03 悪巧み
翌日の夕刻、俺たちは目的地であるオルノーブルの街へ足を踏み入れた。適当に見付けた宿で宿泊の手続きを済ませ、馬を預ける。そうして表へ出た直後、ドミニクが申し訳なさそうな顔で近付いてきた。
「歓楽街へ行く前に、ちょいと支度金を貸してもらえないかねぇ。少しでいいんだ」
「支度金? なんの?」
「ちょいと、変装まがいのことをしようと思ってね。衣装一式を揃えたいんだよねぇ」
悪巧みを思いついた子どものような顔をしている。詳細は不明だが、目的地は歓楽街。俺たちよりも場慣れしているのかもしれない。
金は返ってこないものと覚悟して、ドミニクの考えに乗ってみることにした。
活気に溢れる夕暮れの街並み。武具を身につけた冒険者らしき者も多いが、そのほとんどは食材を求めて市場へ向かう街人たちだ。酒場では早くも酒盛りが始まり、賑やかな声が通りまで漏れ出している。
「がう、がうっ!」
左肩へ乗ったラグがいつものように、露店で売られている肉の焼ける臭いに反応した。食べられもしないのに必死で鼻を鳴らす様が面白くて、つい吹き出してしまう。
先頭を歩くドミニクは人混みをものともせず、身軽にすり抜けてゆく。小さい頃からスリの技術を磨いてきた賜物だねぇ、などと笑っていたが、生きるためにどうしても必要な力のひとつだったのだろう。それを肯定することも咎めることも俺にはできない。
程なく、露店が建ち並ぶ一角へやってきた。
「本当は服屋へ行こうと思ったんだけど、どうせ使い捨てだからねぇ。ここで充分でしょ」
「余り時間がねぇんだ。手短に頼むぞ」
苛立ちが声に乗って溢れてしまった。そんな俺をなだめようと、ドミニクは馴れ馴れしい仕草で肩を叩いてくる。
「大丈夫、仕上がりは固まってるんだよ。こういうのは形から入るのが大事なんだよねぇ」
そう言って、足早に露店を巡ってゆく。遠ざかるドミニクの背中を眺めていると、エドモンが隣に並んできた。
「なにが始まるんスかね?」
「さぁな。俺にもわからねぇ」
首を傾げて苦笑すると、後ろにレオンの気配を感じた。
「考えがあるって言うなら任せてみたら。どのみち、俺たちより妙案を持っていそうだし。あの人がいなかったらと思うとぞっとする」
「確かにそうだな。俺たちだけだったら、オルノーブルっていう目的地すらわからなかったんだからな」
こればかりは、ドミニクにいくら感謝しても足りない。レオンにしても、昨日よりはドミニクに対しての態度が軟化したようだ。俺は人知れず胸を撫で下ろしていた。
当のドミニクはと言えば、露店で目的の古着を見付けたらしい。富裕層が好んで身に付けそうな深い紺色の服とコートを探し出すと、その流れで貴金属を見繕う。
「宿で着替えてくるから、戦闘職の皆様は腹ごしらえを頼むよ。頼りにしてるからねぇ」
露店の一角に飲食店を見付けた俺は、そこを目印にドミニクと別れた。左肩の上ではラグが喚き立て、エドモンの腹の音が聞こえる。
「食べ過ぎるなよ」
「大丈夫っスよ」
満面の笑みを浮かべるエドモンに釘を刺しつつ、俺たちは木製カウンターへ進んだ。
俺はいつものように、戦いの前は控えめだ。こんがり焼かれた鳥のモモ肉を一本。生野菜を少々とドライフルーツをひとつ購入した。
空いているテーブルへ腰を降ろすと、同じように購入を済ませたレオンが戻ってきた。手にした木製皿には牛肉の串焼きが二本と魚の串焼きが一尾、野菜炒めが盛られている。
「お待たせしたっス」
エドモンがテーブルへ置いた中皿は、その音だけで量がわかるような重々しい音がした。
鳥のモモ肉と牛肉の串焼きが三本ずつ。焼き魚の串焼きが一尾。申し訳程度に添えられた野菜炒めとドライフルーツがふたつ。続け様、溢れそうなほどに注がれた果実水のジョッキが到着した。
「食い過ぎだろ!」
すかさず言い放った途端、エドモンは悪びれた様子もなく歯を剥き出して微笑んだ。
「これで、腹八分目っスから」
呆れつつも、手早く食事を始めることにした。こんなやり取りで時間を無駄にできない。
「それにしても表向きはこんなに華やかな街なのに、ちょっと奥まった所には歓楽街。光と闇を見せられてるような街だな」
鳥のモモ肉へかぶりつくと、芳ばしい味わいと共に肉汁が口の中へ溢れた。色艶もいい新鮮な肉だ。ほんのりとした甘みを持ち、塩を振っただけの単純な味付けだというのに素材の持ち味が存分に発揮されている。
「でも、性欲だって人間が持つ三大欲求のひとつっスから。実際、娼館がある街では性犯罪が減るっていう確たる報告もあるっス」
「まぁ、それは否定しねぇけどな」
串焼きを頬張りながら力説してくるエドモンへ、苦笑で返した。
「そりゃね、モテモテの旦那にしてみれば縁遠い世界かもしれないっスねぇ。より取り見取りときたもんだ。姐さんの次は誰っスか? シャルロット嬢? それともセリーヌ嬢っスか? みんなまとめて食っちまうって手もあるっスね。いやぁ、旦那が羨ましいっス」
呑気な口調でまくし立ててくるエドモンを見て、胸の中に不快な気持ちが溢れ出した。せっかくの食事も味が落ちたように感じる。
「おい、その水には酒が入ってんのか? あいつらをそんな風に言うんじゃねぇよ」
「嫌だなぁ、冗談っスよ。本気で怒らなくたっていいじゃないっスか」
エドモンの皿に置かれた串を取り、それを眼前へと突き付けた。
「今度同じことを言ってみろ。てめぇの目玉と舌を串焼きにしてやるからな」
「申し訳ないっス。気を付けるっス」
体を縮ませたエドモンは、いそいそと食事を再開した。そこから目を逸らし、表に見える街明かりを何とはなしに眺めた。
「それにしても、娼館へ沈めるって話も気になるな……そんなに簡単に行くものなのか?」
ふたりへ目を向けると、レオンが身を固くしたのがわかった。鋭い視線を闇へ投げ掛け、手にした串焼きは微かに震えている。
「わからないっスけど、大人しく従わせる手段があるのかもしれないっスね……普通の娼館なら働き手を募るんスけど、攫ってくるっていうのは初耳っス。幼子を連れてきて仕込むなんて話は聞いたことがあるっスけどね」
「幼子!?」
思わず大きな声が出てしまった。エドモンは慌てて口先へ指を立てる。
「孤児を探してくるらしいんスよ。中には借金の形に売られてしまう子どももいるって話っス。生活を保証される代わりに、そこで働くしか生きる方法がなくなっちまうんスね」
「生活を保証って……それこそ、職業訓練校だってあるじゃねぇか」
「あそこは十歳以上が入学対象っスから。それに満たないと弾かれちゃんうんスよ。それこそ、ジョフロワの旦那みたいな孤児院の経営者に運良く拾われればいいんスけどね」
「そうなのか……」
過酷な現実を知らされ、余りの衝撃に言葉が続かない。すると、こちらを黙って見据えているレオンの視線に気付いた。
「そんなことも知らないのか。あんたもまだまだぬるい所で生きてるね」
「俺の生まれたフォールは田舎街だからな。横の結びつきも強いんだよ。街の中で知らない奴なんていなかったし、お互いを気遣って生活してた。王都に近付くほど、みんなの心が荒んでる気がするよ」
自然と溜め息が漏れてしまった。
「生きていくことに必死な奴もいれば、成功を夢見てギラギラしてる奴もいる。我先にっていうか、自分のことだけで精一杯なんだろうな。心に余裕がないように見えるんだ」
「それを否定はしないよ。でもそれは世間一般の話であって、冒険者には当てはまらない」
レオンは吐き捨てるように言うと、手元に残った串を皿の端へと追いやった。
「冒険者たちはぬるい。みんながもっと純粋に成功や強さを求めれば、魔獣の殲滅だって夢じゃない。けど、魔獣のいない世界を想像してる奴がどれだけいると思う? 冒険者として成功したいけど、自ら食い扶持を潰すっていう矛盾した世界に生きてる。この職業の在り方自体に問題があるのかもしれないけど」
「確かにそれは、フェリクスさんも前から気にしてる問題ではあるんだよな。冒険者っていう職業をいつ失ってもいいように、身の振り方を考えておけって何度も言われてる」
そこまで言った時、こちらへ近付いて来る人影に気付いた。
「いやぁ、待たせたねぇ」
辛気くさい空気を吹き飛ばすようなドミニクの明るい声が響いた。着替えを終えた彼は、無精髭も剃ってすっきりとした顔をしている。ぱっと見では富裕層と言っても差し支えない身綺麗な外見に整えられていた。
「で、どこに行くつもりなんだよ?」
「決まってんじゃないの。傭兵団どものアジトさ。歓楽街の奥に、奴等が与えられている屋敷があるんだよねぇ。お嬢ちゃんはきっと、そこへ連れて行かれたと思うんだわ」
「傭兵団のアジト?」
なにやら、一筋縄ではいかない気配が漂ってきた。まぁ、人攫いを計画するような相手だ。穏便に済むとは思っていない。
短く息を吐き、腹へ力を込めた。





