12 神竜剣を知る女
俺がモニクを見据える横で、レオンの舌打ちが聞こえた。
「こんな所で、無駄話をしている時間はないんだ」
「あら。せっかちなボウヤは嫌われるわよ。そうは思わない?」
モニクの鋭い眼差しは、ぶれることなく俺だけを捉え続けている。
「ねぇ、リュシアン=バティスト」
名前を囁かれただけだというのに、鼓動が大きく脈打った。まるで心臓を鷲掴みにされたようで、冷静さを奪われてしまう。
「どうやって俺の名前を知った」
「ユーグは何かを隠しているような素振りだったから、ちょっとした方法でね。まさか君がそうだとは思わなかったわよ。こんな所で会えるなんて、私に運が向いたのね」
「さっきから何が言いたいんだ」
話が見えず、苛立ちだけが募る。
この女を無視すればいいだけの話だが、すんなり通すわけにはいかないという無言の圧力を感じる。レオンもそれがわかっているからこそ、先へ進むことができずにいるのだ。
俺たちの視線を受けたモニクは、芝居がかった顔をしながら口元を手で覆った。
「でも、急いでいるあなたたちを焦らしても可愛そうね。気が利かなくてごめんなさい。じゃあ、私から単刀直入に聞いちゃう」
その言葉が示す通り、鷲掴みにされた心臓へ刃先が添えられたような不安が過ぎる。だが、主導権を握られるわけにはいかない。
「ジェラルド=バティスト。あなたのお兄さんで間違いないわね。彼から預かったものは、今どこにあるの?」
モニクの瞳へ怪しい光が宿った。こちらの心を見透かそうとしているのがわかる。兄の名前が出ただけでここまで動揺しているようでは、俺もまだまだということだ。
「なんのことだ。確かにジェラルドは兄貴の名前だ。でも、なにかを預かった覚えはねぇ」
「おかしいわね。そんなはずはないんだけど。とっくに調べはついているの」
モニクは杖を持っていない左手を腰へ運び、革袋から何かを取り出した。
摘み上げたのは乳白色をした丸い物体。微笑みながらそれを見せつけてくるのだが、間違いなく魔導通話石だ。
「素直に話してくれないと、あのおデブちゃんがどうなっても知らないんだから」
「エドモンは無事なのか!?」
「ユーグやエミリアンは、始末しろってうるさかったんだけどね。生け捕りにして正解。こうしてちゃんと利用価値があるじゃない。私ってば、やっぱり天才よね」
裏切られた相手だというのに、気持ちが揺らいでしまう。助けられるものなら助けたい。要は、この女が欲しがっている情報がなんなのか。それがはっきりすれば済むことだ。
「おかしいだろ。あんたはさっき、とっくに調べがついてる、って言ったよな。なのに、どうして俺を試すようなことをするんだ。俺が預かったっていうものを、具体的に教えてくれよ。兄貴は、冒険から戻る度に色々な土産をくれた。心当たりがあり過ぎてさ」
「あら、そう……」
モニクは紅の引かれた唇を歪めると、手にした通話石を口元へ運んだ。
「ドゥニール。おデブちゃんの右手からでいいわ。まとめてやっちゃって」
『待って。なにするつもりっスか!?』
通話石から、エドモンの怯えた声が漏れてきた。生け捕りは真実ということか。
『ちょっと待って!』
恐怖に染まった甲高い声に続き、苦悶の絶叫が響いた。ただごとでない気配を感じ、俺はモニクの顔を鋭く睨んだ。
「あいつに何をした」
「右手の指を、まとめてへし折っただけよ。命まではとってないから安心して。今はまだ、と付け加えておこうかしら」
俺の左肩へ乗ったラグは、いやらしい笑みを浮かべるモニクへ吠え立てている。
「魔導杖を握れないように、左手も破壊しておかないとね」
怒りに歯噛みしていると、レオンが一歩踏み出してきた。
「俺にはわからないけど、重要な情報? エドモンはどうでもいいけど、ひとりの命と比べて大事な方を選べばいい。それで気が済むなら、早く追い払ってくれないかな」
レオンの言葉で吹っ切れた。何が大事か。どうするべきか。俺の選ぶべき道は。
大きく息を吐き、モニクへ目を向けた。
「わかった、教えてやるよ。あんたが知りたいのは神竜剣ディヴァインのことだろ? 確かに預かったよ」
「お利口ね。最初から素直に認めればいいのよ。そうすれば、おデブちゃんだって痛い目を見なくて済んだのに。可愛そう……」
「調子に乗るなよ。あいつに危害を加えてるのは、てめぇだろうが」
「いいがかりよ。そうさせているのは君じゃない。素直にならないから」
薄い笑みを浮かべていたモニクの顔が、途端に険しい表情へ引き締められてゆく。
「で、それは今、どこにあるの。この場で渡してくれたら、おデブちゃんをすぐに開放してあげてもいいわ」
「その前に聞かせろ。どうしてあんたが神竜剣のことを知ってるんだ」
「どうしてって、当然よ。あれは元々、私達が手に入れたものなんだから。あの剣が持つ影響力に惹かれて、ジェラルドが持ち逃げしたのよ。私は彼を探していたの」
「兄貴が持ち逃げ?」
そんな言葉は到底信じられない。
「故郷の街では聖人とまで言われてるんだぞ。兄貴がそんなことするわけねぇだろうが」
「残念だけど事実よ。彼は仲間だった私たちを裏切った。私は本当に怒っているの。この手で八つ裂きにしても足りないくらいにね」
「兄貴を探すなら、どうして俺たちの故郷を真っ先に調べないんだ」
「その通りなんだけど、いきなりゴールを目指してもつまらないじゃない。私たちの旅路は、ドゥニールが決めることにしているの」
「よくわからねぇ関係だな。で、あの剣をどうやって手に入れたんだ」
セリーヌが神器とまで呼んでいたものだ。あいつの故郷が関わっているのは間違いない。
「残念だけど、それは教えられないの。私から情報を引き出そうとしてもムダ。そんなことをすれば、おデブちゃんがあの世行きよ」
冷たく言い放ちながら魔導杖を振るい、喉をかき切る仕草を見せてきた。
「で、神竜剣はどこなの?」
掴んだ好機は、水を掴むようにするりと手の内から逃げていった。だが、このモニクという女魔導士は、俺の知らない情報を確かに握っている。
「悪いな。俺の手元にはもうないんだ。あんたのお友達が知ってる。聞いてみろよ」
モニクの目が驚きに見開かれる。彼女はそのままの勢いで、慌てて木箱から腰を上げた。
「まさか、ユーグが持っているの?」
その時だ。彼女の言葉に応えるように、奇怪な叫び声が夜空を切り裂く勢いで響いた。
娼館の一部が崩れ、肉人形の頭部が覗く。すると道行く人々から驚きの声や悲鳴が上がり、夜の歓楽街は瞬く間に混乱へ陥った。
「あら。おデブちゃんの土壁、破られちゃったのね。どんな方法を使ったのか知らないけど、随分と頑丈だったのにね。術者が顕現範囲を離れても消えない魔法なんて初めて見たわ。さすがの私でも、あの怪物が開けてくれた穴を通り抜けるのが精一杯だったわよ」
背後を振り返っていたモニクは呑気な口調で言いながら、こちらへ視線を戻してきた。
「時間切れね。あなたたちも精々頑張りなさい。そうそう、このタリスマンと指輪は返すわ。確かに優れた魔導具だけど、私には合わなかったみたい」
腰掛けていた木箱の上へ首飾りと指輪を置きながらも、名残惜しそうな顔をしている。
「エミリアンがカンタンから買い上げてくれたんだけど、首と手に湿疹が出てきちゃったのよねぇ……すぐに治るといいんだけど」
後ろ髪を引かれる想いを振り払うように、モニクは魔導杖を水平に構えた。
「蒼駆ける風、自由の証。この身へ宿りて吹き流れ。空渡創造」
モニクの体を旋風が包んだ。あれは、風の力を纏って高速移動を可能にする魔法だ。
そうして、彼女は瞬く間に姿を消していた。まだまだ聞きたいことはあったが、この状況ではどうにもならないとわかっている。
彼女がいなくなると同時に、レオンは大きく息を吐き出した。それだけ張り詰めた空気が満ちていたという証拠だが、あの女魔導士の実力をこいつも察していたということだ。
「だいぶ時間を無駄にした。急ぐよ」
レオンに頷き返す。俺は木箱の上から魔法具を取り上げ、腰に下げた革袋へしまった。
エドモンのことを聞きそびれたが、どこかで無事に開放されたと信じるしかない。
拳を握り、歓楽街へ現れた肉人形を見る。
「あのデカブツが現れたってことは、インチキ魔導師も側にいるはずだ。油断するなよ」
「誰に言ってるわけ? その言葉、そのままあんたに返すけど」
「おまえのことは気に入らねぇけど、腕だけは信用してるんだ。頼むぞ」
その言葉を、レオンは鼻で笑う。
「頼まれなくても全力を尽くすだけだけど。もう負けたくない。誰にも」
「がうっ!」
レオンの言葉を後押しするように、ラグが大きく吠えた。





