17 覚悟の重さが違うんだ
「傷を見せてみろ」
うなだれていると、剣を収めたヴァレリーさんが歩み寄ってきた。
フェリクスさんとさほど年齢は変わらない。淑女と言って差し支えない品格を纏ったその人は、隣へしゃがむなり苦い顔を見せた。
「これは酷い。おい、手を貸してくれ」
呼びかけに応じ、闇の中から人影が歩み出てきた。外套に身を包みフードを目深に被っているため、性別すら判別できない。
人影は俺の背後へ回って見えなくなる。すると、左肩へ手を置かれた感触があった。
「癒命創造」
声で女性だとわかった。疼いていた傷跡が微かな熱を帯び、途端に痛みが和らいでゆく。
「少しの間、大人しくしていてください」
癒やしの魔法を受けて、咄嗟にアンナの顔を思い浮かべていた。
「厚かましいお願いだとは承知していますが、傷を癒やして欲しい仲間がいるんです。まだ戦いは終わっていないんです」
だが、ヴァレリーさんは眉ひとつ動かさない。人形のように感情が読めない人だ。
「あいにく先を急ぐ身だ。すまない」
「そういえば王都に急ぐんでしたね。フェリクスさんが心配していましたよ」
「君は、フェリクスと知り合いなのか?」
そこで初めて、驚いた顔を見せた。
「俺、リュシアン=バティストと言います。フェリクスさんには世話になりっぱなしで」
「そうか。君のことは聞いている。碧色の閃光としてもギルドで有名だな」
「ありがとうございます。でも、俺なんてまだまだ。今もこんな有様ですから……」
苦笑を浮かべると、ヴァレリーさんに見据えられた。大きな瞳へ吸い込まれそうな錯覚がしてしまう。
「なるほど。フェリクスが見込んだだけのことはある。まだまだ荒削りなのだな。秘められた力を感じるが、それを使いこなせていないと見える」
すると、形の良い唇から溜め息が漏れた。
「まったくあの男は……これだけの逸材だというのに、ろくに稽古も付けていないのだろう? 放任主義は相変わらずのようだな」
「さすがに詳しいですね」
「長い付き合いだ。当然のこと」
ヴァレリーさんは不意に視線を逸らし、あらぬ方向へ目を向けた。
「手を貸してやりたいのは山々だが、承知の通り王都へ急がなくてはならない。集合に遅れれば、彼等になんと言われるか知れない」
そこまで言って、もう一度俺を見てきた。
「とはいえ、疲労困憊の様子だな」
彼女は腰へ下げた革袋をまさぐり、ひとつの小瓶を差し出してきた。
「これを飲め。即効性のある気付け薬だ。数時間の効果だが、多少の無理は効く」
「そんな便利なものがあるんですか」
「寺院か王都周辺の薬屋で扱っている。もうひとつ渡しておくから、それを見せるといい。多少値が張るのが難点だがな」
薄い笑みを浮かべているが、間近で見るとかなりの美人だ。
気つけ薬を飲み、他愛ない話をしている間に肩の治療も終わった。痛みもなくなり自由に動かせる。これでようやく戦闘再開だ。
治療の所要時間を見る限り、同行の女性もかなりの使い手だ。剣聖と行動を共にしているのだから、並の人物ではないだろう。
「おふたりともありがとうございました。何から何まですみません」
「礼には及ばない。フェリクスの愛弟子を見捨てたとあっては、彼に顔向けできないからな」
「ヴァレリー様、そろそろ」
二頭の馬を引いてきた女性に促され、ヴァレリーさんは頷き返した。
「すまないがここで」
「この戦いが終わったら、俺も王都へ向かいます。御礼はそこでゆっくり」
「楽しみにしている」
ヴァレリーさんは馬へ跨り、再び薄い笑みを見せてきた。感情の起伏は少ないが、落ち着いた物腰をした大人の女性だ。
走り去るふたりを見送り、俺は再び気合を入れ直した。目指すはカンタンの屋敷だ。
破壊された街並みを駆け抜け、一心不乱に前だけを目指した。カンタンのことは、レオンやドミニクが何とかしてくれる。ユーグとモニクが立ち去ったことで、道を塞ぐ障害は消え去ったと言っても過言じゃない。
「がう、がうっ!」
景気づけるように、俺の左肩の上でラグが吠え立てる。
「シルヴィさん、すぐに行く」
必死に伸ばされた右手が脳裏を過ぎる。まるで俺の心へ向けて救いを求められているようだ。今度こそ、その手をしっかり掴んでみせる。二度と、はぐれないように。
シルヴィさんと共に過ごした時間。そこに嘘や偽りなど一切存在しなかった。泣き、笑い、喜び、支え合う。時には衝突もしたけれど、互いの本音でぶつかりあった結果だ。俺たちの間に絆は確かに存在している。
あの人が奴隷だろうがなんだろうが、過去はどうでもいい。今、この時がすべてだ。それをここで証明してみせる。
「何者だ!?」
娼館の入口で、傭兵の残党が立ちはだかった。
ドミニクやサロモンの呼びかけに応じなかった奴らか。はたまた、カンタンの娼館の地下で出会った手下どもだろうか。
「あいつは碧色の閃光だ。返り討ちにしろ!」
総勢六人。普段なら取るに足らない相手だ。
「どきやがれ!」
魔法剣を手に駆ける。
気つけ薬を貰ったとはいえ、既に疲労の限界は超えている。後はこの体がどこまで持つかだが、シルヴィさんを助けるまで倒れるわけにはいかない。残る力を振り絞り、目の前の障害を叩き潰すだけだ。
真っ先に切り込んできたひとりの剣を受け流す。返す刃で、敵の首をすかさず貫いた。
胴体を蹴りつけ、刃を引き抜く。そして、二人目の手斧と三人目の曲刀を受け止めた瞬間だった。彼等の隙間から飛び出してきた槍の穂先。その一閃に左脇腹を貫かれていた。
「がっ……」
息が止まる。だが攻撃の手は休めない。
持っていた魔法石を前方へ投げ付けると、三人の傭兵は炎と雷に包まれた。
そこからは無我夢中だった。気が狂ったように吠え、三人を瞬く間に斬り伏せた。後方に控えていたふたりの傭兵が、悲鳴のような情けない声を上げるのを聞いた気がした。
「怯むんじゃねぇ!」
怒声が聞こえ、俺は声の主を睨んだ。すると、ふたりの傭兵が長弓を構えていた。
「放て!」
ひとりの声に従い、二本の矢が放たれた。
一本は右肩。もう一本に左の太ももを撃ち抜かれていた。だが、痛みはどこかに消えていた。あの人のもとへ。シルヴィさんのもとへ。その一心で、脚をひたすら前へと運ぶ。
「なんだ、あいつは……化け物だ!」
「おい、逃げるな。戦え!」
逃走しようとするひとりの腕を、もうひとりが慌てて掴んでいる。
「無理だって。なんで倒れねぇんだよ!」
怯えの色を滲ませるふたり。彼等を眼力だけで射殺さんと鋭く睨んだ。
「教えてやろうか? てめぇらとは、覚悟の重さが違うんだ」
手にした魔法剣を投げ付けた。
それは逃走を妨害していた男の喉へ突き刺さり、敵はそのまま仰向けに崩れた。
「ひいっ! 参った。降参だ!」
もうひとりは長弓を投げ捨て、尻もちをついて震え上がっている。
その情けない姿を眺め下ろしながら、俺は放った魔法剣を敵の喉から引き抜いた。
「エミリアンはどこだ?」
「屋敷の一階。一番奥に貴賓室があります。あの人は、いつもその部屋に泊まります」
「わかった」
男を無視して、屋敷の扉へ手をかけた。もはや寄り掛かるように体重をかけないと、扉を開くこともできないとは情けない。
「がうっ!」
ラグの声と共に、背中を衝撃が襲った。
ゆっくりと振り返った先には、先程の傭兵が怯えた顔で立っていた。震える両手には、短剣がしっかりと握られている。
「やっぱり化け物だ」
その刃先は大きく刃こぼれを起こしていた。どうやら特製の鎖帷子に命を救われたらしい。
「鬱陶しいんだよ」
振り抜いた一閃が、男の首を落とした。
それと同時に激しい目眩に襲われ、屋敷の扉へ体を預けて座り込む。
「こんな所で止まれねぇだろうが……」
体へ刺さったままの矢を引き抜いた時だ。竜臨活性にも似た力が、体の奥底から溢れてくるのがわかった。へそを中心として、全身が燃えるように熱くなってくる。
『小僧。貴様の覚悟、しかと受け取った。今だけは、我が持つ力の一端を貸し与えよう』
ラグの口から、覚えのある声が漏れてきた。
「炎竜王、なのか?」
全身の傷跡から出血が止まり、徐々に塞がり始めている。痛みもほとんどなく、立ち上がって歩行できるまでに回復していた。
「ありがたい。恩に着る」
『ひとつだけ警告しておく。炎に飲まれるな』
「なんだか良くわからねぇけど、とりあえず頭の片隅に留めておくことにするよ」
気力を取り戻した俺は屋敷の扉を蹴破り、燃え盛るような怒りを堪えて中へと進んだ。





