09 王の左手
なんだか外が騒がしい。木製扉の覗き窓をわずかに開けると、外に集う冒険者たちの数が更に増えていた。
「まだ増えてやがる……なんなんだ」
ぼやくと、側にいたシルヴィさんとアンナに笑われてしまった。
「仕方ないんじゃない。このギルドに、王の左手が三人も揃ってるんだから。一目会いたいと集まってきても不思議じゃないわよ」
「大丈夫。リュー兄の信者じゃないから」
「そんなこと、一言も言ってねぇだろうが」
この冒険者ギルドにも魔獣が侵入していたらしい。衝立や棚も倒され、辺りは酷い有様になっていたという。
職員たちは地下室に避難したため難を逃れた。今は片付けも粗方終わり、中央に置かれた長机の上には簡単な料理と飲み物が並べられている。掃討戦から三時間が経ち、俺も普通に動けるだけの体力を取り戻していた。
今ここにいるのは、シャルロットを含めたギルド職員が三十人ほど。そしてフェリクスさんの好意で、俺たちも同席を許可された。他に、苛烈の拳聖マルク=バロワンと彼の弟子たちが二十人。加えて、随意の賢聖レリア=アズナヴール。気付けば六十人を越える規模の宴になっていた。
どう見ても場違いなルネは、用意された食事を黙々と頬張っている。ナルシスは、そんな彼女にぴったりと付き添ってくれていた。
「リュシアン、ちょっといいか」
「がう?」
その声に、ラグが首を傾げた。見れば、歓談しているフェリクスさんが呼んでいる。側には、マルクさんとレリアさんの姿もある。
苛烈の拳聖マルク。素手での戦闘を得意とする格闘家だ。丸坊主で、がっしりとした筋肉質の体躯は鋼の肉体という呼び名が相応しい。二メートルもあるという身長と相まって、かなりの威圧感だ。黒の道着を身にまとい、足元はサンダルという軽装だ。
そして、随意の賢聖レリア。腰まで伸びる黒髪。長いまつ毛を持つ垂れ目、小さな鼻と厚めの唇に、おっとりした印象を受ける。薄紅色の法衣を纏い、小柄で細身の女性だ。
そんなふたりはどう見てもフェリクスさんより年上だ。王の左手という名と相まって、三人も揃うと存在感がすさまじい。
「どうしたんですか」
「なんて顔をしてるんだ。別に取って食おうってわけじゃない。もっと堂々としろ!」
恐る恐る尋ねると、フェリクスさんに勢いよく背中を叩かれた。それをマルクさんが笑う。
「なるほどな。君が噂のリュシアンか。今日は巨人二体を相手に大活躍だったそうじゃないか。俺の弟子たちにも見習わせたいよ」
「あれを二体も? 凄いじゃない。若いのに見処があるわ。将来有望ね」
「とんでもない。一体目はフェリクスさんのお陰だし、二体目も仲間たちのお陰です」
レリアさんから向けられる好奇の視線に耐えていると、それがある場所で止まった。
「あら、ランクAなの? 実力に伴ってないんじゃない? ギルドも見る目がないのね」
「いえ、それは自業自得ですから。俺が、ランクを上げることを渋っているので……」
「その通りです!」
口を挟んできたのはシャルロットだ。
「リュシアンさんはもう、最高ランクに匹敵する力があります。ギルドで多くの冒険者を見てきた私が、自信を持って推薦します!」
すると今度は、レオンが割り込んできた。
「碧色が最高ランク? それは聞き捨てならないな。俺は絶対に認めないから」
シャルロットとレオンが睨み合うと、フェリクスさんが割り込んだ。
「おいおい、レオン。おまえさんはまだそんなことを言ってるのか。俺が言ったことをまるで理解してないみたいだなぁ」
「理解はしています。認めたくないだけです」
「だったら認めてやれ」
「フェリクスさんは、こいつの方が俺よりも上だと思ってるんですよね。あの身体強化の反則技がなければ、俺の方が上です」
「やっぱりわかってない」
「何がですか!?」
「おまえの戦闘技術は認める。だけどな、戦うことだけがすべてじゃないだろう。大事なのは中身。そいつの人間性だ。おまえに決定的に足りないものは、それなんだよ」
「ちょっと待ってください!」
今度はマリーだ。もう収拾がつかない。
「今の言葉は訂正してください。誰かの人格を否定できるほど、あなたは完璧なのですか? 女神ラヴィーヌは万人に平等であり、惜しみない愛を与えると説いています。互いに愛を持って接するべきです。レオン様にも素晴らしい所はたくさんあります。それを否定することは私が許しません!」
「まぁまぁまぁ……」
間に入ってくれたのはマルクさんだ。
「変な話を振った俺が悪かった。ここは俺に免じて勘弁してくれ。女神様の名前まで出されたんじゃ敵わねぇって。がっはっはっ!」
豪快な笑いですべてをうやむやにしながら、フェリクスさんと俺は腕を強く引かれた。部屋の片隅へ連れて行かれた所で、カップを手にしたレリアさんも付いてきた。
「フェリクスのあんな顔、久しぶりに見たわ」
レリアさんは涙を流して笑う。それに釣られたマルクさんも、フェリクスさんの肩へ手を置いて笑っている。
「おまえも機嫌を直せ。物怖じせずに向かってくるとは大した嬢ちゃんだ。何でも言い合える関係性ってのも大事だからな。いいパーティに成長してる証拠だ。がっはっはっ」
「他人事だと思って好きに言いやがって。しかも、なにが女神ラヴィーヌだ。あんなまやかしの神を信じるなんて、どうかしてるぜ」
「ちょっと、フェリクス!」
レリアさんにたしなめられ、フェリクスさんが気まずい表情を見せた。
「まやかしって、どういう意味ですか?」
「あ〜。ただの言い間違いだ。気にするな」
怪しすぎる。でも、それを追及した所で話してくれないだろう。飲み物を配ってくれるレリアさんを見ながら、俺は話題を変えた。
「王の左手は、皆さん現役で冒険者を続けていらっしゃるんですか?」
「あ? おまえさんには話してなかったか」
フェリクスさんは果実水の入った木製カップを受け取りながら、間抜けな声を上げた。
「現役は俺だけ。マルクは道場を開設して弟子の指南。レリアは古代魔法の研究。ヴァレリーは埋もれた人材を探して放浪の旅をしてる。一番の出世頭は、聡慧の賢聖エクトル=べルトランくらいのもんだ。今は王城で、宮廷魔導師の団長をやってる」
「だからエクトルさんはここにいないんですね。ヴァレリーさんは昨晩オルノーブルで会ったので、間もなく到着すると思いますけど」
「昨日、オルノーブルで? じゃあ、君はどうやって短時間でここまで来たの?」
レリアさんが驚いた顔をしている。
「気が付いたら球体状の風の結界に包まれていて、ここまで運ばれていたんです」
「風の結界? なにかの魔法かしら。聞いたこともないけど……」
「まぁ、そんなことはいいじゃねぇの。なんにしろ、フェリクスが現役を退くのはまだ先だよな。アンセルム殿との誓いもある。引退なんて、聖剣ミトロジーが泣くぜ」
「アンセルム? 誰なんですか」
初めて聞く名に疑問を抱いた時だ。夕闇へ、警告を促す鐘の音が響いた。
「がう、がうっ!」
左肩の上で、ラグが激しく吠え立てる。
「職員の皆さんは地下室に隠れて!」
咄嗟に叫ぶと、激しい地震が王都を襲った。





