13 剣聖、散る
跳ね橋を上げる暇もなかったのだろう。現場の混乱が手に取るように伝わってくる。しかし相手は蛇だ。場所を問わず、斜面すら容易に這い上がる。門など無意味だ。
生誕祭の雰囲気は消え、無残に変わり果てた王城。側には門番が住む門衛塔もあるが、ここも半壊して兵士の遺体が転がっている。
「酷い有り様だな……」
急いで下中庭へ進む。そこには楽隊が扱っていたであろう楽器が転がり、豪華な飾り付けは踏み荒らされている。テーブルは倒れ、食事や飲み物があちこちに散乱。千切れた三角旗が寂しげに風に揺れていた。
城の中枢である内郭部分は更に上だが、見上げるとあちこちの窓から煙が上がり、人々の悲鳴や怒号が飛び交っている。
この下中庭も、ある場所は燃え、ある場所は凍りついている。強風に木々は倒れ、壁には黒く焦げた跡。四大属性が猛威を振るい、天変地異に襲われたような有り様だ。
ここへ来るまでに、上等な身なりをした富裕層たちの遺体も数多く目にした。祝賀の雰囲気に包まれていた彼らには、下界の混乱など余興のひとつに過ぎなかったかもしれない。ここで呑気に食事と音楽を楽しんでいた者もいただろう。そう思うと腸が煮えくり返る思いだが、国の中枢を失うわけにはいかない。
「みんなはどこだ?」
騎士館、納屋、穀物庫、それらを通り過ぎ、内郭への主城門を目指して進む。すると、その先が一層激しい炎に包まれていた。目を凝らすと、騎士や魔導師の姿の中にフェリクスさんを見つけることができた。
「がう、がうっ!」
ラグに頷きで応える。安堵したのも束の間、彼らが対峙しているのは炎の力を宿した大蛇だ。傾斜の上にある内郭の盾壁。そこに張り付き、頭上から巨大な火球を吐いている。
魔導師や弓兵も応戦しているが、あいにく狙いにくい場所だ。致命傷を与えるには程遠い。このままではすべて焼き尽くされてしまう。
「俺がやるしかねぇ」
この脚力を使えば壁を蹴り上がるのも容易だ。そう思って駆け出した直後だ。側にあった厩舎の影から別の大蛇が一頭飛び出し、不意をついて彼らに襲いかかった。
敵の体から漏れ出しているのは黄色の光。雷の属性を持った大蛇だ。
「後ろだ!」
俺の叫びが聞こえたかはわからない。敵の吐き出した雷の球が炸裂し、多数がその場に膝を付いた。数名を丸呑みにして、大蛇の巨体が眼前を横切る。その姿に邪魔されて、フェリクスさんたちの姿が確認できない。
「邪魔するな!」
雷の大蛇へ蹴り掛かった時だ。炎の大蛇が一団を目掛け、ここぞとばかりに頭上から飛び掛かってゆくのが見えた。
その光景に、背筋を悪寒が伝った。心臓が暴れたように大きく脈打つ。呼吸が乱れ、時間の経過がとてもゆっくりに感じられた。
俺の蹴りを受けた雷の大蛇は、派手に吹っ飛び壁へ激突した。これが先程の四頭なら弾け飛んでいるはずだが、その体は硬い。
舌打ちが漏れると同時に視界が開けた。炎の大蛇の突進を受け、何人かが弾き飛ばされる光景が飛び込んできた。電撃を受けたことで、ほとんどの兵士が逃げ遅れているようだ。それはあの人でさえ例外ではない。
「フェリクスさん!」
俺が駆けつけるより大蛇の接近が速い。牙を剥く敵から逃れるように、フェリクスさんは既の所で右方へ飛んだ。
牙が噛み合わされる甲高い音と共に、フェリクスさんが大蛇の頭部と接触したのがわかった。剣聖の体が弾かれ、仰向けに倒れる。
「炎纏・竜薙斬!」
こちらに向かってきた炎の大蛇。その口を狙い、上顎から後頭部までを一気に薙ぎ払う。頭部を失った大蛇の胴体は、地面を滑るように移動しながら動かなくなった。
「なんでだよ……」
その光景が信じられなかった。信じたくもなかった。嘘であってほしい。
あちこちに備えられた篝火と、炎の大蛇が引き起こした延焼。それらによって否が応でも剣聖の姿が浮かび上がってしまう。そうして、過酷な現実を俺に突き付けてくる。
「フェリクスさん……」
地面へ仰向けに倒れた剣聖。だが、その姿はどこか歪に映った。あるべきはずのものが失われている。
「どうして……」
左肘と左膝。それぞれの先を食い千切られて、放心状態になったフェリクスさん。虚ろな表情のまま、彼は夜空を仰いでいた。
「なんで、フェリクスさんが……」
悔しさとやるせなさが込み上げた。しかし本当に辛いのは本人だ。それでも俺は、この光景がどうしても受け入れられない。
「司祭か魔導師はいねぇのか!?」
声は闇に吸い込まれた。辺りの騎士や魔導師は先程の電撃で息絶えている。願いを聞き入れる者はなく、剣聖の忍び笑いが漏れた。
「俺としたことが、格好悪いよなぁ……」
残された右手で目元を押さえた剣聖は、現実を認めてどうにか言葉を絞り出す。だが俺には、かけるべき言葉が見つからない。
「リュシアン、おまえは希望だ。前に進め。こんな所で立ち止まるな」
「フェリクス!」
背後から悲鳴のような声が弾けた。馬を飛び降りたヴァレリーさんが俺の横を駆け抜け、フェリクスさんの脇へ座り込んだ。
俺は祈るような想いで彼女の背中を伺う。
「治せますか?」
彼女は無言のまま右手をかざした。癒やしの力を持つ青白い光が灯る。
「癒やしの魔法も万能ではない。欠損した部位の復元までは不可能だ。飛び出した骨を削り、傷口を縛るように塞ぐしかない。君は、エクトルかレリアを連れてきてくれ。私だけでは無理だ。どうしてこんなことに……」
「欠損した部位があったら?」
炎の大蛇の死骸はある。体内を探れば、千切られた手足を見つけられるかもしれない。
「君はそんな事例を聞いたことがあるか?」
ヴァレリーさんの乾いた声が心に痛い。彼女も同じ気持ちを分かち合ってくれているということがひしひしと伝わってきた。
「わかりました。ふたりを探します……」
憎い。魔獣の存在がたまらなく憎い。俺の中で怒りの炎が燃えたぎっている。
喉がはち切れるのではないかと思うほど吠えた。怒りで狂い出しそうになる心。この怒りを鎮める術が見つからない。頭を掻きむしった途端、不意に意識が遠のいた。
自分の体が自分のものではないような、妙な感覚に包まれている。これは少し前に経験した感覚だ。炎竜王と意識を共有している。
「どうした? 大丈夫か?」
ヴァレリーさんが心配そうな声で訪ねてくるが、それに応える余裕はない。すると視界の端で何かが動くのがわかった。先程、蹴りを見舞った雷の大蛇だ。
怒り狂った大蛇は、威嚇音と共に巨大な雷の魔力球を吐き出してきた。
俺はそれを見据え、敵へ突進した。全身へとぐろを巻く炎。その力を右拳へ集中させ、迫り来る魔力球を睨んだ。
「うがあぁぁっ!」
腕を振るい、魔力球を粉砕。そのままの勢いで大蛇の顔を殴り、一撃のもとに粉砕した。
その死骸を持ち上げ、上空へと放る。掌から迸った火球が、死骸を焼き尽くしていた。
「信じられん。なんという強さだ……」
ヴァレリーさんの震える声を聞き流し、まだ戦いの続く内郭を見上げた。





