11 死んでも守る
「シャルロット!」
「轟響創造!」
俺が叫ぶと同時に、マリーの放った雷の魔力球が冒険者の男を直撃した。短剣から手を離した男は、体を痙攣させて膝を付いた。
騒動を目にした野次馬たちが逃げ惑う。彼等に取り囲まれ、周囲は喧噪に包まれている。
「なんで……」
呆然とする俺の眼前で、シャルロットが仰向けに倒れた。その右胸に刺さった短剣は、作り物のように現実味を感じない。
胸の内を焦りが覆い、視界が闇に閉ざされた。守らなければと思っていた相手から、助けられる羽目になるとは。
無力感と男への怒りが急速に膨らんだ。その気持を代弁するように、左肩に乗っていたラグが男へ飛び掛かってゆく。
そんなラグの姿で気付かされた。こんな所で座り込んでいる場合じゃない。
脇腹を刺されたことも忘れ、立ち上がると同時に地面を蹴った。どこにこんな力が残っていたのかと思えるほどの驚異的な反応速度だ。相手の姿を眼前に捉え、右足を大きく後ろへ引いた。そこへ渾身の力が籠もる。
思い切り振り抜いた蹴りが、俯く男の顎を捉えた。相手の首が折れ、その体は向かいにある建物の壁に当たって動かなくなった。
これが異常な力であることは明らかだが、そんなことを考える余裕はない。
「シャルロット!」
地面に膝を付き、倒れた彼女の顔を覗き込む。すると、力ない微笑みで応えてくれた。
「リュシアンさんが……無事でよかった……」
「馬鹿野郎。なんでこんな無茶をしたんだ」
彼女の頬に触れると、駆け寄ってくるマリーの姿を視界に捉えた。
「頼む。シャルロットを助けてくれ!」
「わかってる! 絶対に死なせない」
滑り込むように膝を付いたマリーは、焦りを浮かべてシャルロットの顔を覗いた。
「ギルドの中に運ぼう。俺が抱えて行く」
「あぁん、待って! 中はダメ! 動かしちゃダメなんだってば。外でお願い!」
早口でまくし立て、拒絶を示してきた。
「もう少し我慢して。絶対に逝かないでよ。私より先に逝くなんて許さないんだから」
マリーは責めるようにつぶやき、シャルロットの胸から短剣を引き抜いた。そうして、指輪を嵌めた右手を傷口へかざす。左手は、シャルロットの視界を遮るように目元へ添える。
「眠誘創造」
眠りへ誘う魔法だとすぐにわかった。戦闘には不向きな力だが、痛覚を鈍らせる魔法ともども、医療行為に重宝されている。
「静寂の水、生命の証。この身へ宿りて傷癒やせ! 命癒創造!」
掌から青白い光が漏れ出し、傷口を覆った。そうして数分後にはシャルロットの呼吸も安定し、穏やかな顔付きへと変わった。
「大丈夫、幸い急所は逸れてる。このまま傷を塞いで休ませれば、明日には元気になるわ」
「よかった……傷は残るのか?」
「あのね。私の力を見くびらないでくれる? この程度の刺し傷、綺麗に消してみせるわよ」
「さすが聖女様だな」
「こんな時ばっかり、調子いいんだから」
呆れたように笑うマリーから目を逸らすと、倒れた冒険者が目に付いた。
「敵の狙いは俺だったのか? 証拠を残したかったけど、力の加減すらできなかった。恐らく相手は、正気をなくしてた」
こんなことができるのは、インチキ魔導師のユーグしか思いつかない。これまであいつが差し向けてきた冒険者たちも同じような症状が出ていた。本当に俺が狙われているのならすぐにここを離れるべきだが、治療が終わるまではふたりを絶対に守り抜いてみせる。
「そういえば、あなたも刺されていたわよね。シャルロットさんが終わったらすぐに治すから、もう少しだけ我慢して」
「そう言われてみれば確かに……」
脇腹を見ると、冒険服のズボンは血に塗れている。だが、不思議と痛みはない。恐る恐る傷口を覗くと、傷は完全に塞がっていた。
「傷が……治ってる? 嬉しいけど、買ったばかりのズボンが破れたのは残念だな……」
「あのね。純情なふたりの乙女を前にして、ズボンの中を覗くのはどうかと思うけど」
「あ、悪い……」
「どうしてあなたみたいな人がモテるのか、不思議で仕方ないわ。ズボンくらい後で縫ってあげるわよ。私、裁縫は得意だから」
苦笑するしかないが、こんな軽口を叩けるほど余裕が出てきたのはいいことだ。そう思った矢先、マリーは驚いた顔を見せた。
「まさか、女神様までそそのかしていないわよね? あの御方はそんな誤ちなんて犯さないと信じているけど。野蛮なあなたが、力づくで言いなりにしていないとも限らないわ」
「まったく……そんな風に言うなら、本人に会った時に直接聞いてみろ。俺がどれだけ真摯な態度で接してるのか思い知れ」
「私は信じない。それによく考えたら、女神様が着ていた法衣だってそう。胸元や太ももを出した、あんな卑猥な服……あなたが強要したのね。とんだ変態男だわ!」
「あれは俺と会う前からとっくに着てたんだよ! 店の親父に売り付けられたんだ。文句を言うなら、本人に確認してからにしろ!」
「だったら買い換えれば済む話じゃない」
「がう、がうっ!」
不毛なやり取りをしていると、左肩の上でラグが吠え立てた。この吠え方は、危険が迫っている時の合図だ。
「ちょっと、どこを見てるのよ!? 話を誤魔化そうとしたって、そうはいかないわよ」
「少し黙ってろ」
立ち上がると同時に、近くの家屋が一瞬で崩れた。そうして崩れた建物を掻き分けるように、一頭の大蛇が現れた。
野次馬たちは我先にと逃げ出してゆく。それにしても、間近で見ると想像以上の迫力だ。胴の幅は俺が両腕を広げたよりも太い。
「ウソ!?……どうしたらいいの?」
怯えるマリーだが、治療の手は止まっていない。無意識なのかもしれないが、心掛けはさすがだ。後は俺が、その想いへ応えるだけだ。
「安心しろ。おまえらは死んでも守る」
ゆっくりと歩みを進め、大蛇の巨大な頭を真っ向から見据えた。もうこれ以上、目の前で誰かが倒れる姿を見たくない。
「何をしてるの!? 早く逃げて!」
背後から悲鳴のようなマリーの声が聞こえるが、今の俺にはどうでもいいことだ。
怒りの心が燃料となり、全身を震わせている。大切なものを傷付けられた恨みが募り、それが更に大きな力を呼び起こす。
「俺を本気で怒らせたな……」
睨みを利かせた途端、牙を剥き出していた大蛇が慌てて口を閉じた。体を大きく引き、怯んでいるのは明らかだ。
「消えろ」
俺が右腕を振るうと、指先から青白い炎が迸った。それが大蛇の体へ燃え移り、瞬く間に丸呑みにする。
「滑稽だな。てめぇにはお似合いだ」
苦しげにのたうつ大蛇を悠然と眺め、勢いよく地を蹴った。体が強化されているのか、驚くほどの高さで跳んでいる。
「じゃあな」
豪快な踵落としが大蛇の頭部を砕いた。
髄液を撒き散らし、脳が弾ける。眼球が飛び出し、折れた牙が宙を舞った。
下顎から上をなくした蛇の死骸が、力なく地面に崩れた。その体も炎に焼かれ、見る間に灰と化してゆく。
「蛇ごときが、竜に勝てると思ったか?」
言い放ち、転がる眼球を踏み潰した。





