06 娼館への潜入
「がう、がうっ!」
左肩の上で、ラグが慌ただしく吠える。
「なんだか様子がおかしいな……」
女神の膝枕という名の娼館へ近付くにつれ、焦げ臭い匂いが鼻をつくようになった。逃げ惑う人々と立ち込める白煙。向かう先の建物から、火の手が上がっていることに気付いた。
傭兵たちが集まり、慌ただしく消火作業が始まっている。
「カンタンと隊長はどこだ?」
前を歩かせていたサロモンの右腕を叩く。傷口から血が溢れ、苦悶の呻きが漏れた。
「中庭にある別館だ。この娼館は、中庭を取り囲む壁のように四角く作られている。裏口を通れば、別館へ繋がる地下道がある」
「別館?」
「案内する。消火活動に手を割かれて、警護も手薄になっているはずだ」
娼館の裏口へ進むと、二名の見張りの姿があった。
『蒼駆ける風、自由の証。この身へ宿りて敵を裂け! 斬駆創造!』
レオンとエドモンの放った風の魔法が彼等を薙ぎ倒した。ドミニクは手にした針金を使い、あっという間に扉を解錠してしまう。
「あんたたち、何者なんだ?」
呆気に取られるサロモン。
「ただの冒険者だよ。でもな、仲間に手を出されちゃ黙っていられねぇ。俺たちを敵に回した、依頼主を恨むんだな」
裏口を入ってすぐに、館内へ抜ける通路と、下へ降りるための階段が見付かった。
「ここを降りていくんだ」
かび臭い石造りの通路。大人ふたりが横並びで立って歩けるほどの大きさを持つ通路を抜けると、上り階段が現れた。そこを進むとようやく、暗闇に包まれた中庭へ出た。
「なんなんだ、ここは……」
四方を娼館の壁に囲まれているが、中庭に面した方向には窓がひとつもない。完全に隔離されている。周辺には高い木々が目隠しのように生い茂り、サロモンが言ったように、奥へ一軒の屋敷がそびえ立っていた。
「あの建物の中に、捕まえてきた女の子たちがいるってことだよねぇ?」
ドミニクの問い掛けに、サロモンは頷いた。
「あそこで、選別と調教を受けるんだ。娼婦に相応しい女には調教を。それだけの器量がない奴は、雑用や他国の娼館に売られるか」
「女性を物扱いか。本当に、反吐が出るような場所だね」
鋭い剣幕で建物を睨むレオンを、エドモンが心配そうに見つめていた。
「レオノールの旦那。間違っても、カンタンを手に掛けようだなんて思わない方がいいっス。この街への経済効果はもちろんっスけど、彼がいなくなってもまた新しい事業者が現れて、娼館を継続させるだけっスから」
「それにしたって、無理矢理に女性を攫うのは問題だろうが。そんなやり方は認めねぇ」
レオンとエドモン、双方の言い分は理解できる。要はやり方の問題だ。
すると、レオンがこちらを見ていることに気付いた。その右手は、腰に帯びた剣へ添えられている。
「リアン。この期に及んで、殺すななんて甘いことは言わないよね。一切の容赦はしない。向かって来る奴は皆殺しにするから」
「わかってる。ただし、戦意のない奴は見逃してやれ。無闇に殺すな」
「人を殺人鬼みたいに言わないでくれるかな。それくらいは弁えてる」
言うなりレオンは駆け出した。その先には、ふたりの傭兵の姿があった。
一人目の傭兵と相対するなり、胸部へ跳び蹴りを見舞う。倒れた男を無視して、二人目へ視線を巡らせた。
振り下ろされてきた相手の剣をソードブレイカーで絡め取り、根元から刃を破壊。返す刃で相手の喉を一閃した。
振り返り様、起き上がった一人目へ飛びかかり、相手の首を素早く切断。まさにあっという間の出来事だ。
それは鬼気迫るものだった。マリーを助けたいという想いも手伝ってのことだろうが、Gと戦った時より動きが洗練されている。
「ドミン。鍵は頼むよ」
レオンは殺した傭兵のズボンで刃の血を拭い、ドミニクを手招きした。
「出番なし。先客がいるらしいねぇ」
その彼は、壊れた扉を見て苦笑している。
別館の内装は、傭兵たちがアジトに使っているものと似通った印象を受けた。カンタンの所有物だから当然かもしれないが、家具や調度品は同じ職人の作品かもしれない。
絵画の合間を縫うように、壁へ等間隔で設置された魔力灯。その明かりの中を進み、正面玄関の奥にある部屋へと進んだ。
「ここは何なんだ」
入口の雰囲気とは一変し、鉄格子の填められた牢が左右へずらりと並んでいる。
「女たちはここに入れられるんだ。もぬけの殻ということは、侵入者を警戒して建物の奥に連れて行ったんだろう」
牢屋は周囲を石造りの壁で囲まれ、正面の部分だけ鉄格子が填まっている。ひとりずつの空間で仕切られてはいるが、便器と絨毯が用意されただけの質素な部屋。一時的に監禁をする場所だとしても劣悪な環境だ。
「マリーをこんな場所に閉じ込めたのか?」
カンタンという男に対して深い怒りが湧いてきた。ただでさえ辛い過去を生きてきた彼女に、更なる責め苦を与えようとする相手を許すわけにはいかない。
奥へ向かうと、牢屋のひとつで座り込む人影を見付けた。見覚えのあるその姿を目にして、慌てて覗き込んだ。
「君は酒場にいた……パメラか!?」
憔悴した顔でうずくまる少女。その頬は赤く腫れ上がっている。そんな彼女の隣へ、十歳程度の女の子が寄り添っていた。
腰まで伸びる長い髪。つり上がった眉と切れ長の目からは、意志の強さが滲んでいる。
「ドミン。開けられるか?」
「任せときなって」
難なく解錠が終わり、鉄格子が開いた。いてもたってもいられない。俺は側に立つドミニクに、サロモンの身柄を預けた。
「何があった?」
声を掛けると、パメラは弱々しく顔を上げた。腫れ上がった頬が痛々しい。
「みんな、どこかへ連れて行かれちゃって。助けてあげてください」
「どうして君たちだけここに?」
「この、ルネって子に懐かれちゃって。この子、私以外の人の言うことを聞かないんです。さっきも連れて行かれる寸前で暴れ出しちゃって。苛立った兵士は私をぶった後、そのまま置き去りにしていったんです」
「ルネか……君も攫われたのか?」
俺を無言で見つめてくる目には、引き込まれるような不思議な魅力がある。こんな幼子に興味はないが、なんだか気になる。放って置けないという気にさせる女の子だ。
傭兵たちに攫われてきたのか。それともエドモンが言っていたように、借金の形として親から売られたのか。理由は定かでないが、今はそんなことは二の次だ。
「一緒に行こう。俺たちはみんなを解放するためにここへ着たんだ。そう言えば、袖のない純白の法衣を着た、若い女性を見てないか? マリーって名前なんだけど……」
「その子なら知ってます。若いのに、私たちをずっと励まし続けてくれたんです。連れて行かれた人の中に混じっています」
「よし。やっと見付けた」
それさえわかれば、後は追い付くだけだ。
パメラとルネを後方へ従え、俺たちは牢獄を後に屋敷の奥へ進んだ。
「この広間の先に、カンタンの部屋がある。そこまで行けば女たちを見付けられるだろう」
そして、広間の中程へ進んだ時だった。何か固い物を押したような鈍い音が聞こえた。
「がう、がうっ!」
ラグが吠えると同時に、それを警戒する間もなく床石が崩れ落ちた。
浮遊感に包まれ、暗闇を落下する恐怖が襲う。だが、それも一瞬のことだった。
「斬駆創造!」
エドモンの声がすると同時に、足下から突風が巻き起こった。それが落下速度を緩め、俺たちは何事もなく着地することができた。
「エド、助かったよ。よく反応できたな」
驚きと共に見ると、得意げに微笑んでいる。
「この働きは高く付くっスよ」
「覚えてたらな」
感謝した俺が馬鹿だった。気を取り直して周囲を見ると、そこは魔光石が照らし出す長い通路だ。緩い傾斜の上り坂になっている。
「進むしかないってことだよな……」
「こんな罠。俺も知らないぞ」
サロモンの言葉を聞き流し、魔法剣を鞘から抜き放つ。程なく俺たちは、開けた広間のような場所に出た。
「なんだここ。円形闘技場か?」
天窓からの月明かりと、周囲を囲む魔力灯のお陰で、視界は十分に確保されている。
周囲を雛壇の座席に取り囲まれ、百人以上も収容できそうな広大な空間だ。その端へ落とされた俺たちだったが、中心部へいくつかの人影があることに気付いた。
「おい。ふざけるんじゃねぇぞ……」
堪らず魔法剣を構えた。
壁を作るように数人の傭兵が並び立っているのだが、それぞれが武器を手にして、側に立つ女性たちを脅すように突き付けている。
そんな彼等の手前に倒れているのは、シルヴィさんとアンナだった。





