20 正義の鉄槌
「ふたりとも、こっちに来てくれ」
俺は、仰向けにしたエミリアンの体を押さえつけた。とはいえ、相手は六十歳前後と思しき初老だ。余り乱暴にも扱えない。
因縁の相手を前に、シルヴィさんとアンナは複雑な表情を浮かべている。その心を蝕む激情の炎は、決して消えることはないだろう。
「これを持ってくれ」
俺は魔法剣をシルヴィさんへ差し出した。
「どうしろって言うの?」
「去勢するんだ」
すると、ふたりの顔が途端に強張った。
「待て。それだけはやめてくれ」
エミリアンは慌てふためいた顔をして、激しく身じろぎを始める。そんな抵抗すら腹立たしく、その顔を睨み下ろした。
「だったらここで死ぬか? 去勢か死か。てめぇの選ぶ道はふたつにひとつだ」
「さっき言ってた相応の報いって、このこと?」
アンナはようやく合点がいったという顔だ。
「名案だろ? こいつの尊厳を根こそぎ奪う。すんなりあの世へなんて逝かせてたまるかよ」
「おまえは悪魔だ!」
「クズ野郎。てめぇに言われたくねぇよ」
こいつを黙らせるため、両手を縛るために使った上着の一部を斬り裂き、口の中へと放り込んでやった。
「さっさとやっちまえ」
魔法剣の先端をエミリアンの股へ導いた。
「エミリアン、動くなよ。下手に暴れると袋どころか、棒まで根こそぎなくなるぜ」
シルヴィさんとアンナに、エミリアンの脚を片方ずつ抑え込んでもらった。そうして魔法剣の柄にはふたりの手が添えられた。
「後は刃を落とすだけだ」
シルヴィさんは何を思っているのだろう。エミリアンからも散々な目に遭わされてきたはずだ。これを機に、彼女が抱える苦しみが少しでも軽くなってくれたらそれでいい。
「アンナ。やるわよ」
覚悟を決めたシルヴィさんの言葉に、アンナも黙って頷いた。
過去をなかったことにはできない。それでもその想いに終止符を打ち、新しい一歩を踏み出すことはできると信じている。
俺が見つめる先で、忌まわしい過去を清算するための正義の鉄槌が静かに落とされた。
去勢の激痛に呻くエミリアン。塞がれた口から、くぐもった声が漏れ続けている。
険しい顔で歯を食い縛るシルヴィさんとアンナ。殺したいほど憎い相手だろうが、これで多少なりとも溜飲を下げてもらうしかない。命を奪うのは簡単だが、エミリアンには生き恥を晒してもらう必要がある。
「もう少し我慢しろ。すぐにマリーが来る。そうしたら傷口だけは塞いでやるよ」
エミリアンのズボンで血を拭い、魔法剣を鞘へと収めた。
「せっかくの魔法剣で、まさかこんな汚物を斬る羽目になるなんてな。悲しくなるぜ」
ルノーさんとアランさんへ申し訳ない気持ちになってきた。
そうして待つこと五分。アンナの誘導に従い、レオン、マリー、ドミニクが合流。縛られたカンタンと、傭兵団を率いていた三人の副長たちもいる。
隊長のブレーズは、サロモンが討ち果たしたという。理不尽な束縛から開放された傭兵たちは、異常な興奮に包まれて帰還を果たした。
「マリー、無事で良かった。心配したんだぜ」
声をかけると、彼女は聖母のような微笑みを湛えて歩み寄ってきた。
「ご心配をお掛けしました。レオン様がいち早く駆けつけてくださったお陰です」
なぜか、二の腕を思い切りつねられているんだが。すると彼女は、床へ横たわったままのエミリアンへ即座に駆け寄った。
「指輪と首飾りをお持ちだと伺いました。あれは私が頂いた大切な品なんです。どうか今すぐ返してください」
「安心しろ。それならここにある」
革袋から取り出した聖者の指輪とタリスマン。それをマリーに手渡した。
「よかった……大司教様と女神様へ顔向けできなくなるところだった」
両手でそっと包み込みながらも、聖女という言葉が台無しになりそうな渋い顔を見せた。
「あなたが持っていたんですか? 野蛮になる呪いがかけられていそうです」
「おい。おまえなぁ……」
俺の言葉を無視して、そそくさとそれらを身に着けている。まったく酷い言われようだ。
「丁度いい。エミリアンの治療を頼む」
「どこが悪いんでしょうか」
「診ればわかる」
間もなく、マリーの悲鳴が聞こえてきた。生娘には刺激の強過ぎる光景かもしれない。
「もう最悪……」
「でもほら。大事な患者さんだと思って」
治療を終えてふさぎ込んでしまったマリーを、アンナが必死になだめる様が微笑ましい。
「で、俺たちまで呼んだ理由は?」
レオンが不満そうにつぶやいた。マリーを助け、役目は終わったと言わんばかりの顔だ。
「この取引の証人になってもらう」
「取引?」
レオンだけでなく、この場に集った全員が不思議そうな顔をしている。
俺はカンタンとエミリアンをベッドへ座らせ、倒れていたテーブルを起こした。
「カンタン、エミリアン。明日から、おまえらを俺の支配下へ置くことにした」
そう告げた途端、面食らった仲間たちから様々な声が上がった。予想通りの対応に、俺は片手を上げてそれらを制した。
「カンタンからは歓楽街で得た利益の七割を貰う。エミリアンも大衆酒場をあちこちで経営してるそうだな。本店と自宅がこの街にあるのは聞いてる。てめぇは今後、俺の財布代わりだ。必要に応じた額をその都度工面してもらう。シルヴィさんとアンナへの賠償金だと思え。それから歓楽街と飲食店、それぞれの共同経営者として俺の名義を加えた」
俺はドミニクを呼び、この作戦前に用意してもらったそれぞれの誓約書を受け取った。この仕掛けがあったからこそ、ドミニクの逃走は俺の予想外の出来事となったのだ。
「今の条件をまとめたものだ。ここに署名と血判を残せ。手続きは明日、俺が同行する。拒否権はない。断れば、てめぇらの家族共々、必ず追い詰めてあの世行きにしてやるよ」
ふたりへ脅しをかけながら、クリストフの遺体を思い切り踏みつけてみせた。
渋々署名する彼等を眺め、胸がすく思いを味わっていた。そうして俺は最後の仕上げにとりかかるべく、ドミニクを見た。
「あんたには今後、カンタンの見張りを頼む。副長のひとりと協力して、娼館運営の管理をしてくれ。奴隷売買は廃止。手下の賊を呼び寄せて、傭兵の手伝いをさせて構わない」
呆気にとられているドミニクへ笑いかけ、ふたりの元副長に目を向けた。
長剣を操っていた男がカミーユ。槍を操っていた男はセドリックという名前らしい。サロモンを含めた三人が三十代ということだ。
「サロモンとカミーユには、エミリアンの見張りと護衛を頼む。こいつがおかしなことをしないように見張ってくれ」
「俺たちは傭兵だぞ。おまえのような小僧の小間使いになれって言うのか」
カミーユが即座に不満を漏らしてきた。
「無償奉仕とは言わねぇよ。カンタンの歓楽街から得る利益は七割だ。四割は貰うが、残りの三割をみんなで分ければいい。下手に傭兵稼業へ戻るより、ずっと安定してるだろ」
「碧色様には恐れ入ったよ。これはとんでもないことを考えたもんだねぇ」
ドミニクは呆れたように笑っているが、彼なしでは成立しない作戦だった。
「あんたのお陰だよ。誓約書作りからエミリアンの素性調べまで、事細かに動いてくれた」
そして俺は、ドミニクとサロモンへ魔導通話石を手渡した。これらは、カンタンが持っていた私物を取り上げたものだ。
「毎日、定期連絡をすること。間違っても変な気を起こすなよ。裏切れば冒険者ギルドから戦力を募って、即座に制圧するからな」
「俺は、見合う金さえ貰えればそれでいい」
セドリックは完全に割り切ってくれている。正直、こういう奴の方が扱い易くて助かる。
気付けば、室内にはふたりの女性が居残っていた。この騒動を目にしても逃げ出さないとは、度胸があるか、行く宛のない連中だ。
「あんたたちにも手伝ってもらいたい。それぞれにカンタンとエミリアンの世話を頼む。報酬は弾むからさ」
こうして騒動を収めたものの、付け焼き刃と言ってもいい作戦だ。俺も法律に詳しいわけじゃない。まだまだ問題は発生するだろう。場合によっては法律家を雇う必要が出てくるかもしれない。あくまでも、カンタンとエミリアンを飼い殺しにするための作戦だ。ドミニクと元副長たちの協力を得て、その都度解決しながら形を作っていくしかない。
「今日は本当に疲れた……」
首を揉み、体を引きずる思いで屋敷の廊下を進む。時刻は既に零時を過ぎて、日付が変わってしまっている。
あの後、クリストフの遺体を片付け、カンタンとエミリアンはそのまま軟禁した。
『パメラとルネが心配だから、酒場に戻るね』
アンナ以外の仲間は、豊富に設けられた客室へ割り振った。そして俺も、ようやく個室へ身を落ち着けた。
血と泥に塗れた冒険服を脱ぎ、体中の血痕を洗い流した。もちろん着替えなど持っていない。下着姿でベッドに体を沈めると、途端に睡魔が襲ってきた。
ところが、襲ってきたのは睡魔だけじゃなかった。





