07 交換交渉
「どうして、シルヴィさんとアンナが?」
目の前の光景が信じられなかった。女性の失踪事件を気にかけていたシルヴィさんは、すべてを知っていたということか。
「侵入者って、ふたりのことっスか?」
エドモンは俺の考えを読み取ったように、震える声でつぶやいた。
「なんだ。知り合いか?」
サロモンが意外そうな声を上げる。この状況を前に、気が大きくなっているらしい。
こいつの口元へ貼り付いた、いやらしい笑みが腹立たしい。怒りを紛らわせようと、つい舌打ちが漏れてしまった。
「形勢逆転とでも思ってるのか? こっちはてめぇを交渉材料に利用させてもらうだけだ。失敗すれば殺す。わかってるな」
「過度な期待はしてくれるな。いくら俺が闇夜の銀狼で一目置かれていると言っても、交換に応じるのは精々ひとりかふたり。誰を選ぶか考えておくといいさ。もっとも、ここから無事に出られれば、の話だけどな」
「べらべらとよく喋る口だね。その舌を切り落とした方がいいのかな」
苛立ちを含んだ、レオンの声が聞こえた。
「何にしても、最悪の状況ってことに変わりはないよねぇ」
ドミニクが深い溜め息を漏らすのもわかる。人質はシルヴィさんとアンナだけじゃない。マリーを始め、攫われてきた複数の女性たちもいる。ここから見ただけも十人以上だ。
彼女たちは口を塞がれ、両手を縄で縛られている。腰へ結んだ縄で一列に繋ぎ、大事な商品として逃がさないつもりだ。マリーに至っては、首飾りがなくなっている。指輪も含めて取り上げられたのかもしれない。
それを警護するのは五人ほどの傭兵。正直、こいつらだけなら造作もない。問題は、シルヴィさんとアンナの側に立つふたりだ。
青緑の法衣を着た三十代と思しき女魔導師と、漆黒の全身鎧を着た剣士。ふたりから漂う気配は手練れの戦士が放つそれだ。そのことを裏付けるように、俺の左肩の上では、ラグが威嚇の唸りを上げ続けている。
剣士の左手には、シルヴィさんの斧槍と、アンナのクロスボウが握られている。
背後にいるパメラとルネを伺うと、怯えたように身を固くしていた。彼女たちを守りながら、ここを切り抜けられるだろうか。
闘技場の四方へ扉が見えるが、前後は鉄格子だ。すると左右に設けられた扉のひとつが開き、三人の男たちが入ってきた。
「うひゃひゃひゃ。面白いネズミが次々とかかったね」
「先頭で笑う男。あいつがカンタンだよ」
ドミニクの声を受け、男へ目を凝らした。
歳は五十前後か。禿げ上がった頭髪を補うように蓄えられた口髭。血色の良い顔付きは、体と同じように肥えて膨れ上がっている。ずんぐりとした体型に長衣を羽織っているものだから、余計に丸く見えてしまう。まるで団子をふたつ重ねたような見苦しい姿だ。
「いかにも成金、って見た目だな」
不快感を吐き捨てるように言い放つ。
ギラギラとした首飾り。両手には複数の指輪と腕輪。こんな見た目のせいで台無しだが、衣服にも上等な布が使われている。
「ちょっと待て……どういうことだ?」
俺の意識は、その後方へ奪われた。
カンタンと一緒に闘技場へ入って来たふたりの男。あいつらの顔を忘れるはずがない。
「旦那、どうしたんスか?」
エドモンの声を無視して、ふたりを睨んだ。
ひとりは杖をつきながら、煌びやかな濃紺の服に身を包む白髪の紳士。もうひとりは四十歳ほどだろうか。大きめの鞄を提げ、紳士に寄り添って歩く身綺麗な男。
「ちょっとな。忘れたくても忘れられねぇよ」
霊峰アンターニュの寺院でのやり取り。あれがつい先日のように思える。金に物を言わせ、富裕層のやり方を振りかざしてきた男だ。
「エミリアン、とか言ったか。こんな所にまで出入りしてるなんて、とことんクズだな」
十メートル以上も距離が開いている。俺の言葉は聞こえていないだろうが、向こうも俺の存在に気付いたようだ。
エミリアンは忌々しいとでもいうように俺を睨み、身綺麗な男は強張った表情を見せた。
すると、その様子に気付いた女魔導師が右手の指を鳴らした。耳の穴から空気が抜けるような感覚に襲われる。恐らく、拡声魔法を闘技場へ張り巡らせたのだろう。
「うひゃひゃひゃ。私の遊び場へようこそ。どんなネズミでも大いに歓迎しちゃうよね」
カンタンが両手を広げると、魔力灯の明かりを照り返した宝石が不気味に輝いた。
「でもね。人の物に手を出すネズミは見過ごせないよ。処分しちゃうよね」
「その言葉、そっくり返してやるよ」
「相変わらず、不躾な男だ」
エミリアンが呆れ顔でつぶやくと、カンタンは興味深げに俺たちを交互に見た。
「エミリアン殿のお知り合いでしたか」
「あの青年とは以前、ちょっとした衝突がありまして。二度と会うことはないと思っていただけに、さすがに驚きました」
ゆっくりと歩いてきたエミリアンは、シルヴィさんの側で立ち止まった。そうして彼女の顔を覗くような仕草を見せると、それに気付いたシルヴィさんが力なく頭を起こした。
「爺。まだ、くたばってなかったのかい」
「そんな成りになっても口だけは達者だな。会えて嬉しいぞ」
ふたりに面識があるという事実に驚いた。このエミリアンという男、俺が知らないだけで有名な人物なのだろうか。
エミリアンが、不適な笑みを浮かべて俺を見ている。
「シルヴィに……こっちの娘は何だったか。こいつらはおまえの仲間か? どいつもこいつも、生意気な所はそっくりだ」
「こっちのネズミもお知り合いで?」
カンタンの言葉に、エミリアンは頷く。
「これだけの人数を相手にしていれば、御主が覚えていないのも無理はないか」
「余計なことは言うんじゃないよ……」
両手足を踏ん張り、膝立ちに身を起こしたシルヴィさん。その喉元へ、甲冑の剣士がすかさず刃の先端を突き付けた。
「この娘どもは、ここで買った奴隷だ」
シルヴィさんとアンナが奴隷。
その事実に驚愕すると同時に、力なく俯いてしまったシルヴィさんの背中が映った。いつもは頼りがいのあるその背が、そっと触れただけで壊れてしまいそうに震えている。
誰にも知られたくなかっただろう。女性の失踪という事件に反応してしまったのも、こういった背景があったからなのか。
「かれこれ十年ぶりくらいか? しばらく見ぬ間に、大人っぽくなったじゃないか。ランクSの冒険者と聞いて、随分と驚かされたぞ」
「気安く触らないで」
頬を撫でてくるエミリアンの手に、シルヴィさんは嫌悪感を露わにした。
「貴様、旦那様に何と言う口の利き方を!」
「クリストフ。おまえは下がっていろ」
身綺麗な男はエミリアンの声を受け、渋々ながらも後方へ控えた。
「使用人の頃から反抗的だったが、口の悪さは相変わらずだな」
エミリアンは鋭い眼光を向け、シルヴィさんの体を舐めるように見ている。
「下の口ばかり開いていた女が、冒険者の真似事をして気が大きくなったか。生活を保障してやった恩を忘れ、私の脚を傷付けた上に、使用人だった全奴隷を連れて逃亡。飼い犬に手を噛まれた私の悲しみがわかるか?」
「恩? そんなもの、感じたこともないわ」
「そうだったな。おまえが感じるのは快楽だけだったな。ちょうどここは娼館だ。冒険者など辞めて、娼婦になったらどうだ」
エミリアンは下卑た笑みを浮かべると、手にした杖をシルヴィさんの膝へ当てた。その先端が太ももをなぞり、鎧の腰当てを避けながら股の間へと消えてゆく。
「そんな歳になってまで、恥ずかしいと思わないわけ? 少しは自重したら」
「せっかくの再会だ。この街の傭兵どもを、その体で満足させてやったらどうだ?」
そして背後へ視線を向ける。
「クリストフ。いや、カンタンでもいい。薬を持ってきなさい」
「待って! それだけはやめて。お願い!」
薬と聞いて、シルヴィさんの様子が急変した。こうも狼狽する姿は初めて見た気がする。
手元に置いた、サロモンという交渉の手札。どこで使うか迷っていたが、四の五の言っている場合じゃない。最悪、マリーが命を取られるようなことはないだろう。問題は、シルヴィさんとアンナだ。
「待て! 交渉したい」
俺の言葉で、カンタンとエミリアンの動きが止まった。
「こっちは傭兵団の副長を人質にしてる。闇夜の銀狼の英雄とまで言われてる男なんだろ。こいつと引き替えに、シルヴィさんとアンナを解放しろ」
直後、女たちを捉えていた傭兵たちのひとりが笑い声を上げた。
「ブレーズ隊長」
待ち焦がれた恋人を見るように、サロモンが情けない声を上げた。
歩み出してきたのは、三十代と思しき男。短髪で、日に焼けた浅黒い肌。筋骨隆々とした姿は自信と風格に満ちている。
ギョロリとした大きな目が、部下であるサロモンを捉えた。だが、その口元には失笑が浮かんでいる。
「そいつが英雄? 何かの間違いだな。副長だが、代わりなんぞいくらでもいる。煮るなり焼くなり好きにしろ」
交渉の手札はあっさりと切り捨てられた。
言葉を失う俺の前で、小瓶を手にしたカンタンが、シルヴィさんへと歩み寄ってゆく。





