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碧色閃光の冒険譚 ~竜の力を宿した俺が、美人魔導師に敵わない~  作者: 帆ノ風ヒロ / Honoka Hiro
QUEST.07 オルノーブル編

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21 翼をなくした天使


 今、眼前にセリーヌがいる。数ヶ月ぶりの再会だが、相変わらずの美しさだ。


 顔が好みというのはもちろんのこと、出るところは出て均整の取れた体つき。まさに完璧としかいいようがない。女神が与え給うた、けしからん至宝は健在だ。


「リュシアンさん。大変な戦いでしたね」


 いたわりの微笑みを向けられながら、なぜかふたりで浴場にいる。俺はもちろん全裸。セリーヌはといえば、バスタオルを一枚巻いただけのあられもない姿だ。


『リュー(にい)が見たら鼻血モノだよ。見事な体型なんだから』


 いつか耳にした、アンナの言葉が蘇った。


『ボン、キュッ、ボンって。胸を触らせてもらったんだけど、大きくてずっしりしてるのに柔らかいの。とにかく凄いよ』


 それが今、この距離にある。


 ごくりと喉が鳴った。気付けば俺の両手は、大きな双丘へ誘い込まれるように動いていた。


「お待ちください」


 しかし、両手はセリーヌに抑え込まれた。もう少しで、栄光の頂きへ届くのに。至高の弾力を求めた指先が、触手のように当てもなく宙で藻掻く。


「焦らずに。まずはお背中を流しますから」


 木製の風呂椅子へ座らされ、タオルで背中を丁寧に擦られた。これが歓楽街なら、とにかく凄いものであれこれしてくれるのに。


 いかがわしい妄想の最中、セリーヌの綺麗な右手が俺の下腹部へ触れた。


「こちらも綺麗にしておきますね」


「いや、ちょ、そこまでは……」


 セリーヌは、そこを覗き込むように正面へ回り込んできた。いや、これじゃない。俺は、けしからん至宝を堪能したいんだ。けしからん至宝に、けしからんことをしたい。


 そんな欲望とは裏腹に、ねっとりと絡みつくような快楽の波に溺れていた。温かく、俺のすべてを吸い尽くすような優しいうねり。その流れに身を任せているうちに、限界へ達した欲望を一気に解き放っていた。


☆☆☆


 気が付くと、真っ暗闇の中にいた。記憶が混乱し、ここがどこなのかわからない。


 見慣れない天井と見慣れない調度品。知らぬ間に、どこかへ連れてこられたのだろうか。だが枕元では、ラグが丸くなって眠っている。


「そうか……カンタンの屋敷だ」


 混濁した意識でどうにかそれを思い出すと、不意に下腹部の異変に気付いた。

 股の間へ収まっていた謎の影。それが、覆いかぶさるように伸び上がってきたのだ。


 俺を狙った侵入者か。さすがにふたりの富裕層を狙った今、逆恨みされても仕方ない。余りの恐怖に言葉を失っていると、窓から差し込む月明かりがそれを浮かび上がらせた。


「は?」


「うふふ。ごちそうさまでした」


 俺の左腕を枕代わりに、シルヴィさんがするりと滑り込んできた。ぷっくりとした柔らかそうな唇を、赤い舌がなぞって過ぎる。


「まさか……」


 妙な夢を見たのも、この人が原因か。


 呆れる俺を前に、シルヴィさんは惹き込まれるほどの妖艶な笑みを見せてきた。口元のほくろが、相変わらず色っぽい。


「助けてもらった御礼。もう何もしないから安心して休んで。今日は本当にありがとう」


 シルヴィさんは素早く身を起こし、俺に背を向けてベッドへ腰掛けた。


「でも、ちょっとだけ話を聞いてくれる?」


「構いませんよ」


 どうせ、すぐには眠れないだろう。


「正直に言うと、リュシーにだけは過去を知られたくなかった……やっぱり幻滅した?」


 抑揚を失った声が、やけに重く聞こえた。


「いや、驚きはしましたけど、幻滅なんてしませんよ。むしろ、みんなを守るために体を張ったんだ。誇るべきことだと思います」


「だけど、そのために何人もの男に抱かれたのよ。それこそ数え切れないくらい……あたしは身も心も真っ黒なの。セリーヌやマリーが、羨ましく思えるくらいにね」


「シルヴィさんはシルヴィさんですよ」


 それ以上の言葉が見つからない。どんな言葉を並べても、彼女の深層へ届く気がしない。


「あたしはね、親に捨てられたの。両親は故郷で学舎(まなびや)を経営しててね。こっちで言う職業訓練校ね。父は武術、母は読み書き担当。あたしが十歳の時、賭け事の好きだった両親が多額の借金を作ってね。高利貸しにも手を出して、借金だけがどんどん膨らんだの」


 俺には、寂しげなシルヴィさんの背中を見つめることしかできない。


「結局、高利貸しの脅しに屈して、あたしを売ったのよ。その後は酷い扱い。暴行は日常茶飯事。娼館の下働きから犯罪まがいのことまで。まぁ、素行も悪かったけどね……扱いに困った悪党どもは、あたしの見た目だけは価値があるって、奴隷商人へ流したってわけ」


「正直、なんて言っていいのかわからない。想像もつかないけど、過酷な過去ですね」


 横になって聞いているのが申し訳なくて、たまらず体を起こして耳を傾けた。


「アンナは両親の虐待から逃げた旅先で、傭兵団に拾われたそうなの。戦いの技術はその時に仕込まれたらしいわ。傭兵稼業に嫌気が差して、また逃げた先で奴隷商人に捕まってね。同じ時にエミリアンに買われて、使用人の仕事をしながらアンナの指導を受けたわ。屋敷から逃げた後、フェリクスに出会ったのは偶然だけど、それも運命だったのかもね」


「絶対にそうですよ。だから今がある」


 正しい道なのだと断言してもいい。


「でもね、浴びるように酒を飲んでも当時の記憶は消えないの。自分が酷く汚れている気がして、誰でもいいから抱いて欲しいっていう衝動に駆られる時があるのよ。新しい男を見つければこの悪夢から逃れられると思っても、結局は何も変わらない。おかしくなりそうな自分を支えるためには、戦いで気持ちを紛らわせるしかなかった……」


 両手で顔を覆ってうつむいてしまった。その背が小刻みに震えている。


 冒険者である以上、体つきは多少引き締まっているものの、街で見かける女性と何ら変わらない。その身にどれだけの理不尽を受けて生きてきたのか。話を聞いているだけでは、そのすべてを知ることなどできない。


 華奢な輪郭を残した背中。そこへ浮かび上がった肩甲骨が、翼をなくした名残のように見えた。


 彼女は本当に天使なのかもしれない。女神ラヴィーヌの使いとして誰もが知る存在だが、女神も慈愛の象徴として崇拝されている。面倒見が良く、別け隔てなく接するシルヴィさんは、慈愛の伝道師といっても過言じゃない。


 自分が(しいた)げられてきたことで歪んでしまうわけでもなく、それでも愛を求めて他者へ手を差し伸べる。立派な生き方だと思う。


 俺は知らずしらずシルヴィさんへ近づき、その背中を壊れないように包み込んでいた。


「シルヴィさんが抱える苦しみ。そのすべてを受け止められるとは思わない。それでも俺はシルヴィさんを受け入れて、これからの日々に寄り添っていくことはできる」


「リュシー……」


 彼女の漏らす嗚咽が心に痛い。


「シルヴィさん、言いましたよね。喜びも悲しみも分かち合って支え合う。そのための仲間だ、って。シルヴィさんが俺を支えてくれているように、俺も支えてみせるから」


 沈黙が室内を満たしている。時間が止まってしまったような錯覚がする。


「まったく……生意気いいやがって」


 なぜか握りこぶしで額を叩かれ、シルヴィさんの体が腕の中をすり抜けていった。


 振り返った彼女はいつもの顔に戻っていた。インナー姿で腰に手を当て、胸を張ったまま見下ろされている。


「あたしを支えようだなんて早いわ。せめて酒量で負かしてもらわないと。それに、リュシーを支えるのが今のあたしの生き甲斐なの」


「でも……」


「支えるって言うなら、あたしの胸だけにして。いい。リュシーには幸せになる権利があるの。お兄さんを探して、セリーヌを見つけて、あなたの生き甲斐を探せばいい。あたしは、御主人様のお世話を焼くメイドなのよ」


「幸せになる権利なら、誰にでもあるだろ」


 すると不意に顔を覗き込まれた。前かがみになったシルヴィさん。インナーに収められた谷間へ、つい視線が吸い寄せられてしまう。


「じゃあどうなの。ここであたしが結婚してって言ったら、リュシーは乗ってくれる?」


「それは……」


 今の俺ではその答えを出すことができない。言い淀んでいると、鼻先を指で弾かれた。


「ほら、迷いがあるのは論外。話は終わり。明日も忙しいわよ。歓楽街に大衆酒場。リュシーが大きくなっていくのは最高に嬉しいわ。ついでに、あそこも大きくなればいいのに」


 彼女の中ではすべての切り替えが終わったらしい。すっかりいつもの調子に戻っている。そのまま部屋を出るかと思えば、シルヴィさんは扉の前で不意に立ち止まった。


「だけどね、時々思うのよ。リュシーと生きる未来があったら、どんなに素敵だろうって。ヴァルネットで過ごした二ヶ月。メイドとして尽くしたけど、すごく幸せだったわよ」


 そう言って見せてくれた笑顔。俺はきっと、この表情を忘れることはないだろう。


「なんちゃって。おやすみ」


 そうして、風が吹き抜けるように部屋を去る。


 ひとり残された俺は、これからのシルヴィさんとの関係に頭を悩ませることとなった。

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