10 不穏な空気
何かが爆発したような激しい揺れ。それが一定の間隔を伴って王都を襲っている。
ギルドの職員が逃げ惑う。彼らを避けて表に出ようとした途端、不意に腕を掴まれた。振り返った先にいたのはシャルロットだ。
「もしも魔獣の襲撃なら無理をしないでください。今日はもう、力を使い果たしているって聞きました。マリーさんも負傷者の救護で疲れているし、戦うのは無茶です」
俺の腕を掴み続けているシャルロット。震えるその手に、やさしく触れた。
「心配してくれてありがとう。シャルロットは地下室に急げ。ルネのことを頼むぞ」
頷いた彼女と別れ、扉の先へ広がる外の光景に視線を戻した。
マリーの状態は把握している。掃討戦の最中も何十人という負傷者を治療してくれた。魔力石を渡して多少は魔法力が戻ったものの、体力まで回復できるわけじゃない。
癒やしの魔法は優秀だが、自身を癒やすには倍の時間と魔法力を使う。そのため、マリーは自らへ力を使うことを拒否した。
『夜間に急変する方がいるかもしれない。力を少しでも温存しておかないと』
休憩をとれというレオンの強い勧めで食事会には同席していたが、放っておけば一晩中でも街を駆けずり回るだろう。
外へ出ると、大勢の冒険者に混ざりながらもマリーはすぐに見つかった。清潔感のある純白の法衣が確かな存在感を示している。
「マリーは中に戻れ。シャルロットと一緒に、ルネを見ていてやってくれ」
「ちょっと待って。伝令が聞こえない」
マリーに釣られて顔を上げると、ここから一番近い物見台の上に魔導師の姿が見えた。
「あの魔導師、何をやってるんだ?」
背後から間抜けな声が聞こえた。すると別の男から、呆れたような溜め息が漏れる。
「この田舎者。あいつは伝令係だ。魔導通話石を持って物見台に上がんの。それを拡声魔法で増幅して、周りに伝令を届ける。他の物見台も見ろ。みんな同じようにしてんだろ」
そのやり取りを聞きながら、耳から空気が抜けるような感覚を味わった。周囲へ拡声魔法が張り巡らされたのだろう。
『住民の皆様へ伝令です。激しい揺れが断続的に続いています。すぐに建物の中へ避難してください。次いで、騎士団や冒険者へ連絡です。直ちに四方の門へ向かってください。四体の巨人に謎の発光を確認。至急、調査に向かってください。繰り返します……』
「がう、がうっ!」
左肩の上でラグが吠えると同時に、中央広場の辺りで、天へ向かって細く巨大な影が伸び上がった。数は四本。ここからでも見えるということは、かなりの大きさだ。
「なんだあれは!?」
周囲で口々に声が上がる。匙を立てたように奇妙な形状をした影が、溶けるように大きく湾曲したのがわかった。
不穏な空気が満ち、背筋を悪寒が伝う。
「みんな、備えろ!」
それはフェリクスさんの声だっただろう。
匙のようだと思っていたものは魔獣の頭部だ。巨大な四頭の大蛇が地を這い、王都の破壊が再開された。建物が薙ぎ倒され、悲鳴や轟音に混じって土煙が立ち昇る。
「何がどうなってるんだ!?」
魔法剣を鞘から抜いた途端、闇夜へ上昇する四色の魔法石に気付いた。それぞれが、四方に設けられた門の側へ浮いている。
「巨人の体から出てきたのか?」
伝令は巨人の発光を確認したと告げていた。何かしらの力が働いたのは間違いない。
「まさか……」
即座に頭を過ぎったのは、インチキ魔導師ユーグの存在だ。そもそも事の発端は何だったか。ドミニクが、王都に出入りするユーグの姿を見たのが始まりだったはずだ。
肉人形のシンザラスと、この四体の巨人。同じ方法で生成されているのは明らかだ。モントリニオ丘陵に身を隠したユーグの目的が、この巨人を作るためだったとしたら。
中央広場へ、更に四つの頭が現れた。それらが奇声を発した途端、四方に浮いた魔法石が吸い込まれるように引き寄せられてゆく。
四頭が口を開けると、散り散りになった魔法石が各自へ取り込まれた。赤、青、緑、黄、それぞれの属性を持った大蛇へと変貌していた。先に現れた四頭は街へ解き放たれてしまったが、属性を持った四頭は迷わず王城を目指して進み始めている。
「おまえら。あの大蛇を止めるぞ!」
フェリクスさんの怒号が飛ぶ。
『伝令! 退散したはずの魔獣が戻……』
物見台のひとつを、赤の大蛇が吐き出した火球が襲った。炎に包まれた物見台が、闇夜へ煌々と浮かび上がっている。
「こんな時に魔獣まで!?」
道理であっさり引き下がったわけだ。魔獣たちもこの機会を伺っていたというわけか。
「みんなは四方の門で魔獣を食い止めろ。あの大蛇は、王の左手と騎士団で始末する」
フェリクスさんの声で、辺りにいた冒険者たちが散り散りに駆けてゆく。そんな剣聖へ、マルクさんとレリアさんが駆け寄った。
「風の魔法で高速移動するわよ。すぐに王城へ戻りましょう」
レリアさんが詠唱に入るのを見届けた俺は、即座に仲間たちを見回した。すると、側に立っていたシルヴィさんが微笑みかけてきた。
「リュシーとマリーは避難して。魔獣の駆除はあたしたちに任せておきなさい」
やはりシルヴィさんには見抜かれていたか。苦笑を浮かべると、アンナに腕を叩かれた。
「アンナとレン君もいるしね。ナルナルも」
「アンナ君。すまないが、もう少し威厳のあるあだ名にしてもらいたい」
びゅんびゅん丸は冒険者ギルドの馬屋に預けたらしい。不満げな顔をするナルシスの隣で、レオンが険しい表情を見せた。
「表の魔獣もだけど、街を襲っている大蛇が問題か。あれを野放しにするのは危険だ」
レオンは右手を持ち上げた。
「空渡創造」
緑色の渦がレオンたちの周りに発生した。
「俺から離れすぎないで。この渦に包まれている間は移動速度が上がる。一気に敵の所まで突っ込むから。邪魔する奴は跳ね除ける」
「みんなありがとう。後は頼む」
マリーと並んで仲間たちを見ると、レオンは不快そうに顔をしかめた。
「碧色は引っ込んでなよ。あんたの力がなくてもやれるってことを証明してくるから」
苦笑を返すと、渦に包まれたレオンたちは走り去って行った。あいつと打ち解けるのはかなり骨が折れそうだ。
「マリー。俺たちは休ませてもらおう」
「本当にいいのかしら。落ち着かないわ」
不安そうにしているマリーの背後で、人混みから飛び出してくる冒険者の姿を捉えた。
考える暇もなく、体が勝手に動いていた。マリーを押しのけ庇うように出ると、冒険者の男から体当たりを受けた。
脇腹へ重い衝撃が伝う。しかも俺を見る目付きは普通じゃない。焦点が合っておらず、熱に浮かされているような顔付きだ。
男を引き剥がすと、その手に握られていた短剣から赤い鮮血が滴り落ちていた。
「うるあぁぁぁぁ!」
声にならない声を上げ、再び迫ってくる男。だが、それを避けるだけの気力がない。
「ふざけやがって……」
相手を睨んだ途端、横からの力に突き飛ばされた。地面に倒れながらも顔を上げると、なぜかそこにシャルロットが立っていた。
そうして振るわれた狂気の刃は、吸い込まれるように彼女の右胸へ突き刺さった。





