10 裏切り者はすぐそばに
俺とレオンの睨みを受け、エドモンの心はいよいよ行き場をなくしてしまった。あたふたと懐をまさぐり、その手を大きく振りかぶった。握っているのは魔導通話石だ。
「うわあぁぁっ!」
錯乱したように叫び、それを床へ叩きつける。だが、石は砕けることなく大きく弾み、カンタンの足元へと転がっていった。
「おやおや。私が貸し与えた品だっていうのに、酷い扱い方をするよね」
カンタンは魔導通話石を拾い上げ、長衣のポケットへしまいながらエドモンを見る。
「まぁ、これでおまえたちも内部崩壊だよね。うひゃひゃひゃ」
腹をさすって高笑いするカンタン。奴を睨んでいると、側に立っていたエドモンが徐に床へ膝をついた。
「本当に申し訳なかったっス」
額を床へ擦り付け、深々と土下座をしているが、そんなことをされた所で何がどうなるわけでもない。掛ける言葉も見つからない。
「本当に出来心だったんス。マリー嬢の急成長ぶりが怖くなって……このままじゃ、オイラの居場所がなくなっちまうって思ったら、いてもたってもいられなくなって」
「だからって、仲間を罠に嵌めてもいいっていうのか? 随分と身勝手な理屈だな」
冷たく言い放った直後、顔を上げたエドモンは訴えるような目を向けてきた。
「それについては本当に反省してるっス。どうか許して欲しいっスよ」
以前から金に汚い奴だと思っていたが、ここまで自分本位な性格だとは知らなかった。
フェリクスさんの話では、エドモンが所属していた前のパーティは、メンバーの半分が戦闘中に亡くなり崩壊。あわや全滅という所を助け、仲間へ引き込んだと言っていた。情よりも金や私欲を優先する人間というわけか。
「許すもなにも、おまえが組んでるのはフェリクスさんだ。俺が口を挾むことじゃねぇ。でもな、少なくとも俺は今後、おまえと行動することはできそうにねぇ」
「そんなこと言わないで欲しいっス」
「裏切ったのはおまえだろうが!」
苛立ちと怒りのすべてを込めて、眼下のエドモンへ言い放つ。
「処遇はフェリクスさんと相談する。今はとにかく、この窮地を脱する方法を考えろ」
とはいうものの、シルヴィさんとマリーは捕まったままだ。竜臨活性の効果も残り十五分程度。ここからの巻き返しは困難だ。アンナが動ければ逆転の望みもあったが、生命線となる両足を奪われては戦えるわけがない。
ドミニクが姿を消し、後ろにはパメラとルネもいる。ここで決断するしかない。
「レオン、撤退するぞ。マリーのことは、ひとまず後回しだ」
「まぁ、それしかないだろうね」
疲れた声が返ってきた。すんなり受け入れてくれたのは意外だが、それ以外に道はないと気づいているはずだ。しかしこのやり取りすら、拡声魔法で聞かれている可能性がある。
ここを出るには、左右に見えるどちらかの扉を抜けなければならない。敵が大勢いるこの状況で、どう逃げるかが最大の問題だ。
思案していると、インチキ魔導師のユーグが一歩を踏み出してきた。
「んふっ。脱出の算段は纏まったかな?」
「あぁ。最高の一手が見つかった」
やはり聞かれていた。内心で舌打ちしながらも、それを見抜かれる訳にはいかない。
「それは何より。ドミニク君の姿も見えず、酷く落胆していた所だ。君たちの逃走前に、私の自信作をお披露目しよう」
その言葉に身を固くすると、奴等の後ろに設けられた鉄格子が勢いよく持ち上がった。中から現れたのは、身長六メートルはあろうかという巨人だ。
「なんだあれは?」
レオンがそう言うのはもっともだ。
それはただの巨人じゃない。複数の人間を溶かして混ぜ合わせたように見える、奇怪な合成生物だ。
体毛に見えるのは人の頭部。それが身体のあちこちに見受けられる。眼球に至っては、頭部以外に胸や腕、腹部にまで付いている。腕は両脇と腰の左右にも生えており、合計六本。足に至っては四本だ。通常の二足に加え、腰から背後へと伸びるもう一対の足が見える。
見るもおぞましい生物だが、ドミニクに見せたかったと言う時点で察しは付いている。
「ドミニクの部下を使ったわけか」
「御名答。シンザラスと名付けた傑作だ」
むしろ、この場にドミニクがいなくて良かったのかもしれない。こんなものを見せられては発狂してもおかしくない。
「相変わらず、てめぇのやり方は反吐が出る」
「んふっ。最高の褒め言葉」
蝶の仮面の下で口元がいやらしく歪むと、側に立つカンタンから不快な笑いが漏れた。
「うひゃひゃひゃ。ようやくお出ましだね。本日のメインイベントだ。せいぜい楽しませて欲しいものだよね」
そう言って、周囲へ視線を巡らせた。
「エミリアン御一行。ここは危険ですから、上の観客席へどうぞ」
先を促されたエミリアンは、傭兵団たちへ視線を移した。
「女たちを馬車に乗せてくれ。シルヴィは上の客席に連れて行く。あいつらが惨たらしく殺される様を観ながら、再調教だ」
エミリアンは俺を見て微笑んできた。殴り殺したいほどの不快な顔だ。
「残念だが、シルヴィはおまえたちの隊を抜けることになった。もっともおまえたちでさえ、生きてここを出られるかわからんがな」
傭兵団の隊長であるブレーズだけがその場に残り、マリーの身柄を引き受けた。他の四人の傭兵は奴隷の女性たちを連れ、逃げるように扉の先へ姿を消してゆく。
「打つ手なし、か……」
苦い思いでつぶやいた直後だった。
「母なる大地、恵みの証。この身へ宿りて隆起せよ! 裂破創造!」
さっきまで側で土下座をしていたエドモンが、何を思ったのか魔法を繰り出した。
俺たちと敵の一団を引き裂くように、中間地点で魔法が顕現。土の柱が勢いよく伸び上がり、ずらりと隙間なく並んだそれが、厚く巨大な土壁を瞬時に形成していた。
「今のうちに逃げるっス!」
土壁は傭兵たちが出て行った左扉ごと埋め尽くし、反対の右扉だけが覗いている状態だ。
だがここで、俺は気づいてしまった。
「おまえはどうするんだ」
魔法の効果を持続させるには、有効範囲を離れることはできない。
「早く行くっス! オイラの魔力じゃ、数分を保たせるのが限界なんスから」
エドモンの目に揺るぎない決意を感じ取った俺もまた、覚悟を決めるしかなかった。
「レオン。パメラとルネを連れて先に行け」
クロスボウと斧槍を拾って駆け出すレオン。その姿を見送り、素早くアンナの体を背負った。女魔導師の魔法で右足をやられたが、竜臨活性のお陰で傷はそれほどでもない。
「エドモン、後でな」
短く言葉を投げると、奴は緩く微笑んだ。
「酒場で合流っスね」
「あぁ。おまえの反省会を開いてやるよ」
直後、土壁の一部が崩れ、合成人形の拳が飛び出してきた。
「せっかちな奴等だな」
「旦那、モテるっスからね」
「バカ野郎。嬉しくねぇんだよ」
悔しさを噛み殺し、俺は走り出した。エドモンにまともな挨拶をする時間もないとは。
この様子だと、土壁はあっという間に崩されてしまうかもしれない。
扉を抜けて、ひた走る。背負ったアンナは小柄な上に引き締まっているため軽い。甘味好きなのに体型を維持できているのは努力の賜だろう。太ももに刺さったままの双剣は可哀想だが、ここでは治療できない。
体が強化されているお陰で、三人へすぐに追いついた。途中、傭兵に襲われたが、ことごとくをレオンが薙ぎ払った。機械的で無駄のない動きを前に、傭兵たちは赤子同然だ。
そのまま中庭へ飛び出し、元来た道を引き返す。そうして裏口から夜の街中へと紛れた。
「アンナの手当てをできる所はないか?」
「私の家に案内します」
体力を温存するために竜臨活性を解いた途端、パメラが即座に声を上げてくれた。
「ありがたいけど、それは安直すぎる。すぐに傭兵たちが来るかもしれねぇ。危険だ」
下手をすれば、彼女の家族にまで危害が及ぶ恐れもある。
「それなら、荒くれどもの喧騒亭に行きましょう。この時間なら店長もいます。奥に商品の保管室がありますから、隠れるにはうってつけだと思います」
パメラは娼館の外壁へ付けられた時計を見上げている。時刻は二十二時を過ぎた所だ。
「それはありがたいな」
彼女に感謝しながら、俺たちは再び走った。
エドモンのことが気にならないといえば嘘になる。あんな奴でも、苦楽を共にしてきた大事な仲間のひとりだ。
思わぬ裏切りにあったが、あいつの気持ちもわからなくはない。だが、エドモンが張り合おうとしているのは水竜女王の力を宿した聖女だ。どう足掻いても勝てるはずがない。
「死ぬんじゃねぇぞ」
俺の漏らしたつぶやきは、歓楽街の喧騒に飲み込まれてゆく。
俺たちが命のやり取りをしている側で、欲望にまみれた薄汚い世界がある。しかしそれも、命を育むための行為と考えれば表裏一体なのかもしれない。そんなどうでもいいことを考え、不安を紛らわせた。





