09 何としても救いたい
俺にとっては大切なふたり。シルヴィさんを弄ばれ、アンナまでも傷付けられた。既に我慢は限界を超えている。
「ラグ、来い……」
「がうっ!」
俺のつぶやきに答えたラグ。その姿が、右手の甲に浮かぶ痣へ吸い込まれた。
直後、体中の血が沸騰したように、奥底から大きな力が沸き起こる。腹部を起点にした爆発は全身へ広がり、視界に映る前髪は黒から銀へと色を変えていた。
剣を水平に構えた俺を見て、クズたちが警戒している。だが奴等も、剣士である俺がこの距離を超えて仕掛けられるとは思っていないはずだ。
その油断が最大の好機になる。後は、剣先へ魔力を収束させるだけ。
「銀の髪と碧色に輝く刀身。変わった力ね」
魔導師の女はいぶかしげな表情を浮かべ、側に立つカンタンへ目を向けた。
「あの男のこと、何か聞いてないの?」
「興味なし。骨のある連中が来るから、好きにしていいと言われただけだよね」
呆れた顔を見せた魔導師は、シルヴィさんを捉えたままの甲冑剣士を鋭く見た。
「ドゥニール、その女はもういい。エミリアン様を守って。ちょっと、聞いてるの!?」
立ち尽くす甲冑剣士へ、女は苛立った声を飛ばす。直後、俺の魔力球も完成を迎えた。
刃の先端へ、馬車を丸呑みにするほどの巨大な球体が具現。碧色の輝きを放つそれは、絶大な威力を内包した魔力の塊だ。
しかし、そのまま放ってはシルヴィさんとアンナを巻き込んでしまう。俺が狙うのは、エミリアンの頭上に位置する天井だ。
「竜牙天穿!」
こいつらの話しぶりから、魔導師と甲冑剣士はエミリアンの護衛。ならばエミリアンを狙えば、必然的に奴等の動きも封じられる。
魔力球を追い、即座に駆けた。竜臨活性で強化されているお陰で、崩れ落ちる瓦礫すらゆっくりとした動きで捉えられる。
瓦礫から主を守ろうと、甲冑剣士はぎこちない動きでシルヴィさんを離した。そのまま、覆い被さるようにエミリアンを抱く。
その動きを確認しながら、敵の一団へ肉薄。
手前で呆然と立っている傭兵団隊長のブレーズ。その腹を蹴飛ばし、床へ転がした。その隙に、足下のアンナを肩へ担ぎ上げる。
続け様に、甲冑剣士の足下へ崩れたシルヴィさんへ手を伸ばした時だ。
横から、衝撃波の白い渦が迫っていた。
「くっ!」
咄嗟に、アンナの体を後方へ放り投げていた。後ろの仲間が受け止めてくれると信じて。
直後、強風に煽られたような衝撃が全身を襲った。体がバラバラに千切れるような激痛に、意識まで飛びそうになる。
後方へ持って行かれる体。両足へ力を込め、どうにか踏ん張って堪えた。
あの女魔導師の攻撃魔法だ。頭上にも風の魔法を同時展開させ、崩れてくる瓦礫までも弾き飛ばしてしまうとは。
ふたつの魔法を同時に操り、ひとつだけでもこの威力。その力に感嘆していると、女の喉元へ首飾りを見付けた。あれはマリーが身に付けていた、タリスマンに間違いない。
「盗られたのか……」
だが、この程度で翻弄されるわけにはいかない。数メートル押し戻されはしたが、シルヴィさんまで後一歩の距離まで詰めている。
『リュシー。たすけて……』
シルヴィさんから絞り出された声。
助けを求めて伸ばされた右手。
涙を浮かべた苦しげな顔。
全てが頭を巡ってゆく。
仲間だからという、そんな簡単な理由だけでは到底片付けられない。
我が儘だと、思い上がりだと言われてもいい。ひとりの男として、シルヴィさんを何としても救いたい。ただそれだけだ。
「邪魔するんじゃねぇ!」
すべての障害を蹴散らさんと吠えた。たとえ行く手を阻まれようと、踏み越えてみせる。
直後、眼前で閃光が弾けた。光属性の攻撃魔法。爆発属性を持った球体が迫っていた。
裂帛の気合いと共に魔法剣を一閃。切り裂いた球体が、頭の横と足下で炸裂した。
左目に血が流れ込む。右足が焼けたように痛む。それでも止まらない。止まれはしない。
雄叫びと共に、なり振り構わず駆けた。
だが、この時の俺は気付いていなかった。女魔導師の魔法顕現速度が、竜臨活性を使った俺の動きに付いてきているということに。
すぐさま、次の光球が迫っていた。
「この馬鹿!」
レオンの怒声が聞こえ、横から受けた風の魔法。弱った俺の体は簡単に弾き飛ばされた。
そうして俺とレオンを引き離すように、魔力球が間を通り過ぎてゆく。
「勝手に先走るな。ここであんたに死なれたら、それこそ全滅だ」
レオンに腕を取られ、魔法の射程圏外まで素早く引き戻されてしまった。
再び遠ざかるシルヴィさんの姿を見ていた。やはりいつも、肝心な所で大切な人を助けることができない。中途半端な力が悔しい。
すると、勝ち誇ったように微笑むエミリアンの顔が映った。倒れたシルヴィさんの髪を撫でる汚い手。あの右腕を斬り落としたい。
シルヴィさんは判断力を失ったのか、潤んだ瞳で下衆へ熱い視線を送っている。
「お願い。もっと……もっと激しく」
聞くに耐えない言葉。即座に目を逸らすと、引きずり戻された俺の側にはアンナが倒れていた。爆風に弾き飛ばされてきた斧槍とクロスボウも、近くに転がっている。
「違う……」
取り戻したいのは、こんなものじゃない。
「エドモン。アンナの治療」
呆然とする俺の後ろで、レオンの厳しい声が飛んだ。振り向くと、パメラとルネの姿は見えるものの、ドミニクとサロモンがいない。
「エドモン。ぼさっとするな」
再び、レオンの叱責が飛んだ直後だった。
「んふっ。彼に期待するとは論外」
張り巡らされた拡声魔法に乗って、聞きたくもない声が鼓膜を通して滑り込んできた。
円形闘技場に設けられた左右の扉。その片方が開き、憎き魔導師が姿を現した。
「てめぇも繋がってやがったのか」
剣を杖の代わりに立ち上がると、蝶の仮面の下で、男の口元が醜く微笑んだ。
「誤解しないでもらいたい。私はあくまで客。カンタンから見れば常客のひとり」
「ユーグ。あんたが一枚噛んでいたとはね」
女魔導師のお陰で、あいつの名前をようやく知ることができた。だがそれ以上に、このふたりが繋がっていたという事実に一層の不安が募っている。
女魔導師は青緑の法衣をなびかせ、ユーグへ歩み寄ってゆく。一度だけ甲冑戦士を振り返ったが、すぐにユーグへと視線を戻した。
「あの男、何者なの?」
「知ってどうする」
「私が探していた獲物だったら……殺す」
冷徹な印象を持つ、女魔導の整った顔。その瞳へ、燃えるような殺意が過ぎった。
「彼に聞きたいことがあるの」
「モニク、知っているか? 謎は謎のままの方がいい、ということもある」
その言葉に、女魔導師は鼻を鳴らした。
「あいにく私は現実主義なの。空想に想いを馳せるような乙女じゃなくてごめんなさいね」
「それは残念。もっとも、彼は私を追って遠路はるばる来てくれた。持て成しは私の役目」
「引っ込んでろって言ってんのよ」
「それはこちらの台詞。飼い犬に成り下がったのだろう。大人しく主人に従い、忠犬ぶりを見せ付けて欲しいのだが」
「あんたから先に消そうか? 私とドゥニールを口説き落とせなくて、悔しがってるんでしょ。私たちの力、見せ付けてあげるわよ」
「モニク、それくらいにしておきなさい。人様の店で揉め事を起こすんじゃない」
エミリアンにたしなめられ、苦い顔を見せた女魔導師。それを幸いと言わんばかりに、ユーグがこちらへ向き直った。だがその視線はなぜか、後方のエドモンへ向けられている。
「君が手を出すのは規約違反。その瞬間、取り引きは白紙。わかるだろう?」
「何の話だ?」
違反。白紙。あいつの言っていることが理解できない。
「一ヶ月ほど前か。この店を訪れた際、カンタン殿から一枚の手紙を見せられた。そこには、司祭の女性を奴隷として買い取って欲しいと書かれていた。差出人の名前は、G」
「嘘だろ……」
その瞬間、頭の中で様々なことが結びついていった。
待ち伏せされたように、都合良く傭兵団が現れたこと。あの時も、レオンとエドモンが真っ先に様子を見に行って、電撃に撃たれた。
そう言えば、ドミニクが傭兵団の素性を暴いた時も、渋い顔を見せていた。
さっきの罠もそう。あそこにあると知っていれば、咄嗟の対応も納得がいく。
「エドモン。おまえ……」
俺とレオンに睨まれ、狼狽している。
「違うんスよ。オイラはただ、マリー嬢にこのパーティからいなくなって欲しかっただけなんスよ……それがまさか、こんな大騒ぎになっちまうなんて思ってなくて……」
脂汗が滲み、口調はしどろもどろだ。
「闇夜の銀狼が人攫い染みたことをしてるのは知ってたっスから、そこに頼めば何とかなるかなって、Gの名前を使ったっス……」
「この大バカ野郎」
もう、誰を信じていいのかわからない。
すべての歯車が大きく狂い始めている。





