14 勝利の女神
「どうするつもりだ」
俺の言葉も聞かず、レオンは駆け出した。辺りには火だるまになった多数の不死者と、それらの追撃に向かう傭兵たちの姿。乱戦の中、不死者になど目もくれず、肉人形のシンザラスだけを狙う猛者もいる。
だが、シンザラスも当然、黙ってやられるつもりはない。残された五本の腕を振るい、崩れた建物の瓦礫を取り上げた。それを迫りくる傭兵たちへ次々と投げ付けている。
何人かが瓦礫の直撃を受ける中、レオンは器用にそれを避けてゆく。よく見れば、あいつの体を取り巻く風の渦がある。恐らく魔法を身に纏い、一時的に速度を上げているのだ。
これが並の剣士なら話は別だが、相手はレオンだ。冷静かつ的確な戦闘に特化したあいつは、瞬く間に肉人形の足元へ迫っていた。
手にしたソード・ブレイカーを一閃。刃は敵の右膝へ深々と食い込んだ。
「あいつの剣じゃ、切断は無理だ」
レオンもわかっているだろうに、なぜ同じような攻撃を仕掛けたのか。
俺が不思議に思った直後だった。刃先で爆発が起こり、膝を砕かれたシンザラスの脚が地面へ転がった。
「何が起きたんだい?」
隣で驚愕の声を上げるドミニク。
「多分、刃へ光の魔法を通したんだ。刺した場所を起点に、爆発を起こしたか……やるな」
魔法剣士のレオンだからこそできる芸当だ。それでも関心している場合じゃない。俺は慌ててドミニクの顔を伺った。
「仲間たちに引導を渡してやりたいっていうなら今しかないぞ。この調子だと、レオンがあっという間に勝負を決めちまう」
「そいつは困るねぇ」
苦笑したドミニクが長弓を手に駆け出す。
「ドミニク。俺の言ったことを忘れてないだろうな? 後は頼むぞ」
こちらを振り返らず、右手を上げて応えてくれた。サロモンとの交渉を見る限り、あいつに任せておけば問題ないだろう。
俺もようやく視点が定まってきた。よほど強く打ち付けたのか、酒に酔ったように平衡感覚が狂ってしまっている。
幸い傭兵たちのおかげでシンザラスを押し込み、死者たちも一掃されつつある。唯一の懸念は、未だに姿を見せないユーグだ。
「何が狙いなんだ……」
これまでもそうだが、あいつの真意が見えないことに不安が募っている。改良した魔獣を使い、何かを企んでいるのは間違いない。それは、あいつが実験と口にしていることからも明らかだ。単純に、より強い生物を作り出すことが目的なのか。だとして、人間を滅ぼすことに何の意味があるのか。
俺が思案を巡らせている間にも、シンザラスは徐々に追い込まれていた。やはり、脚を一本失ったことは致命的だったようだ。明らかに体幹が乱れ、動きは精細を欠いている。
「勝利の女神はこちらに微笑んだってわけか」
女神という言葉にセリーヌが浮かび、苦笑が漏れてしまう。
レオンの魔法を絡めた斬撃が、敵へ深い傷跡を刻む。その周りには、サロモンの他に熟達した動きをする傭兵がふたり。確か、サロモンは副長のひとりと言っていた。残りの副長かもしれないが、長剣を手にした男と、槍を手にした男が見える。
彼等の連携が徐々に優位性を高めている。更にドミニクの放つ矢が追い打ちとなり、敵の体へ点在する目を的確に射抜いてゆく。
そうして、俺が安堵の息をついた時だった。
「がう、がうっ!」
左肩に乗っていたラグが激しく吠えた。この吠え方は警告の合図だ。
身を固くした瞬間、右方から何かが飛び込んできた。それは地面に激突して大きく跳ねると、空中で身を翻して体勢を立て直した。片膝を付き、肩で大きく息をしている。
「何が起きてるんだ」
それは女魔道士のモニクだった。歯を食いしばり、胸元まで伸びる黒髪は乱れきっている。険しい視線をあらぬ方へ向け、俺のことなど視界に入っていない様子だ。
「そういうことか……」
彼女の視線を追って納得し、素早く魔法剣を身構えた。その先には、俺が目的としていたインチキ魔道士の姿があった。
ユーグは悠然と歩を進めながら、こちらへ視線を向けてきた。蝶の仮面の下へ覗く口が、大きく笑みを形作るのがわかった。
「おや、リュシアン君。こんな所にいたとは」
モニクの様子を伺えば、唇を噛み締めて悔しさを滲ませている。ユーグとの実力差は想像以上ということか。
そこへ、ユーグの含み笑いが聞こえてきた。
「モニク君。先程までの威勢はどうした。私を消すだの何だのと、あれは空耳か」
「碧色のボウヤ!」
モニクを見ると、こちらに向かって右手を差し出していた。
彼女が何を求めているかはわかる。マリーが持っていた、聖者の指輪とタリスマンだ。湿疹が出ると嫌がっていたが、そうまでしないと勝てない。それは確かにわかるのだが。
「あれは過ぎた力だ。あんたが手放したのは意外だったけど、簡単には渡せねぇ」
それに、再び返ってくるという保証はない。
「私の言うことが聞けないの」
「どうして甲冑を連れてこなかった。エドモンの見張りだけじゃ無駄遣いだろうが」
ドゥニールが着ていた全身鎧は魔力を秘めていた。魔導師であるユーグと戦うなら、うってつけの戦力だっただろうに。
「それだけ焦っている、か。神竜剣といったか。確かに膨大な力を秘めていたようだが、あの剣が何だと言うんだ?」
「てめぇには関係ねぇ」
ユーグへ言い放った直後、地響きと共に男たちの歓声が上がった。恐らくシンザラスの討伐に成功したのだろう。
「自慢の肉人形も片付いた。あれこれ実験してる割に、駄作だらけだな」
「んふっ。人間が基となれば、あの程度が限界か。今はまだ、と付け加えておこう」
「おまえをここで止めてやるよ」
「君との戦いは愉快。一戦ごとに成長してゆく様は実に興味深い」
「あぁ、そうかよ。俺はてめぇの忌々しい顔を見せられて、今日も不快だよ」
正直、虫酸が走る思いだ。
シンザラスが倒れた今、傭兵団の総力でこいつを叩くのが一番なのかもしれない。だが、レオンはマリーの救出。ドミニクにも別の用事を頼んである。傭兵団にしても、隊長のブレーズを討つという目的があるだろう。
「モニク、手を貸してくれ。本当の危機になったら、指輪でもなんでも出してやる」
剣を手に、ユーグを目掛けて駆けた。
魔法具の恩恵がないとはいえ、モニクがここまで苦戦する相手だ。しかし彼女も、俺とユーグをまとめて狙っている可能性がある。魔法具を返してきたことを考えると、俺の信用を得ようとしていたのかもしれない。
そんなことを考えている間にも、前方から巨大な火球が迫っていた。
慌てて右横へ飛び退いた途端、足元から鋭利な土柱が伸び上がってきた。このままでは胸を貫かれて即死だ。
「くっ!」
即座に上半身を後ろへ反らせた。直後、左方から飛んできた風の球体によって、土柱はあっさり砕け散る。
モニクの援護に心の中で感謝して、再びユーグを目掛けて走った。正直、こいつの存在が煩わしくてたまらない。一刻も早く、エミリアンを探さなければならない。
「ボウヤ。集中して!」
風の魔法で加速してきたモニクが横に並んだ。敵に叱られるとは失態だ。今は目の前のことをひとつずつ片付けるしかない。
ここからユーグまで、およそ五メートル。だが、敵も移動を続けている。この距離を詰めることができない。
ユーグの放つ、風の刃が襲い来る。白く鋭利な刃が街路樹を薙ぎ倒し、損壊した建物の壁を削る。飛ぶ斬撃とでも言うべき攻撃が、傷ついた歓楽街へ追い打ちをかけてゆく。
「そっちがそう来るなら……」
モニクへ耳打ちしながら腰の革袋をまさぐる。そして、目的の道具をいくつか掴んだ。
「モニク、援護を頼む」
手にした煙幕玉を前方へ放る。一斉に白煙が吹き出し、辺りは大量の煙に覆われた。
俺が建物の陰へ隠れると同時に、横をモニクが通り過ぎてゆく。
「ラグ、来い!」
相棒の体が右手の痣へ吸い込まれた直後、体の奥底から湧き上がる強大な力を感じた。
ユーグを仕留める好機はここだけだ。モニクが敵を引き付けてくれている隙に、損壊した建物の間を抜けて奴へ詰め寄った。
白煙に視界を塞がれたユーグは、闇雲に風の刃を連発している。これだけの顕現速度を維持できるとは大したものだ。
敵ながら感心していると、刃を受けたモニクの悲鳴が上がった。煙が立ち込めながらも、ふたつの人影が地面へ倒れるのがわかった。
「くそっ」
風の刃の位置から相手のおおよその位置は特定した。剣を手にした前傾姿勢を維持して、一気に向かいの通りへ躍り出る。
直ぐ側に立つユーグの姿。奴は俺の存在に驚き、僅かな間だけ動きを止めた。しかし、その一瞬こそ命取りだ。
「もらった!」
体当たりをするような渾身の突きが、ユーグの腹部へ深々と刺さった。





