、魔導通話石を手に取った。





